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第89話 火を放ち放って南方遠騎行

 駆ける。


 疾風の如く南へ駆けて、見つけた敵は屠り、見つけた物資は頂戴する。


「よぉし、あの林の向こうにはそこそこの大きさの村があるはずだ。強面に行くぞぉ!」


 クスターが言ったならば、おうと呼応する千騎の声もまた心なしか野蛮な気配だ。視界に村を捉えた。周囲に敵影はない。そうとなれば暴力の色をもって村を中央突破するのみである。


「やあやあ! 北から火撃の騎兵団のお出ましだ! どうしたどうした! 挑む者には槍を馳走してやるぞ! 遠慮はいらねぇ! かかって来いかかって来ぉい!!」


 村の防衛力は皆無だ。柵もなければ自警団もいない。長く北方に馬賊を営んできたクスターからすれば丸裸の家畜のようにすら見える。


 村人は鼠だ。怯えて巣に逃げ込むか、恐れの余りその場に失神するか、いずれにせよ足腰に力の入った者がいない。情けないにも程があった。


「誰もかかって来ないのならば、ちょいと税を頂くぞ。平和の代金というやつだ。悪く思うなよ!」


 位置を隠してもいない蔵へと馬を進め、扉を壊して麦粉や薪などを運び出した。各騎に分配して八日から十日分の物資とする。それ以上持てば機動力に障るから残りはそのままに放置だ。


 家屋の数からして、少々ひもじくとも冬を越えることに支障はあるまいと判断する。水も補給だ。無論、毒などは投じない。


「いよぉし! 納税ご苦労! 次来るまでには勇者でも募っとくんだな!」


 散々に怒鳴り散らしておいて、クスターら千騎は村を退出した。追ってくる者もいなければ様子を窺いに出てくる者もいない。それを見やれば嘆息も漏れる。


 襲撃されたという現実を理解できていないのかもしれないと思う。本当の襲撃ならばこの程度では済まないのだが。


「ま、いいか。それじゃまた越境するぞ。カリサルミ領へな」


 千騎は馬首を北東へ向けて悠々と敵地を行く。


 ここはエテラマキ伯爵領である。アスリア王国最南部の一領であり、敵国兵馬の蹂躙を経験したこともない土地だ。その柔らかな土を踏破していく。


 容易いものだった。南部領はどこもかしこも大混乱の真っ只中で、あるいは千騎のみで南端なり岬なりへ行くことも出来るかもしれない。


 クスターはその小さな思い付きを即座に破棄した。聖杯島へ接近することなど御免である。


 どこにおいても組織立った抵抗は皆無だ。カリサルミ領もエテラマキ領も軍が完全に統制を欠いている。襲撃者への追手すら出せない。


 義勇軍とやらも補給なしでは戦えないのだから同じことである。追い詰まれば味方領でも略奪に走ると予想されるが、遊撃作戦の前提を覆した今、それをしたならば敵味方のない混乱が拡大するだけだろう。


 現在、南部の軍という軍は東龍河の両岸に集中している。


 掻き集められたのだ。


 そうしないでは南部を滅ぼされるという恐怖から、隠すべき軍も散らすべき軍も全てが大河詣でに参じさせられている。


 大船団だ。


 先だって東龍河を大型船五十五隻からなる大船団が南下したのだ。


 掲げる軍旗はユリハルシラ領軍、サルマント領軍、ペテリウス領軍、ヘルレヴィ領軍、そして第三王女親衛団の白流旗である。


 北部大軍勢による南征航路だ。


 あまりの威容に押し留める何者とてなく、大船団は弓張原大陣地を経由してアハマニエミ領を通過した。そして、兵馬未踏の王国最南東パルヴィラ領の岸へと侵出したのである。


 陸の戦線は大いに乱れた。それはそうだろうとクスターは僅かに同情する。後背地あっての前線である。そこを衝かれたとなれば兵士は踏ん張りどころを失うのだ。


 しかもそれは大詐術である。


 五十五隻の内容については様々に情報が錯綜していようが、弓張原大陣地の将兵は一兵として乗り込んでいないし、ヘルレヴィ領軍の残余や行禍原警戒の前線二領軍一万も元の位置から動いていない。


 ただの三千だ。


 五十隻の簡易組み立て大型船はただの飾りで、実際には軍船五隻に親衛団三千が分乗しているに過ぎない。


 クスターには親衛団団長アクセリの笑顔が容易に想像できる。あの男ならば必要以上に五十五隻を活用し、さぞかし敵の耳目を集めていることだろう。いや、更に進んである程度の戦果すら上げるかもしれない。それくらいはやってのける男である。


