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第90話 ここに果実を捥ぐ算段をば

 野戦陣地は兵馬の喧騒に満ちているも軍紀の緊張が全体を鋭く貫いている。天幕、篝火、柵、物見台と敷設図面が思い浮かぶほどに整然としたものだ。あるいはと思い観察してみれば、兵士たちの髭の形にある種の相似が見られた。

 

 ジキルローザはそれを笑いはしない。軍を律するに手段は千万とある。


 それよりも集まる視線の質に僅かながらも笑みを浮かべていた。


 彼女の前にはマルコが行く。闇色の髪を揺らせ、戦外套の下に十八歳の体躯を瑞々しく躍動させて、軽甲冑の金属音も勇ましく英雄の歩を刻んでいく。


 誰もがその勇姿を見ずにはいられない。言葉に耳を澄まずにはいられない。己の命を熱くさせずにはいられないのだ。


 そこまでは当然として、更に加わる一味がジキルローザには愉快なのだ。


 いる。この野戦陣地にはかつてサロモン軍に所属していた者たちがいる。


 勝利を確信し勝利を重ねた者たちの信仰とも言える命の放射が感じられるのだ。喜色に彩られたそれはジキルローザにとっても他人事ではない。さもあらんと頷く類のものだ。わかる、わかるぞと膝を叩く類のものだ。


「よくぞ合流してくれました。胸を撫で下ろす心境です」


 そう言ってマルコに握手を求めたのは若い黒髪の大貴族だ。ペテリウス伯である。歩哨の多い天幕の外にまで迎えに出てきた辺り、言葉は本音であったのだろう。


 中に案内されたならば、卓には地図や兵站資料などが並べられていて、ペテリウス領軍の諸将が起立して待ち受けていた。どの顔にも歓迎の興奮がある。忠勤の熱意がある。


「さあ、どうぞ。情報の確認をしておきましょう」


 ペテリウス伯は上座に赤い敷布まで用意してマルコを迎える備えをなしていた。自らは上座より右方へ座り背後に諸将を背負う。


 マルコは少し笑ったようだった。静かに進んで上座に着座した。無論、ジキルローザはその傍らに控える。主従ただの二人だが、実質的にはマルコ一人であり、それがこの世界で最も巨大なのだ。


 座に緊張感が走ったことを見る。威風とは無音にしてたちどころに働くものだ。


「間もなくルーカス卿もユリハルシラ領軍四千を率いて着陣する予定です。それにより我が領軍八千、将軍の騎兵団三千と合わせて一万五千の兵力となります」


 ペテリウス伯が自ら説明している。行禍原に隣接する領地を治める以上、領主本人が戦争に詳しくなることは道理だ。ジキルローザは前ペテリウス伯を知る。戦巧者であった。


「現在、大船団は東龍河が南方支流に分かれる辺りに停泊しています。サルマント伯が領軍九千でもってこれに合流し、第三王女親衛団三千と合わせて一万二千の兵力です。これによりアハマニエミ領、パルヴィラ領、カリサルミ領と三方向に牽制を続けており、引き付けている兵力は未だ多数に及びます」


 そう言いながら、ペテリウス伯は白色の駒を地図上に置いていく。使い慣れた様子だ。


「弓張原大陣地にはヘルレヴィ伯が領軍五千と共に残っています。ユリハルシラ侯は軍を二千、四千、四千と分けて東西に広くカリサルミ領を制圧しています。弓張原と合わせればカリサルミ領を半ばまで押さえたことになりますね。将軍の活躍もあって占領は順調とのことです。二千の位置はここです。弓張原大陣地と大船団の中間にあって両者の連絡を担っています」


 そして、と今度は黒色の駒を手に取った。


「パルヴィラ領軍はアハマニエミ領の騒乱に全軍をもって介入したため、もはや東龍河西岸へ戻れません。大船団の位置が効果を発揮しています。エテラマキ領軍も自領を攻められたことで恐慌をきたし、取るものも取りあえず引き揚げました。これも将軍の活躍によるものですね。すぐには戻れないでしょう」


