我輩が魔王である。
「魔王様、アレですね」
「ああ、儀式を執り行う」
「え? ええ?」
「大家はテレビでも見て待っていてくれ。
行くぞ、芳乃」
部屋に一人取り残される志倉。
「ひ、一人に、なっちゃった」
玄関からポーズを決めてシュタっと飛び出す恭蔵。
そして一言。
「で、井上だかなんだかの部屋はいずこか?」
今一決まりきらないのであった!
「302号室ですよ、魔王様」
「ほう、良く知っていたな」
「入居した初日に、各住人の氏名年齢と部屋番号、ついでに体重とスリーサイズを把握しておきました。
そうでなければ魔王様の下僕など、とても務まりません」
「でかしたぞ。
因みに大家のスリーサ…」
「302号室の場所がわからない?
まったくこれだから魔王様は…。
ほら、こちらですよ」
恭蔵の腕を引っ掴み、強引に引き摺る楓。
その原動力は主に志倉への嫉妬である。
302と書かれた扉の前に立つ恭蔵と楓。
「ほう、これが奴の住処か。
随分としみったれているな」
「ウチと何ら変わりありませんけどね」
恭蔵は意外にも現世の作法に倣いドアベルのボタンを押す。
出てきたのは、神経質そうな顔つきの、頭の禿げた小太りの男だった。
「あぁん? なぁんだぁてめぇら?
いっつもいっつも変なこと騒ぎやがってうるっせぇんだよ…」
楓が片膝をついたのを合図に、恭蔵が呪文めいた言葉を呟きだす。
「conktfuvufut
…rsgy…zot……」
「なんだよブツブツうっせーな。
いいたいことあぁるんだっあら、ハッキリ言えやおぉら!」
男が恭蔵に詰め寄る。
しかし、恭蔵は我関せずといった様子で呪文の詠唱を続ける。
「gbutoquseile………スタック」
一旦言葉を切って、恭蔵は背を屈めた。
そして片膝をついた楓の額に自分の額を当てると、最後の単語を吐き出す。
「…guelnila」
それは砥がれたナイフのように、男に鋭く突き刺さった。
男の体組織が瞬く間に組み変わり、井上という一人の男は、名前すら無い奇形のゾンビへと産まれ変わる。
「…俺、俺は、誰だ?
どうして腕が無いんだ?
脚が四本もあるんだ?」
井上たり得る全てを失った彼に、楓が新たな役を吹き込む。
「貴方はこの魔王様の配下として産まれ変わった魔物です。
魔王様の世界征服の助けとなるべく、全ての与那城と名のつく人間を殺しなさい。
さあ、外界へと旅立つのです」
フラフラとした奇妙な動きで、おおおと鳴き声を漏らしながらゾンビは闇へと溶けた。
「やりましたね魔王様。
成功です」
「…ああ、そうだな。
大家は喜んでくれるだろうか?」
「はい、必ず」
「そうか。
……そうであるな」
かくして井上は、その所業を露わにされる事すらなく、何処か暗い所へと消え失せてしまうのであった。




