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火刑戦旗を掲げよ!  作者: かすがまる
第3幕

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幕間話 あの子にしろこの子にしろ

「どうにかして、マルコくんを笑わせたいんです!」

「え、何だお前、宴会芸か何かやろうってのか? 別嬪が腹踊りとかしても苦笑いだぞ?」


 エルヴィの熱意に対して、その金環を首輪のように巻いた男は怪訝な表情で答えた。そういう意味じゃないと、むしろどういう意味だそれはと怒鳴りつけたい気持ちを抑えるも、両の拳をプルプルと握りしめてはいたらしい。クスターはそれを見て若干引いている。


「腹踊りなんて思ってもみません。でも、それでマルコくんが喜んでくれるなら、やります」

「マルコ様を喜ばすってんなら、お前、生半なこっちゃ無理だぞ? 例えば腹踊りをするにしてもよ、その芸を極めた上に、絵物語の妖精だか鬼だかと腹踊りで仲良くなりました的な事件を起こさねえと。そんくらい、その道に卓越しねえと」

「あの……意味わかんないんですけど!?」


 この男は腹踊り以外の芸を知らないのだろうか。いや、そもそも芸の披露以外の選択肢がないのだろうか。エルヴィは相談相手の人選を誤ったことを知った。他の誰とも違う距離感でマルコと接していると思えばこそ、クスターを選んだのだ。しかしそれは錯覚で、ただただ無神経や無粋が服を着て歩いていたのだろうか。


「クスターさんは……その……何もしないんですか?」

「あん? めっちゃ仕事したじゃん。楽しそうな会戦があるってのに、夜の浜をコソコソと行禍原まで抜けてよ、やったことっちゃ負け犬集めだかんな。いや、あれだ、いっそ絵物語の小英雄みてーだったかな。王国の旗掲げりゃヨロヨロと集まってくる連中によ、こう、餌をやって手懐けてー、拠点襲撃を嗾けてー、ちゃちゃっと突撃してー」


 身振り手振りで説明されるいちいちが意味不明だった。クスターというこの大きな童のような男は、先の会戦において別働隊を指揮していたらしい。それは名誉とは程遠い任務だったようだが、“火撃”の武名で呼ばれるほどの彼は笑顔でその働きを語っている。


 詳細についてはエルヴィの理解の外にあるとしても、彼がどんな仕事も厭わない理由は明白だった。マルコである。彼は他の誰よりもマルコに信服していて、それは仕えるというよりもむしろ懐くとか付きまとうとか、どこかしらエルヴィにとって身近な感情によるものと感じられた。それゆえにエルヴィにはもどかしい。どうして動かないのかと歯噛みしてしまう。


 マルコに影響できそうな人間は、誰一人として動こうとしない……!


 行禍原に隣接する砦群は再び王国軍の所有するところとなり、先の会戦に参加した各軍が駐屯することで臨時ながら強力な軍事拠点となっている。会戦後の処理や行禍原への探索などで非常に慌ただしい有り様だ。エルヴィは補給に関する仕事でやって来たものだが、二度目ということもあり、物資搬送にしろ事務処理にしろ己の管轄するところは手早く済ませてしまった。しかし以前の時のような楽しく充実した時間が後に続いたわけではなかった。


 マルコは寝込んでいたのだ。心身が衰弱して動けない状態にある。宛がわれた砦の一室では薬師による治療が継続して行われているが、その効果ははかばかしくない。過労であろうとは言われていた。事実、そうなってもおかしくないほどに彼は働いたのだという。


 しかし、エルヴィの印象はまるで違った。食事を運ぶ手伝いをした時、寝台の上に横たわっている姿を見て悲鳴を上げそうになった。やつれた頬、汗まみれの肌着、薄っすらと開けられているも何を映すでもない瞳、ゆっくりと吸い込み音もなく吐き続ける呼吸……エルヴィはそれを見たことがあった。


 それは、幼い頃のマルコの姿だった。


 エルヴィはマルコより二つ年上である。彼が産まれた時のことすらおぼろげながら覚えていて、村を挙げてのお祭のようであったと記憶している。難産だったとのことだが、長く子宝に恵まれなかった村長らの喜びは計り知れず、それを周囲も大いに祝ったものだろう。


