乗っ取られました。
ピンポーン。
突如六畳間に響き渡る安っぽい電子音。
「ふははは!
わかる、わかるぞォ!
その呼び出し音は囮。
我輩がドアを開けたタイミングで窓から侵入し、そのまま我輩の背を刺すつもりだろう。
だが、浅はかなり!
我輩はそんなちゃちな手には乗らぬぞ、勇者め!」
「魔王様がお召しになっているジャージくらいチープな手ですね」
再度ドアベルが鳴る。
「か、釜谷さん?
いるんだよね?
私です、志倉です!」
「聞き覚えの無い名だ。
去ね!」
「そんなぁ…。
私だってば。
大家の志倉です!
取り敢えず中に入れて!」
恭蔵の表情筋が固まる。
大家といえば、この恭蔵達が暮らす魔王城で最大の権限を持つ絶対的な権力者だ。
その大家に対して暴言を吐くなど、時限爆弾を丸ごと腹の中に飲み込むようなもの。
魔王何ぞよりもよっぽど恐ろしい存在なのである!
恭蔵は無言でドアを解錠する。
「あ、えっと、夜分遅くにごめんね。
コンバンワ」
眼鏡をかけたふんわりとした雰囲気の小柄な女性、つまり大家の志倉が玄関先で頭を下げる。
「いいですよ、そんなの。
ほら、魔王様、さっさと志倉さんにお茶をお入れしなさい」
「い、いいよそんなの。
というか、立場逆ですよね、それ」
「良いのだ。
主従関係とはそういうものらしいからな。
芳乃がそう言っていた」
「は、はあ…」
手慣れた手つきで煎茶を淹れると、恭蔵は食卓の中に比較的片付いているスペースを探してそこに置く。
「済まない。
なにぶん食事中だったもので散らかっているが、存分に寛げ」
「あ、はい。
なんか、こっちこそごめんね」
差し出された座布団の上に正座をする志倉。
恭蔵はその対面に座る……かと思いきや志倉の裏で膝立ちをする。
「肩を揉んでやろう。
だが恩義は感じなくとも良い。
ただ、先刻の我輩の言を忘れる。
それだけで良い」
「え?
えっと、なんだかわからないけど。
じゃあ、せっかくだからお願いするね」
腕の付け根から指の先までのあらゆる神経を全開にし、全身全霊を込めて恭蔵が志倉の肩を揉む。
「あうっ!
…うまいね、釜谷さん」
筋肉の反応から的確にツボを察知し、指先から掌までを絶妙に使い分け、祖母の肩揉みにより幼少の頃から培ってきたカンで、対象の需要を完全に把握する。
神堕暗魔揉(ゴッドフォーリング・ダークサイドマッサージ)。
正に魔王の真髄である!
「ふわぁっ、何だが眠く……ってそうじゃないよ釜谷さん!」
「な、なに!?
この魔王の腕をもってしても、不満だというのか…?」
「いやいやそれでもないよ。
釜谷さんのマッサージは最高だけど、私がここに来たのは釜谷さんにマッサージしてもらう為じゃないんだよ!」
志倉曰く、恭蔵が原因の度重なる騒音騒ぎに、このマンションに住むとある住人が、大家である志倉に以前から苦情を提言していたようだ。
少し前の恭蔵による侵略宣言で、遂に住人の頭がプツリと切れてしまったらしい。
「出来れば今後は静かに暮らして欲しいなぁっていう話と……あ、あとそれから、今晩だけちょっとここに泊めて貰えませんか?」
「ん?
別に構わんが」
「いいですけど」
「「何故?」」
罰が悪そうに、志倉は苦笑いを浮かべた。
「ちょっと、その、怖いんです。
その苦情の人、井上さんっていう男の人なんですけど、正直に言っちゃうと、ここまで怒らせちゃった直接の原因は私にある…というか」
「ふむ」
「詳しくお聞きしましょうか」
「ついさっき、井上さん来てたみたいなんですけど、私うっかり居眠りしてて、チャイムに気がつかなかったんです。
で、またうっかりしちゃって、部屋の鍵開けっ放しだったんですけど、なんかゆさゆさされてるなぁーって思って目を覚ましたら…うっ!?」
その時の事を思い出したのか、志倉がえずく。
「志倉さん、桶用意しましょうか?」
「無理をして全てを語らなくとも良いぞ。
我輩も現世の母と会うとよくそうなる。
アレは辛いものだ。
大体察しもついたしな。
ところで、何故わざわざ我が城を隠れ蓑に選んだ?」
「えっと、そ、その…釜谷さんと芳乃さんくらいしか仲良い人が、いないからです」
「仲、良かったか?」
「さあ?」
「そ、そんなぁ!
バイト先も一緒だし、三人で映画も観に行ったりしたじゃないですか!」
「そうだったか?」
「と、兎に角、今日だけでいいから泊めて!
本当にお願い!!
…その、図々しいのはわかってるけど、私、とても一人じゃ……」
弱々しい態度の志倉。
ここで恭蔵は一つの方程式を導き出す。
我輩、井上倒す→志倉「キャーッ、魔王様カッコイイ!」→志倉を征服=このマンションを丸ごと征服→うっはうは
それを実行するリスクなど、恭蔵の頭には微塵も無かった。
「…ふむ。
大家よ、安心せよ。
直ぐに一人でもぐっすりと睡眠をとれるようにしてみせようぞ」
「え?」




