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第77話 我らは見せよう、北の飛鳥を

「我らが王はパウリーナ様である!」


 戦場に雷撃の如くユリハルシラ侯の咆哮が轟いた。


「誇り高きアスリア王国を蝕みし退廃惰弱の酩酊から目を覚まし、今再びの勇気を取り戻すために、新しき歴史を刻み行くために、我らはパウリーナ様を奉戴しなければならない! 来し方に果てし者に、行く末に生まれる者に、強く気高い今を示すのだ! そもエレオノーラ様がお隠れになりマルガレータ様が王位継承を辞退した今、王位の正統はまさにパウリーナ様にある! 異を唱えるの不遜を知るべし!」


 侯はあるいは若返ったものだろうか……馬上にてその迫力に浴しながら、レオ・サルマントは高まる戦意で胸を満たしていた。齢五十を超えてますます血気盛んな己が身に、齢六十を超えて却って若々しい大将軍の心火が熱いほどに伝わってくる。漲るものがあった。


「笑止。始まりの不遜は誰の行いか。我らが王はクリスティアン様である」


 地鳴の如くアハマニエミ侯の応答が響いた。


「長き伝統のアスリア王国を徒に乱す者たちへ告ぐ。戦火の熱病から健全に立ち返るべし。正統とは順序を弁え粛々と営まれ連綿と続くをもって正統という。勇者と共にあったエレオノーラ様こそが王国の歴史を体現している。臣下の忘恩により御心を乱されしこともまた国の乱れの体現。秩序の回復はエレオノーラ様の長子たるクリスティアン様の即位によってのみ果たされると知るべし」


 あちらも齢八十に迫る御歳であろうに堂々たるものだとレオは感心した。事ここに至らば多くは瑣末事であり、レオの心中には雄敵を求める獰猛があるばかりだ。それをして熱病と指摘されるのならば望むところだった。したり顔で冷静に刃を突きたてる礼儀など知らないからだ。


 もはや一戦して威を示さずには済まさない。レオは自らを弓矢であると感じていた。矢をつがえて三年、引き絞りに引き絞られた一矢として今まさに放たれんとする心境だった。


 怒りがあるからだ。世には役割の分担があるのだから、戦うことが全てではなく至上でもないだろう。しかしレオは思うのだ。義務と権利が表裏一体の理であり戦争を経ずして今がないのならば、戦うことも命を懸けることも知らず平和の安寧に浸りきることは何かしらがおかしいのではないかと。


 かつても今も、いつだって王国北部は戦火の暴虐に晒されてきた。それのどこに聖なるものがある。何をもって奇跡なのか。国軍の徴兵分担すら未だ北部に多く割り振られ続けている。それのどこに当然がある。誰のために戦うのか。誰が護られて誰が死ぬのか。ペテリウス領に一万将兵と友人が死に、貴き者たちは大河に感謝し安堵した。それのどこに正義がある。


 罪はないだろうか。恥はないだろうか。無いのであれば己が馬鹿な戦争屋ということで終いだろう。しかし在るのならば、罪を知り恥を知りつつもそれから目を背ける卑怯者がいて、罪にも恥にも気付かない愚か者もまたいるということだ。そのどちらにとっても教会の説く夢想は都合がいい。現実に目を背けて転寝をするが如きの安逸があろう。認識の酩酊だ。


 レオは猛る。甲冑は皮膚だ。剣槍は手であり爪であり牙だ。戦外套が風を受ける様は獣王のたてがみに等しい。レオは己をサルマント領軍精兵一万と共に荒ぶる猛獣の群れであると感じ始めていた。


 矢であるならば射放て。獣であるならば解き放て。


 決断を求めて視線を投げかけたならば、まさに両侯爵は宣言したのである。


「もはや語るに及ばず! 北の磨かれし剣槍に斬り穿たれる覚悟はよいか!」

「南に湧き出ずる敬虔と忠国の兵列はこれで全てではない。思い知るがいい」


 馬首は返され、それぞれの陣営に盟主が駆け戻ってきた。レオは自らの腕が高々と空へと突き出されていたことに気付いた。指の先端まで熱いものが込められ充実していて、些かの隙もない。


 戦いが始まろうとしている。


 百の術策も千の考慮も今や静かに息を殺し、ただその時を待つばかりだ。レオは己の万感を奥歯の間に噛み締めて笑んだ。見えるようだった。武装した男たちの思念が音もなく、空なる天地に闘争の火炎を躍らせていて雄々しい。時は満ちた。いざ号令よ下るべし。もはや何かが張り裂ける。


「全軍、進めぇい!!」


 ユリハルシラ侯の号令一下、金管楽器の音が響いた。始まった。レオはその右手を振り下ろす。南へ。敵へ。吠えるように命ずる。


「サルマント領軍、前進せよ!」


 陣太鼓は繰り返し打撃されて力強く軍の鼓動を表わす。軍靴と馬蹄は地に勇壮を刻む。鋼鉄の武装が擦過する硬音もまた輝かしい。男たちの喊声が訓練された整然の中にあって一層に弓張原をどよもしている。