 そんな祝福を一身に受けた黒髪碧眼の赤子は、しかし、育つことを危ぶまれるほどの虚弱児だった。食が細く体が小さく、周囲への反応も曖昧で、常に熱病を患っているかのようだった。二歳になっても歩くことはおろかまともに立つこともしない。言葉など話すわけもなく、ただ虚ろな様子で座っている……まるで心ここに在らずという風に。


 いつの頃からか、エルヴィら村の子供は小さなマルコの周りに集まるようになっていた。村長に頼まれたということもあるが、もとより興味を引かれてならなかったからだ。彼には生来の不思議な魅力があった。彼に話しかけ、彼の前で色々をやってみせ、彼を視界の隅に入れながら遊んだ。彼の発熱が酷い時には回復を祈願して色々なことをしたものだ。花輪を作ったり、綺麗な石を探したり、いい加減な祈りの言葉を真剣に合唱したり。


 そんな日々が穏やかに過ぎていって、その時が訪れる。エルヴィは五歳、マルコは三歳であった。その日、静かなマルコを横目に見ながらいつものように遊んでいたエルヴィらは、誰が言い出したものか商売人ごっこという遊びを始めた。商人役と村人役とに分かれ、作物を巡って威勢良く値段の交渉をするという内容である。今思えば滅茶苦茶な交渉だった。どちらも自分の都合をでっちあげては押しつけ合い、相手の弱みにつけこんだり腕力で脅しつけたりするのだから。


 初めそれは鈴の音だと思ったものだ。部屋のどこかから小さく綺麗な音がコロコロと鳴って、男の子の頭を鷲掴みにしていたエルヴィは呆けて握力を緩めた。誰もがキョロキョロとして、そして視線を一つ所に辿り着かせて驚嘆する。マルコだった。マルコの笑い声だった。小さなマルコがエルヴィらを見ながら笑っていたのだ。そして、唐突に言葉を発した。


「それ、商売じゃないよ。山賊だよ」


 エルヴィの知る限り、マルコがこの世に生を受けて最初に話した言葉はそれである。そしてそれは自分にかけられた言葉であるとエルヴィは確信していた。見られた姿と言葉の内容からして自惚れによる錯覚ではないはずだ。嬉しくも恥ずかしい過去である。


 その時より、マルコは急激に生気を増していった。活発になった。年相応の活動を始めたのだ。まだ発熱を繰り返すことはしたものの、歩くばかりか外を駆けるまでになった。誰もが喜んだものだ。特に村長夫妻は歓喜の涙にびしょびしょになるほどで、エルヴィらは揃って行商人から玩具を買ってもらったものだ。当時の村の財政からすれば驚くべき貴重品だった。


 初対面と言うべきか、第一印象と言うべきか……とにかくも不本意な姿を晒した少女エルヴィは、マルコにお姉さんぶることで名誉挽回を試みた。そして大失敗したものだ。目覚めたとでも言うべきマルコは三歳にして村の誰よりも聡明であり、理知的であり、大人びていたから。


 それはさておき、とエルヴィは心中に決意するものである。今のマルコの状態はまるで過去のぶり返しのようだった。何が原因でそうなったのかも、どうしてそんなことが起こるのかもエルヴィには分からない。しかし解決の糸口は「笑い」であるように思うのだ。


 あの日あの時、マルコは綺麗に笑いながらエルヴィと出会った。そう、あれは出会いだったのだとエルヴィは信じる。たとえ身悶えするほどに恥ずかしいものであっても、それでマルコが笑えるのならば、いい。笑わせられなくとも、笑いものになれるだけでもいいのだ。彼が元気になればいい。


「あのよ、何となくお前の気持ちは分かるんだけどよ」


 声をかけられ、エルヴィはクスターがまだそこにいたことに気付いた。


「マルコ様は、別に、悲しいからってああなってんじゃねえと思うぞ? 笑わせばいいってのは、どうかなぁ……何かこう無粋っつーか……馬鹿っぽくね?」


 反射的に拳が出そうになって、エルヴィはそれを自制した己に十一年分の成長を実感した。目の前の男はまるで何も分かっていない。しかし気になることはあった。


「……何か、あったんですか?」

「ん? そりゃあ、ま、戦争だからな」

「誰か……亡くなったんですか? 勝ったのに?」

「あのなあ、戦争だぞ? 動物やら虫やらを相手にした駆除じゃねえんだから、勝ったって死ぬっての。そら何人も死んだよ。まあ、あっちの方が死んだろうけどな」


 呆れたように手を振るクスターに対し、エルヴィは反論する言葉を持ち合わせていなかった。そう、彼らは戦争をしているのだ。殺しもすれば殺されもして当たり前である。エルヴィも頭では理解していたことだ。しかしマルコが参加していたことが夢を見せる。無傷の完勝を錯覚させる。