 アハマニエミ領とエテラマキ領とにそれぞれ一つ駒を置く。最後に一つ、カリサルミ領の中央に近いところへゴトリと一つの大駒を置いた。それは領都の上である。


「カリサルミ伯は五千の兵力でもって領城に籠りました。彼はこの戦局変動の中に随分と負けましたから、例の白狼騎士団を解体編入してもその数が精一杯だったのでしょう。時が経てばエテラマキ領軍が援軍に駆けつけると思われますが……」


 ペテリウス伯は神妙な手つきで白い駒を取り、それを黒の大駒の隣へと置いた。


「カリサルミ領都および領城の防衛能力は高くありません。土地柄か籠城戦を前提とした設計になっていないからです。城壁の高さだけは壮麗で華美ですが、敷設兵器の類は確認されていません。また、物資備蓄量も僅かです。弓張原会戦およびその後の戦線維持のため物資の搬出を行っており、高速展開した攻勢がそれを回収させなかったからです。周囲の農村も押さえました。五千の兵力となると十日分もあるかどうか……」


 持たず、押して、白い駒を黒の大駒へと触れさせた。 


「……我ら一万五千ならば領城を落とせます。その位置におり、そのための時を得ているのです」


 言葉を切り、問うようにしてマルコへと顔を向けた。その顔は少し青ざめているだろうか。


 ジキルローザはそれを笑わない。それは人間としての当然だ。文化とは同族を殺して楽しむように規範を作りはしない。ましてや、ペテリウス伯は父親を領城と共に失った過去を持つ。思うところもあろう。それでも職責から逃げない点は称賛にすら値するだろう。


 そう、普通の人間ならばそれでいいのだ。それが許されて然るべきだ。


「はい、早急に落としましょう。それで内乱は決着です」


 青く紫がかるその双眸に感情を微かにも動かさないで、微笑んだまま、マルコは言うのだ。この状況を作り出した者としての当然であり、また、内乱の決着ですら通過点として見ている者の当然でもある。


「カリサルミ領を占領すればエテラマキ領は孤立します。パルヴィラ領も早晩同様のこととなるでしょう。アハマニエミ領では北部恭順派が勝利するからです。支援を増やせばそれを早めることもできます」


 言葉の一つ一つが数多の死を前提にしている。眼差しは地図と駒とに向けられているが、それはそのままに天空の高みから現実の世界を見下ろしているのだ。巨大なる彼をして初めて可能な行為だ。


 その気分を真似することなら常人にも出来よう。しかし本当のところは実践出来ない。出来るわけがない。


 凍えてしまうからだ。竦んでしまうからだ。マルコの精神は極寒の世界極所に立っている。


 そこは余人の立てる所ではなく、ジキルローザですら側に控えることしか叶わない。今こうしている瞬間にも、彼は独りきりで暴風雨の岬に、大嵐雪の頂きに屹立しているのだ。


 魂を火炎の如くして怯む素振りもないが、それは無感覚という意味ではない。むしろ逆だ。誰よりも鋭敏に全てを感知するが故に極所へと至り、そこへ至ったからこそ巨大とならざるを得なかったのではあるまいか。


 だから言葉が響くのだ。授かり物の力ではないから、得てそれまでの力ではないから、その声には魔訶の威が乗る。遥かなものを思わせる。聞く者の胸に火を灯す。


「三倍の兵力による包囲攻城戦です。それがどのような性質のものになるかはカリサルミ伯のこれまでの執政如何にもよりますが、長くはかからないでしょう。南部の民は耐えることが得意ではないですから」