 レオの右前方にはユリハルシラ領軍が先んじて進み、その先には剣角騎士団が更に前を行く。最右翼のユリハルシラ軽騎兵は早くも外へと膨らんでカリサルミ軽騎兵との機動戦を開始したようだ。左後方からはペテリウス領軍が遅れて続いている。その奥には三千とやや小勢ながらヘルレヴィ領軍もいて、この斜線の最左翼かつ最後尾を担っている。先に帝国軍を打ち破った際の編成にも似た斜形陣だ。


 しかしその先が大いに異なる。左翼を見やったなら、レオは瞠目せざるを得ない。


 火の色の戦旗は既に敵右翼の側面に回り込みつつあった。三千騎の軽騎兵からなる火撃の騎兵団は、その非常識なまでの高速度でもって戦場を疾走、敵軍の後背へと弧を描こうとしている。敵最右翼のエテラマキ軽騎兵もそれに応じようとしたのだろうが、遅い。遅すぎる。まるで機動力を発揮できていない。


 更なる軽騎兵たちが駆け来るからだ。


 火撃に続けとばかりにサルマント軽騎兵が行く。次いでペテリウス軽騎兵が行き、最後にヘルレヴィ軽騎兵も行く。左翼は今や九千騎の騎馬による大曲線を戦場に形成している。エテラマキ軽騎兵はその頭を火撃に抑えられた段階でもはや機動戦を仕掛けることが不可能だ。無理に突出すれば後続のいずれかの二千騎に側面、あるいは後背を衝かれる。どうしようもないのだ。


 そら、サルマント軽騎兵もやり過ごしてしまってはもはや半包囲すらされかねない形勢ではないか。つられる形で圭丸騎士団は向きを変えようとしている。その動きは速いが、エテラマキ領軍本隊は手古摺っている様子だ。歩兵で横陣を組んでいてはそれも当然である。敵右翼は混乱しつつある。一度としてぶつかることもなしに、ただ機動力のみをもってしてそれが成されようとしている。


 レオは鋼の甲冑の下に己が身の震えを覚えた。言葉が漏れた。


「飛鳥の陣……何という物凄まじさよ」


 龍将軍マルコ・ハハトの軍略だった。彼の発言が脳裏に聞こえてくるようだった。


「南部の民を精兵に鍛えるために三年では足りません。南北の物流を断ちましたから良馬も軍資金も揃いません。協定により国軍からの引き抜きも傭兵の雇い入れも禁じられていますから、優秀な士官も数を欠くでしょう。一方で我々は精兵、良馬、優秀な士官とを擁します。この差が最も顕著となるよう戦いましょう」


 レオは即座に理解したものだ。両軍の差はつまるところ変化への対応力である。定まった形でぶつかる分には数が物を言うし、戦術戦法の常道をもって戦い続けることができる。しかし戦の機に臨み変に応ずる力には差が生じよう。軍組織としての完成度が必要となるからだ。それは三年間やそこらで培えるものではない。


 機動力で撹乱する戦法が有効であるとの結論はすぐに出た。軍とは得てして前へ出ることは容易でも横方向に応じにくい。後背であれば尚更だ。槍持ち押し攻めることが基本であるからだ。そして南部がその基本から外れてくることは考えにくい。北部が良馬をもって採るべき戦い方は明白だった。


 その答えがこの飛鳥の陣である。


 右翼の斜形陣は主力であると同時に敵を惹きつけ縛る役割を担う。左翼の軽騎兵四軍はそれぞれが戦場へ速度を発揮し、あるいは一列に、あるいは分かれもして敵の横陣を乱す。それはあたかも大地の理を眼下にして翼の自由を謳歌する鳥の如く……優美にして強烈なこの戦法を実現するための調練は龍将軍マルコの手ずからに施された。レオは何度となく観覧し、時に入り混じって叩き落とされもして、世に英雄と呼ばれる存在の何たるかを味わったものだ。


「苛烈なるハハト将軍。そしてその傍らには魔眼のジキルか。まるでサロモン軍ではないか」


 レオは呟きつつも視線を転じた。弓張原に戦争は動き続けている。右翼方面の戦況は火花が散るかのような激戦だ。


 最右翼にあってはユリハルシラ領軍軽騎兵とカリサルミ領軍軽騎兵とが外周部を争って遠く機動戦を繰り広げている。この距離では詳細はわからないが、味方は勝ちつつあるが勝ちきれていない様子だ。レオはそれを意外に思う。練度も馬もこちらが上回っているというのに敵が粘りを見せている。ふとそれを負け慣れていると感じて、レオは心中に首を捻った。


 それより内側、騎士団同士の対決は圧倒的だ。剣角騎士団はまさに王国に冠たる実力を有する騎士団である。弓歩兵による精密な集中弓射が敵の兵種を選ばない打撃を与え続けていて、鉄壁の重装歩兵がその歩みに些かの乱れもなく押しに押す。重騎兵は少なく騎馬突撃を狙わないから派手さに欠けるが、三千がまるで大岩のようにして敵を圧していくのだ。