「……ダニエルの旦那が、ちょいとな」


 そっと付け加えられた言葉にエルヴィはビクリと肩を跳ね上げた。それは彼女の属する組織の長の名前だ。実質的にはラウリによって管理運営されるところのハッキネン護衛団であるが、団長はダニエル・ハッキネンという貴族で変わることはない。その姓名によって発足された組織であり、その爵位が組織の信頼を裏付けている。先だって昇爵したから今や子爵位だ。ハッキネン子爵と言えばアスリア王国でも特別な響きのある家名である。エルヴィは会ったこともないが、来春には結婚すると聞いていた。


「ダニエル……ハッキネン子爵様のことですか?」

「ああ。お前んとこの団長さんだな」

「戦死……されたんですか?」

「生きちゃあいる。けど面白くねえ状態だ。槍を胸にもらっちまって重傷でよ」


 クスターは本当に面白くなさそうな顔でそう言った。エルヴィは何も言えない。その貴族のことを知らないから何を言うでもないし、その貴族とマルコとが親しいと知るからなお何とも言い難かった。


「体力勝負だな。ああいう傷は血ぃ抜かないと胸が潰れちまうんだが、かといって血ぃ抜き過ぎると死んじまう。ユリハルシラ家ってやつの治療班は豪勢だから、まあ、普通よりはいいかもしんねえけど……生き長らえたところで厳しいもんはあるだろうよ」


 フン、と鼻を鳴らして、その後には真剣な声が続いた。


「“黒蛇”の野郎だ。あいつが無茶苦茶な戦術をとったらしい。破れかぶれってやつだな。旦那はそれに引っ掛けられちまった。不幸っちゃ不幸だが、まあ、正直なところ油断していた旦那も悪い」


 それは非情な言葉に聞こえて、エルヴィはまじまじとクスターを見た。横顔だった。その目は虚空を睨みつけている。その拳は強く握られている。やはりエルヴィは何も言葉が出なかったが、クスターはニヤリと笑んでからエルヴィの方へと顔を向けてきた。


「だがな、旦那は一つ大したこともやってのけた。胸を刺されたってのに、落馬もせずに踏みとどまってよ、こう、鞍にしがみ付いたってんだから。槍も捨てて、形振り構わずにな。そいつぁ正しく俺らの戦法よ。名誉も体裁もかなぐり捨てて、とにかく僅かでも生きるための方法だ。傷つき窮したこの上は、己の馬に全てを託してしがみ付く……あの傷でやったってんだから、旦那は貴族にしちゃ骨のある人だぜ」


 豪快な笑い声が上がった。エルヴィはそれに気圧されそうになったが、グッと息をつめて己を律した。怖がってはいけない。戦士の生々しい姿に恐れを抱くようでは、どうしてマルコの隣に立てるだろうか。彼は花畑の中に立つ妖精や何かではない。彼は英雄だ。未来の、ではない。既にして英雄なのだ。大軍の先頭に立って闘争の道を歩む者だ。ここで怯えるなどあってならなかった。


 エルヴィは堪えた。微塵の震えも表に出さず、微笑んですら見せた。それはクスターにとって意外なものだったようで、キョトンとした後、面白そうに目を細めて顎を横に振った。ついて来いと言っているのだ。向かう先はマルコの部屋である。エルヴィはそこへ行くクスターを呼び止めていたのだ。


「あ、でも、笑わせ方が……」

「ああ、腹踊りだっけか? やるなら止めねえけど、どうだかなぁ」

「別に腹踊りだけが芸じゃないですけど! なんなら頭の上に果物乗せてください。射抜いて見せますから!」

「ぶ、物騒なこと言うなぁ、お前……それ、どこに矢ぁ当たっても凄いの俺じゃねえか。俺が偉いだろ、それは。いや、まあ、そんなことやらせるお前も凄いっちゃ凄いけどよ……」


 ブツブツと言い合いながら、奥まった所のその部屋の前へと着いた。違和感があった。扉の前に常駐していたはずの見張りがいない。今や重要人物として誰もが知るところのマルコを無防備にしないため、親衛団の団員が交代でそこに待機していたはずだ。