 さても南部の軍勢は大いに走らされて、その隙だらけの隙を選り好んで北部は攻める。


 最先鋒は火撃の騎兵団だ。戦線最西端より稲妻のようにカリサルミ領へ侵入し、漫ろ警戒の敵軍を撃破するや否や、三千騎を三つに分けて大いに駆けた。


 クスター率いる千騎は一気に南下してエテラマキ領を目指し、どうということもなくそれを成功させた。クスターは己が馬賊に戻った気すらしたものだ。


 順次、北部の軍勢は南下しているだろう。弓張原大陣地からの出撃は大船団の北上と同時に行われる運びとなっている。


 南部は大軍の居所を見誤った。大いに乱されて、もはやまともな抵抗すらできないだろう。


 マルコの策略だった。


「南部の全域を戦場にします。誰一人として戦を他人事と思わせません。経済封鎖でひびの入った日常に次の一撃を加えるのです。手加減は無用ですよ。それでようやく半分なのですから。そうまでしても南部の温さは人々に夢見ることを許し続けるでしょう。他力をもって願望を叶える酔夢に惑っているでしょう。僕はそれを踏みにじります。何、酔っ払いに冷や水をかけてやるだけのことです。死にはしませんよ」


 彼は今どの辺りを駆けているだろうか。クスターは馬上で食事をしつつ己の主を思った。


 齧っているのは重麦粉を塩水で練ったものを棒状にして焼いた代物だ。どこでも作れるし、持ち運びやすく、腹持ちもいい。それに干し肉と炒り豆があれば十分だ。


 美味さについては二の次だが、なかなかどうして、こういった食事にも独特の味わいというものがある。空と鬣は舌を素朴にするのだ。


 マルコ、ジキルローザはそれぞれ千騎を率いていずこかの空の下を駆けている。


 合流地点はカリサルミ領内に定めてあるし、集結の日取りも決まっているから、大まかな位置については想像することができる。クスターは遅参だけを心配していた。己が無事ならばあの二名に限って無事でないわけもない。


 一つだけ、気掛かりがあるといえばあった。それはあの敵軍の位置がわからないことだ。


 夜雨の中に確認した黒色に白い半月の軍旗……第二王女が直率するという冷月の騎兵団である。三千騎からなる精鋭軽騎兵のみの軍だ。


 クスターらと同様に姿を晦ませていたものだが、この大混乱では敵からの情報も錯綜していて確かな位置がわからない。遭遇しても逃げの一手を打つのみだが、今最も注意すべき一軍であることは変わらない。


「あの軍には嫌な気配があったからなぁ……どうにも気味が悪ぃや」


 水もごくりとやって、騎行幾日夜、クスターは再びカリサルミ領へと入った。やはり迎撃に出てくる敵軍の姿はない。もう弓張原から大軍が南下しているだろうから、こちらについてはどうしようもないのだろう。


 村々の無防備さは気の毒になるほどだ。しかし恫喝と収奪とはクスターの任務である。


「よっしゃ、それじゃまた、荒々しくいってみようか。ただし油断すんなよ。位置こそ違え、俺たちゃ戻ってきたんだ。敵にそれなり以上の奴がいりゃあ、仕掛けの一つもあるってもんだぜ」


 村に近づいたならば、果たしてその村は日常を生きてはいなかった。


 既に荒らされていたのだ。


 火こそ放たれていないものの、略奪の跡はクスターらの行ったような行儀のいいそれとは違っている。無残の痕跡がそこかしこにあった。死体の数からして皆殺しではないようだが、蔵には冬越えの食料の一粒とてなく、村は放棄されたものと知れた。