 マルコは小さく笑ったようだった。


 包囲攻城戦とは兵も民も区別なく苦しめる戦法だ。カリサルミ領都から民が脱出したという情報はないから、戦場の理が働き、飢えは女子供から始まるに違いない。


 それを笑う。笑っておいてどこにも残虐が臭わない。そうまで長引かないと言ったからだろうか。違う。戦における必要悪と割り切っているからだろうか。それも違う。


 真実、彼にとってはそれが些事だからだ。


 ジキルローザにはそれがわかる。巨大であるとは、つまりそういうことである。尋常の理から逸脱したところで、尋常に影響するべく生きているのだ。


 空白の時が流れた。誰も対応出来なかったからだ。それもマルコを笑わせたようだ。


「油断は禁物ですよ? このところの敵の戦術を思い返してください。市街地に入る際は気をつけましょうね。人を隠すのに最も適しているのは人の中です。混乱の中ならば尚更のこと」


 冗談めかして言っているがそれは真実だ。内乱の始まりから今に至るまで、マルコへと伸ばされる凶手は多く昼夜の区別もない。表裏多重の警護をもって当たらなければ三日と生きていられないかもしれない。


 どんなにか巨大なる存在であれども、やはり肉体を持つ身なれば、様々な手段をもって殺めることは可能なのだ。ジキルローザはそれを阻止するための最終防衛線である。


 火撃の騎兵団を三つに分けての軍事行動はむしろ安心だった。戦場に軽騎兵として疾駆する時、誰がマルコを討つことなど出来よう。健康も取り戻している。


 現実へと集中力が発揮されている間は心配がないのだ。危険なのは彼の意識が時空を超えているその時だとジキルローザは考える。巨大なる視界に思索する時、彼の肉体はどこまでも無防備になる。


 それは彼の限界だろうか。それとも人という種の限界だろうか。いずれにせよ、マルコは人類を後背に見る位置にいるが故に、その背中を護る必要があるのだ。


 他方、その背中は聳えることにより人を圧倒もする。


 大きな釣鐘の如くして、小さく叩く者には小さい音を返し、大きく叩く者には大きい音を返すだろう。世界に強く関わる者ほど、世界を鋭く捉える者ほど、その巨大なる在り様に畏怖を覚えるだろう。


 ペテリウス伯は秀才をもってして世界を生きる男らしい。ジキルローザはそれを紅の瞳で看破していた。マルコを見つめる目には強い関心を背景にして恐怖と憧憬とがどちらも見え隠れしている。理解しきれない相手を前にして己の届かざるところを認めることが出来るか否かが分かれ目になろうか。


「攻城兵器の制作はどのようになっていますか?」

「あ……はい、優先順位を設けて順次制作しています。雲梯、破城槌、投石機……」

「数はあまり必要ないでしょうね。カリサルミ領都の門は北西、南西、そして東正門の三つ。我々もまた三方から攻めればいい。正門は閣下にお任せしてよろしいですね?」

「それは構いませんが……将軍は騎兵のみで一門を? 数の不揃いもあります。兵力を都合した方がよいのではないでしょうか」

「そうですね。では歩兵一個大隊を借り受けたく思います。軽騎兵隊については一部を遊撃として領都周辺の警戒に当たらせてください。敵戦力を領都内五千とだけ考えることは危うい」

「成る程……では、やはり一個大隊を当てましょう。六千でも門一つ崩すには多過ぎるくらいです」


 情報確認などはとうに終わって、話し合いは次第に具体性を帯びてきた。未だルーカス・ユリハルシラは到着していないのだが、攻城のための戦術構想が両者の間に練り上げられていく。


「カリサルミ伯は……どう動くでしょうか」


 話が兵站にまで及ぼうというところで、ペテリウス伯はそれを問うた。いかに軍学を修め戦術を語ろうとも、その戦果が数字ではなく面識ある一個人に繋がったなら、そこには心胆を寒からしめるものがあって当たり前だ。


 真剣な眼差しだった。誰かが唾を飲む音が響いた。


「大きな声を上げるでしょうね。黙って退場する人物とも思えません」


 マルコが肩をすくめるなどしたから、場には小さな笑いが起きた。ペテリウス伯もどこかホッとしたような表情で苦笑していた。


 緊張は途切れ、後のことはルーカス・ユリハルシラが到着してから話し合おうということになった。茶や軽食なども出され、天幕の内とはいえ三三五五に雑談なども始まった。人心地つく雰囲気となったのだ。