 それを指摘しようとして、隣を歩くクスターの様子がおかしいことにも気付いた。目を見開いている。口も開けっ放しだ。少し震えてもいるようだ。


「く、クスターさん?」


 腕に触れようとしたエルヴィのその手が届く前に、クスターは走り出した。唐突な勢いでもって突進し、扉を開け放ち、部屋に跳び込んでいった。只事ではない。エルヴィもまた後に続いた。


 そこには、銀色の美しいものが輝いていた。


 部屋の中央には寝台があって、マルコは相変わらずの様子で横たわっている。エルヴィのすぐ足元には見張りをしていたと思われる団員がぐったりとしていて、呼吸はしている様子だ。目の前にはクスターの大きな背中が固まったようにして在る。しかし、もう一人の人物が部屋に立っている。マルコの側に立っている。


 美しい……まるで絵物語に出てくる闇妖精のような女性だった。


 銀色の髪に窓から差す光がキラキラと宿っていて、濃色の外套を背景にして輝ける川のように長く流れている。凛々しさのある美貌は肌の色が浅黒で、銀髪も映えるが、何よりも瞳の色の紅を際立たせて神秘的な雰囲気を醸している。長身で、外套越しにも体の女性らしい曲線が分かるほどだ。


 エルヴィは見惚れた。怪しむことすらできなかった。その女性がマルコへと向ける眼差しに込められた感情は、他者がそれを邪魔することの憚られるものだったから。


 しかし、無粋な男がそこにいた。


「うおっ! 何で!? どうして!? えええっ!?」


 どったんばったんとクスターが騒ぎ出したのである。手足を振り回すような有り様で、己の驚きを表現する踊りでも披露しているものか。エルヴィはそう思い、やはり芸を披露する場ではないと心のどこかで納得した。どこから罵ればいいか分からないほどに、無粋で無様だった。


 しかし、その銀髪の女性の行動は罵声を超えていた。


 音もなく踏み込み、目にも止まらない速度で拳打が放たれた。それはクスターの鳩尾に決まったらしかった。俄かに始まった騒音は、衝撃音と呻き声とに終結したのだ。しかし女性の行動は更に先へと進む。体をくの字に折るクスターの髪を鷲掴み、引き上げて、凄みのある声でもって女性は言った。


「おい、クズ野郎……お前がいてこれか。何を遊んでいたのだ。どうしてこうも消耗させる!」


 もう一発、今度は膝蹴りが入ったようだ。クスターの大きな体格が脆くも床に崩れ落ちていった。女性が掴んでいた手を開いたならば、はらりはらりと髪の毛が舞った。そしてクスターを見下ろすその眼光の凄まじさ……エルヴィは今、完全に気圧されていた。息をするのも怖かった。


「ち、違……ちょ……お、落ち着いて、話を……」

「そうだな。私が落ち着き、お前がまだ口を動かせたのならば、話を聞こう」

「げぇっ!?」


 女性のあんまりな言葉に対し、これもまた大の男としてはあんまりな悲鳴が返された。しかし有言実行の人ででもあるものか、女性は再び拳打を放つべく重心を落とした。クスターが尻で後退するかのような奇怪な動きで応じた。エルヴィはそれを見ている他に何もできず、また、クスターには是非ともこちら側に退いてこないでほしいと思った。


 鈴の音が、鳴った。


 綺麗な、とても綺麗なその音色は、エルヴィが遠い記憶の中に聞いたそれとよく似ていて、それでいて少し低音になっていた。笑い声だ。十四歳のマルコの笑い声だ。汗によって黒髪を湿らせ、その頬はこけているけれど、しかし碧眼を細めてマルコが笑っている。半身を起こして笑っている。


「それは酷ですよ、ジキルローザ。クスターはよくやってくれています」


 それはとても嬉しげな声だったから、エルヴィも嬉しくなった。どうしてか胸が高鳴った。何か意義深い瞬間に自分が立ち会っている気がしていた。我知らず高揚するものがあった。


 儚げでありつつも嬉しそうに笑むマルコと、絵画のような美しさで彼に対して膝をつき両手を伸ばす女性と、潰れた蛙のような有り様で腹をさするクスター。


 エルヴィはその光景を不思議な歓喜を胸に見つめていた。


 胸を押さえるその姿は、何かに祈りを捧げるような姿だった。

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