 敵の騎士団は明らかに練度不足だ。果敢ではあるようだが冷静な戦術判断ができていない。そもそも突出して騎士団同士のぶつかり合いになっている時点でこちらの思惑に乗せられている。こちらの斜形に対してあちらは横列なのだから、少し下がるか、そうしないにしろカリサルミ領軍本隊と連携して戦うべきところである。射かけ合いでの劣勢を巻き返そうとしたものか。それとも若さだろうか。


 そのカリサルミ領軍本隊八千へ、今まさにユリハルシラ領軍本隊八千がぶつかろうとしている。互いの戦列に奇抜は見られず正面からの槍争いになりそうだが、それはこちらはともかくあちらの望むところではないようだ。


 カリサルミ伯は軍を下げたがっている。あるいは何かしらの変化をもって応じたがっている。レオはその意図を散見される小さな動きの多さから推察した。近づいて初めてわかる兵気というものもある。整然たるユリハルシラ領軍が内に燃やす闘志を感じ取ったに違いない。無策では押し勝てないと判断したのだろう。レオはそこに才を感じた。前カリサルミ伯も鼻持ちならない男ではあったものの勝ち方の上手い男ではあったのだ。


 しかし思うようにはなるまい。レオは僅かな同情と共に予見する。下がるにしてはもう遅く、変化しようにも軍の左右は塞がれている。カリサルミ伯から見て左方では騎士団同士が激しく争っているし、右方は後ろよりパルヴィラ領軍の片方五千五百が前進してきていて、しかもやや寄せている。動揺を察して援護するつもりなのか、それとも最も近いところのユリハルシラ領軍を狙った動きか。


 遂にユリハルシラ領軍とカリサルミ両軍が正面より組み合った。軍と軍とが命を打ちつけ合う衝撃は熱風をすら発生させたものか、頬を擦り耳を打つものの荒々しさにレオの心は奮った。戦だ。これが戦というものだ。程なくパルヴィラ領軍がこちらの射程に入る。あちらにとってもそれは同様だ。レオは熱意をもって集中した。未だこれという兵気も感じさせないが、さて、南の老伯爵は数の劣勢にどう対処してくるつもりだろうか。


 しかし、レオは次の瞬間に冷たさを感じることとなった。すぐにそれは別の感情に掻き消されるものの、その瞬間だけは確かに、冷厳酷薄の感情を抱いたのである。


 パルヴィラ領軍より疎らに矢が飛んでユリハルシラ領軍に降りかかったのだ。効果的とは言い難いその行為の意味するところがレオを震わせる。頭のどこかで何とはなしに疑ってはいたものの、それはなかろうと否定していたものがあった。それか。それが真実か。レオは声に出さずにはいられなかった。


「その程度の……恐怖から矢を射てしまう程度の練度で……それを抑えられない程度の軍で……」


 声もまた震えていたが、抑えきれるものではなかった。叫ぶ。 


「この戦場に何をしに来た! 我らに人減らしでもさせるつもりか!!」


 怒りは鋭い命令となってサルマント領軍を動かした。


「射かけよ! 遠くても構わん! 薄弱な戦意を射竦めてしまえ!!」


 弦の鳴る音の無数、矢の風切る音の無数。弓歩兵二個大隊二千卒による弓射が一斉に空へと放たれた。それらはパルヴィラ領軍の中ほどにまでは届かず、虚しく地に突き立つ数も少なくなかったが、それでも敵前列へと降りかかって幾つもの死傷を生産した。


 それで崩れない程度には軍である。しかし応射は散発的で、林立する槍が強風に煽られたかのように揺れ動く。レオはもはや一刻も早く敵を崩すことしか考えていなかった。


「吠えよ! 吠え崩せ! 槍に遠くとも声には間合いぞ!!」


 八千戦士が裂帛の気合を轟かせたならば、それはもはや耳ではなく体全体で体感するものへと至って当然である。人を呑み人を圧する暴風の如きものだ。柔い草木ならば千切れ折れよう。戦う気概を持たぬ者にならばその柔弱の心を打ち砕こう。そうせずにはおかない。そうしないではいられない。


 崩れろ。崩れてしまえ。今すぐにでも崩れて、疾く逃げ去ってしまえ。


 レオは憤っていた。その憤怒の源は憎悪ではなかった。かくも弱き兵を相手取る心外に恥辱も感じないではなかったがそれも弱い。激さずには堪らないほどの思いは、敵を見るに耐えないその思いは、レオの心の奥底で悲しみへと繋がっていた。


 哀れだった。


 覚悟もなく刃に身を晒す者は戦士ではない。日常を生きるべき人間である。誰かにとっての子であり、夫であり、父でもあるだろう。討つことなどできない。討つべくして振るった剣槍にて、ただ殺してしまうだけだ。強き者たちの間に武力として光るはずのものが、そこでは弱きを踏みにじる暴力へと堕落する。


 レオは吠えた。吠えて吠えて、眼前のどうしようもない世界を打ち破ろうとしていた。

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