我輩は猫が割と好きである。
その店員の涙が丁度5ミリリットル床に落ちた時、マツモトミヨシの研究室から抜け出したジャック、正確にはジャックの記憶を引き継いだ腐肉の塊は、漫画を読みたい気分だった。
ゆうに15km以上ある距離を0.3秒で移動し、自動扉をブチ破ってとある漫画喫茶に入店するジャック。
ガラスが割れる音に驚いた店員は悲鳴を挙げる。
それが運の尽きだった。
「図書室ではお静かに」
そう、誰にも聞こえない程度の音量で呟くと、ジャックは店員に触手を伸ばして細胞レベルで粉々にした。
側から見れば、まるで溶けて霧散したかの様に見える鮮やかな殺戮に、ジャック自身は不満を感じていた。
「面白くない」
ジャックの意識が目覚めて、まず初めにジャックがした事は、研究員の試し切りだった。
その時の第一声もまた「面白くない」。
彼は産まれ直してから、如何してか殺しを楽しめない体になってしまった。
殺しをしては、それを楽しめない事に苦悩し、様々な殺しを試し、結局細胞を分解する事が最も効率的だという結論が出るまで殺し、遂には研究所の全職員が死亡した。
街に繰り出して以降も、何かに理由を付けては殺しを繰り返したが、ついに今現在に至るまで、ジャックは以前の様に殺しに対して喜びを感じ取る事が出来なかった。
そう言えば自分がここに来た目的は殺しをする事ではなかった事を思い出したジャックは、自分が一文無しである事をまた思い出し、無料で漫画を読む為に店員を全員殺そうかと画策する。
なる程、道理の通った良い殺しだと満足するジャック。
上機嫌になり呟くように歌を歌い出す。
「にゃんにゃんねこにゃん♪にゃんでにゃにゃん♪
ねこねこにゃんにゃん♪い☆り★お☆もて♪」
「あ、私の歌……」
ジャックと、一夜分の会計を終えた楓の目が合った。
恭蔵が怪訝な表情をする。
ジャックは困惑していた。
それはジャックの意識が産まれてから、今回を含めてたった二度しか経験した事のない感情だった。
初めの一回は、興味からとある民家のテレビジョンの画面を窓から覗いた時の事。
その奇妙な歌詞に惹かれて、ジャックはモニターとガラス越しに恋をした。
それが電撃的短命アイドル、柑橋めぷるとジャックの初めての出会いだった。
ジャックは視神経に全身全霊を傾け、目の前の女性を観察する。
だらっとしたジャージ姿、像のボヤけた髪型、少し腫れた瞼。
しかし、今では細胞レベルで生物を見ることが出来るようになったジャックには、彼女が確かにあの柑橋めぷるであるという確信を持つ。
一方恭蔵は、異様な形相の肉塊に対して恐怖を抱く。
見た目が怖いからだとか、そう言った原始的な理由では無く、今迄魔王としてゾンビを生み出して来た経験により、この肉塊、つまりジャックの能力が異常であると感じとったが故の恐怖だった。
突然現れたこの肉塊が敵か味方なのかを判断出来ない恭蔵。
「行くぞ、芳乃」
「え、あ、はい」
楓の手を引き、恭蔵は店の出口へと向かう。
「ちょっと」
それを呼び止めるジャック。
「柑橋、めぷるさん、ですよね?」
ジャックがその名前を出した途端、店内がざわめきだす。
「おい、あのゾンビ、柑橋めぷるって言ったぞ」
「ふぁっ? めぷるちゃん!?」
「え、もしかしてあの子?」
「ファンなのかな?
ゾンビも取り込むなんて、スゲェ」
群衆の中の一人の言葉が、ジャックの琴線に触れる。
「あのボサボサ髪の幸薄そうなブスが柑橋めぷる?
ありえねぇよ」
男が次の発言をするために息を吸い込む。
彼はそのまま息を引き取った。
「ひっ………!!」
誰かの悲鳴でようやく群衆は、ジャックの危険性を理解する。
忽ち店内は柑橋めぷるどころでは無くなり、店員も客も三人以外の息をするものは全て店から逃げ出してしまった。
「おい、芳乃。
柑橋めぷるとは一体?」
突然割って入り、ジャックが嬉々として、柑橋めぷるについて語り始める。
「良くぞ聞いて下さいました!
柑橋めぷるさんは349年の7月19日に、初シングルの『Cat!Cat!!Cat!!!』でデビューし、インディーズであるにも関わらず、その独特の歌声と世界観がネット中で話題となり、発売初日にして『Cat!Cat!!Cat!!!』の売り上げは100万枚を突破! いやしかしあの曲の魅力は数字などでは表せない! 是非とも貴方にも聞いて頂きたいところですが、ああ、何故私はいまCDを持っていないんだ! 常に布教用は三枚携帯していたのに、ミヨシの糞技術者どもが! おっと話が逸れましたが、その驚異的な記録に驚いた各テレビ及びラジオ局は、こぞってめぷるさんの特集を作るようになり、更にめぷるさんの知名度は急上昇! こうしてデビューから1週間も経たずに、めぷるさんは世界的大人気アイドルになりました。 そして7月30日の初ライブ、遂に動くめぷるさんを全生物が拝む
事の出来る日がやって参りました。 私はそのライブの中継で初めてめぷるさん(以下略)泣きぼくろがエロいッ!!」
「ふふ、照れますね」
唖然とする恭蔵。
冷静に考えてみれば、成る程自分のアルバイト代だけであのレベルの暮らしをする事は不可能だったなと妙に納得する。
「そういえば、テレビとラジオだけは買って来なかったな」
突発サイン会を始める二人をよそに、一人ゴチる恭蔵。
「で」
ぐいっと腐肉の顔が恭蔵を向く。
「貴方はめぷるさんの何なんですか?」




