白の可能性
翌日目を覚ますと、既にアーテルの姿はなかった。
ただ、朝食として一切れのパンが置いてあった。
それを食べ終えて、街の中へと戻る。
妙に喉が渇くのは、柄にもなく喋ったせいだろうか。
あの話を聞いた後も、暫く会話は続いた。
お互い似たような境遇で育ったせいか、話が弾んで──。
「約束、か…。」
私の家族、父と母は、戦禍に巻き込まれて死んだ。
あの日、一人で山奥まで遊びに行って…冗談みたいな話だけど、帰ってきたら家どころか村すら無くなっていた。
そして自分の家と思しき焼け跡には、黒焦げの死体が二つ折り重なるようにして転がっていた。
それをただ眺めて、無為に過ごした数日間もよく覚えている。
対して今はもう、両親の事を殆ど覚えていない。
その声も、共に過ごした思い出も。
顔だって、黒く炭化していたものしか記憶にない。
黒…。
思い返せば、あれが私にとって初めての、漆黒との邂逅だったのかもしれない。
…彼の話を聞いてから、ふと思うようになったことがある。
もし、私も二人が死ぬ前に、出会えていたのなら ──黒く染まっていたのだろうか、と。
「おはようございます。昨夜はよく眠れましたか?」
「…おはよ。うん…まあまあ、かな。」
街をぶらぶらとしていると、オーに出会った。
イーゼルを担いでいる彼の姿は、この視界の良くない街でも目立つ。
だから、私が見つけるような形で、彼に近より、その傍らに座り込む。
「…何だか浮かない御様子ですが、何か悩み事でも?」
目敏くも、オーは気付き聞いてくる。
確かに、今の私は気になることがある。
それも恐らく、彼に聞かなければ解らないことで。
だから私は、彼に率直に尋ねた。
「ねぇ、オー…。昨日の彼の、ことだけど…。」
「昨日の彼…あぁ、黒い彼ですね。彼がどうかしましたか?」
「彼…アーテルって言うんだけど、彼の黒が何の黒 か、まだ聞いてなかったよね…。」
「そうですね…。彼の過去を知らないことには何と も言えませんが、第一感としては先ず、死の黒、 でしょうか。」
やっぱり、か。
それは私にとり、予想通りの答えだった。
私も案外、人の色を見る目があるのかもしれない。
…まぁ、私はアーテルの過去を知っているから当たり前だけど。
オーはその点、過去を知らないで言っているのだから、彼の言葉は信用に足る、と言えるのだろう。
「…ですが、それよりも何より、彼の黒には絶対的なものを感じます。」
「絶対的…?」
「えぇ、あそこまで濃い黒だと、どんな色を混ぜても変わりようがないんですよ。そもそもが様々な色を混ぜ合わせたものですから、当然と言えば当然ですが。」
その言葉が、私の心に大きく響く。
もう、変われない。
彼は黒いままに黒いなりに、ずっと生きていかなければならない。
黒いゆえに、あんなにも苦しんでいるのに。
「じゃあ、彼はもう変われないの?一生、死に縛られて生きていくしかないの?」
気づけば柄にもなく、声を大にして私は聞いていた。
何故、私はこんなにも彼のために熱くなっているのだろう?
普段の自分と明らかに違う自分に、些か戸惑う。
初めて人に触れた。
自分と似た境遇の人を見つけた。
そしてその人に親近感を抱いた。
これは彼に対する好意によるものなのかもしれない。
オーは、私から視線をそらし、前を流れ行く人々にそれを向けた。
何かを考えているのか、私の問には直ぐには答えない。
再び口を開いたのは、数分か時を費やしてからだった。
「…一つだけ、黒を変えられる色があります。それは…」
そこまで言って、オーは視線を私に戻す。
帰って来た彼の顔に、いつものよくわからない笑みは無かった。
初めて見る、彼の真剣な表情。
何だかそれは、別人のもののようだった。
何時まで経っても、その口からはその先は語られない。
ただ、私を見詰めたまま──。
「まさか、その色って…。」
その意を介するのに、更に数分。
私は思わず、人差し指を自分に向ける。
「その通り。黒を変え得るのは、白。つまり彼を変え得るのは、貴女と言うわけです。」
漸くそこで、彼の表情に笑みが戻る。
「でも、白は儚い色なんでしょう?そんな色が、 絶対的な黒を変えるなんて…。」
「確かに白は、儚く脆い。ですが、貴女の白は、そうではない。…そういえば、貴女の白の意味を、私はまだ言っていませんでしたね。」
私の白?
夢?
希望?
正義?
平和?
知りうる限りの白の意味が、頭の中で反芻する。
けれども、考えれば考えるほどに、そんなものが彼を変えるなんて思えない。
反論しようと口を開くも、それより僅かに早く、オーは諭すように言葉を発した。
「貴女の白は、無限大──。そう、万色に変わり得る、 無限大の可能性を秘めた色なのです。」
「無限、大…?」
ぽかん、と私は開いた口をそのままにしてしまう。
無限大。
際限の無い、可能性。
そんな大それたものが、私の中にあるなんて。
「絶対的な、彼の黒か。はたまた無限大の可能性を持つ貴女の白か。どちらの色が勝るのか、私はこの目で確かめたいのですよ。」
そう言われても、俄には信じられない。
白なんて、無意味な色。
白なんて、無価値な色。
私はそう思って、これまでを生きていたのだから。
そんな、尚も躊躇う私を見て、オーは最後にこう言った。
「白は儚い。少し他色に触れただけで、それが失われてしまう程に。ですが──それでも今尚、白として輝き続ける貴女の色は、どんな色よりも強いのだと…私は信じているのです。」