 ジキルローザはそれを笑わない。それでいい。それで当然なのだ。絶え間ない寒さの中に人は生きることができない。時に憩う必要がある。そしてまた寒中に戦えばいい。それで十分だ。


 マルコは違う。


 いつか……いつの日にか彼にも憩う時が訪れるのだろうか。


 ジキルローザは哀切と尊崇とが綯い交ぜとなった胸中にマルコを想う。今この時にも非常非情の寒さの中にあり、死すらも安息とならないその人のことを。


 見れば微笑んではいる。しかし片時も休むことなく戦い続けているのだ。


「やあやあ! 最後の着陣をお許し願いたい! ルーカス・ユリハルシラでござる!」


 鳴り物入りとばかりにその一団が現れたのは、二杯目の茶が冷めきる前のことだった。やや背の低い若武者が堂々たる所作でもって周囲に挨拶を繰り返し、ドッカリと己の席へ座ったものである。


「いや、敵義勇軍と遭遇しましてな。まあ、最初は棄民か難民かという見た目に保護欲も湧いたものですが、よく見れば剣だの槍だのと持っているのだから驚かされました。当たってみれば、何ということもなく棄民か難民かになってしまいそうな具合だったので、結局保護することになりましたが。はっはっは」


 その剛毅な態度は空元気や虚勢によるものではなかった。ジキルローザはそこに力強い命の光を見た。この若者はきっと大きな仕事をするだろうと思われた。あのクラウス・ユリハルシラの息子というのもわかる話だった。度量の大きさが一目で察せられる。


 マルコは微笑んだが、ペテリウス伯は少し慌てたようだった。


「まさか、ルーカス卿、その捕虜をここへ連れてきたのですか?」

「いやいや、大半は兵站輸送と共に北へやりました。父の本隊が良いように取り計らってくれるでしょう。彼らもまた王国民ですからな」

「大半……ということは?」

「協力を申し出た者については連れてきました。特に領都に家族のいる者らです。心配でしょうからな」


 さも当然というように言われた言葉に、ペテリウス伯は絶句し、マルコは小さく噴き出した。見ればルーカスの副官らしき男はこめかみを痙攣させている。中々に我が道を行く上司らしい。


「ルーカス卿はどのようにして領都を攻めるおつもりですか?」


 しかしマルコが問うたならば。


「無論、龍将軍の命ずるままに」


 即答であった。

 

「さあ、我が軍の役割を指示していただきたい。初めての攻城戦が自国の領都というのも悲しい話ですが、戦は戦、しっかりと働いた上で後悔のなきよう万事に気を配りましょう! 何、連れてきた者らにもそこのところは承知させてあります。為すべきは為した上で、より良い結果を得るべく努力することこそが肝要でしょう。憎くてやることではありませんからな!」


 何とも元気な物言いだった。呆気にとられた者は多く、笑ったものは少数だ。


 ジキルローザはそこにルーカスという人物の可能性を見た。大らかな天性には贅沢なほどの伸びしろがある。その余裕は清々しいものに繋がっている。マルコを見る目には好奇と信頼があって、何もかもをそのままに受け止めて味わおうという泰然がある。


 流石は、とジキルローザは納得した。マルコは世に姿を現すに際して、戴くべき人物を三つの選択肢でもって考えていたと聞く。一人は第三王女パウリーナ、一人は第一王女の第二子、一人はユリハルシラ家の嫡男であるこのルーカス・ユリハルシラだ。


 だからだろうか、マルコは始終笑っている。本当に楽しそうだ。


「そうですね。より良い結果を望まずして良い仕事はできません。閣下、ルーカス卿の連れてきた者らと接見したく思いますが、よろしいでしょうか?」


 否やがあろうはずもなく、接見は為された。


 軍議は遅くまで続いた。


 ルーカスがいることでペテリウス伯も肩の力が抜けたようだった。ジキルローザはそれを見届ける。マルコと関わって生きる者たちの在り様はしっかりと見定めなければならない。


 そして翌早朝……カリサルミ領都包囲戦が始まるのである。

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