 クスターはそれを軍による略奪と見た。


 軍馬の蹄が地を荒らしている。死体の多くが槍で突かれている。物資をことごとく運び去る運搬力は荷駄によるものだ。あるいは村人を強制徴用したのかもしれない。


「……ちっ! エベリア人傭兵なんて使うからこうなるんだ。胸糞悪ぃ」


 凄惨な殺人現場となった家の壁に帝国綴りの落書きを認め、クスターは鋭く舌打ちした。


 起こりうる事態ではあったが早いし徹底している。これは自然発生的に起こったことではないかもしれない。


 クスターの脳裏には再びあの黒白の旗が明滅していた。不吉な旗だ。周囲に不幸を振り撒く印象がある。


「集結地点に急ぐぞ」


 千騎は斥候を周囲に放ちつつ駆けた。


 既に敵軍は大河の岸から離脱している。問題は統制の有無だ。


 無秩序に略奪を行っているようならば遠からず敵軍同士で争うところとなろう。アスリア人とエベリア人との対決になるのならばいっそわかりやすい構図だ。


 しかし計画的に村を潰したのだとすれば危険極まりない。


 敵は形振りを構わない何かを為そうとしていることになる。追い詰められた鼠が体躯以上の狂猛を発揮するようにして、常軌を逸した行動に出てくるかもしれない。


 北上することしばし、冷雨を孕む曇天が重く垂れ籠める中に騎馬集団の砂塵が見えた。


 クスターは隊列を戦闘態勢に移行させつつも、懐より小笛を出して口に咥えた。旗は立てさせない。目を凝らし間合いを計る。


 騎馬集団は速度からして総軽騎兵であり、その駆ける方向はクスターらの側へと向いている。獰猛な気配がある。


 心なしか腰が引けてきたことを感じ、クスターは堪らず笛を吹いた。長くひと吹き、次いで短く三度吹くことを二回繰り返す。


 返答は同じく笛の音で来た。クスターは機敏な手信号でもって旗を立てさせ、それを振らせた。向こうも同様にして同色の旗が振られている。


 火撃の騎兵団である。数は千騎だ。クスターには率いている者が誰であるのかもわかるようだった。


「遠駆けご苦労! 被害と戦果とを報告しろ!」


 千騎の先頭にあって馬上に戦精霊のような美貌の凛呼を示す将……ジキルローザである。


「被害なし! 戦果は敵軍三個小隊と村八つ! その内、エテラマキ領の村は五つ!」


 背筋を伸ばして、大きな声で、口を大きく開けて報告したものである。かつても今もこの女傑に対するには緊張を強いられる。


 特に軍務中はいけない。変に砕けた態度で接しようものならば良くて鉄拳、悪くすれば剣槍が見舞われて軍紀の何たるかを体験させられるのだ。


「ほう、中々だ。しかし三個小隊はともかく、村ばかりなのはどういう訳だ? 町もあったろう」

「え……いや、こっち軽騎兵装備だし、速さ重視で、町は避けるべきかなぁって……」

「相変わらず尻の穴の小さいことを言う奴だ。私は落としてきたぞ、町も二つほどな」

「うへぇ」


 二千騎となった火撃の騎兵団は、ごく自然とジキルローザの指揮するところのものとなり、合流地点へと進む。


 クスターに否やはなかった。サロモン軍の頃と変わらない立ち位置である。この視界、この感触でもってどれほどの戦果を上げてきたことだろう。込み上げる笑いを噛み殺す。


 失われたはずの過去は輝きを増しに増して今立ち現れている。人生とは思いがけず痛快だ。


 二度ほどの休憩を挟んで、とうとう雨粒が落ち始めた。馬を励ます。ままあることとはいえ随分と長く働かせている。


 戦闘機動をとる機会は少ないから負担はさほどではなかろうが、クスターは馬が牧でのんびりと遊ぶ姿を見るのが好きだった。だらしなく草を食む姿には目尻も下がるし、童のように泥に身を転がす姿などを見ると一緒に遊びたくなる。


 己を馬上の武人にしてくれるこの美しい生き物のことを、クスターはこよなく愛しているのだ。よく噛み付かれはするのだが。


 さても二千騎は進む。


 雨中の一晩を林に伏せて過ごし、朝焼けの東に今日の晴天を確信する頃、昇る冬の太陽を背景にして新たなる千騎が姿を見せた。


 クスターが感じ得る“予感”の全てを満たす男が、赤布の九十九騎を側近くに侍らせ、まるで寒中の野に光と熱とをもたらすようにして存在する。


 大きい。


 近くにいても圧倒されるが、距離と時間を空けて再び会う時、何度でもその巨大さがクスターを魅了するのだ。


「各々、大儀! 我が旗の下に合流せよ!」


 マルコの声は不思議なほどに鳴り響く。聞く者の胸に火を灯す。


 おう、との返答も勇ましくして、ここに火撃の騎兵団三千騎は集結したのである。


「これより我が団は北西へ向かい、友軍一万二千と合流する。道中、敵斥候に注意せよ。伏兵もあり得るぞ。各々の変わらぬ奮闘を期待する。進発!」


 号令一下、三千騎は編成も新たにして行軍を開始した。


 全体に行き渡る高揚のようなものをクスターは感じた。


 やはり違う。この素晴らしき騎兵団はマルコの指揮の下に本領を発揮するのだ。かく思うクスター自身が疲労も忘れて槍をしごくなどしている。


 ついでにと齧る簡易食も殊更に美味い。これだ。隠れて食べる感覚が最高に美味しいのだ。


「おう、お前も嬉しいか。仲間も皆して無事だしな」


 股の下の躍動に力強さを感じて、クスターは鬣の首を撫でてやった。


 本当の戦いはこれからだ。


 きっと自分も馬も十二分に活躍できるだろう。戦いに戦って勝利を味わえるだろう。そう信じさせてくれる主の下にクスターは勇躍することができるのだ。身も軽くなる。


 駆ける。敵地にあって些かの心細さもなく、むしろ武威を鋭くすらして、行く。


 旗を見る。己を武人として戦わせてくれる誇り高い旗を……掲げられたる火刑戦旗で視界を一杯にする。


 クスターは笑みを隠しもしなかった。


 獰猛であろうこの顔こそが、己の本領だと確信して。

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