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第40話 役に立つと言ったでしょう

 その男は着古した羽織りの下に屈強な筋骨を持っていた。髭には白いものが混じっており、片足も不自由な様子だが、まず間違いなく切った張ったを生業としてきた人物だ。胆力もある、とベルトランは判断した。こんな場所に単身で乗り込んでくる者は狂人か豪の者、そのどちらかでしかない。


「まさか本当に“緑巾”が生き残り、潜んでいたとはな……世の中とはわからないものだ」


 感慨深げに言う様子を酒杯越しに見る。意図して暗がりを残すこの小部屋は、ベルトランがチトガ大町に営む船宿の中でも密室と言うべき場所だ。壁の裏にも、床の下にも、合図あらば客を亡き者とする刺客が潜んでいる。ベルトランは男が小さく咽を鳴らした音を聞いた。どうやら気付いているようだ。そして、流石に刃の上で酒を舐める気にはなれないらしい。


「昔の呼び名だ。教会の紹介だから会いもしたが、名乗らずにご挨拶ではないか」

「これは失敬した。私はエベリア帝国で軍需の端材を商っている者で……」


 ベルトランは鼻で笑ってやった。胡坐の足を組み直した。ギイと床が鳴り、男が僅かに尻を浮かせた。そんな風もなく装う様子には滑稽を演じている気配はない。これは胆力の問題ではないとベルトランは判じた。男に怯えは見られない。


(まだ死ねない男か。さて、誰のための用心であろうな……)


 グイと杯を呷り、次を注ぎながら目で促がした。男は髭の下に呼吸を整えたようだった。


「……拙者はドナルド・コレトスと申す。帝国騎士だ。見ての通りの歳と足だから、騎士団に所属しているわけでもないし、軍属としての階級があるわけでもない」

「密偵か」

「そうとってもらって構わん。王国内のエベリア人を訪ねているのだ。沙磨屋の頭領よ」


 ドナルドと名乗った男の眼光には強く激しいものがあった。賢しらな多弁で煙に巻く類ではなさそうだが、嘘を言わずとも真実を隠すことはできる。ベルトランは内心で笑んだ。大物の予感がしていた。


 王国内に暮らすエベリア人は二種に分類できる。一つに、かつての戦乱の中で居付くなり奴隷になるなりした者たちだ。この十数年をそれぞれの歩調で生きており、幸か不幸かはともかく、この地に根差した日常を過ごしている。ベルトラン自身もこちらに属し、配下の手勢の中にもそれは多い。


 もう一つが問題だ。それは休戦後に密入国してきた者たちで、その手段には教会が協力していると推察されている。無論のこと、その目的は諜報活動であろう。ベルトランの把握するところでは多くが前線に近いサルマント伯爵領、ペテリウス伯爵領に潜んでおり、次いでユリハルシラ侯爵領と王都とが挙げられる。彼らは地下組織として連携しており、その活動にもまた教会の庇護が感じられた。


 目の前の男はエベリア人を訪ねていると言った。ベルトランがその意味を履き違えるわけもない。教会の紹介もある。この面会には陰謀と工作の臭いが立ち込めている。


「そこもとはあの戦乱に一剣をもって名を成した男だ。その果敢な戦働きは拙者の耳にも気持ちよく届いていた。今は亡き皇太子殿下も、傭兵たちの勇猛さについて賞賛の言葉を残している」


 男の言葉には熱があった。それは密偵らしからぬ密偵とベルトランには感じられた。奇妙な誠実さがある。言動と立ち居振るまいから察するに、このドナルド・コレトスという男は戦場において一線級の騎士だったのではないだろうか。ベルトランがその名を耳にしたことはないが。


 皇太子に近しい騎士と言えば近衛軍だ。そしてそれは一介の傭兵風情には最も遠い軍でもある。当時のベルトランは目の前の敵を斬ることより他に興味がなかったから、己の記憶を当てにもできなかった。 


「武運については敢えて語るまい。しかし志とは人から人へと継がれるものだ」


 誰の武運への言及を避けたものだろう。ベルトランのものか、それとも皇太子のものか、あるいは帝国軍全体のものか。ベルトランもまたそれを敢えて確認しなかった。今はただ聞く。


「今この新たなる戦乱の世に臨んで、拙者はこの身に出来得る限りの戦いを為さんと働いている。かつての終わり方に受け入れ難い思いを抱えているからだ。そこもとはどうだろうか? その身には拙者と同じ火熱が燻ってやしないだろうか?」


 中々に聞かせる弁舌であった。ベルトランはそれを表彰する思いで、酒杯を一度掲げて見せた。そして飲み干す。それで終いだった。返答はにべもないものとする。


「まるでないな。俺は捕虜となって辛酸を舐めた身だ。王国を恨むとしてもその主体は俺自身にある。帝国のためではないだろうよ」


 そう言ってやると、男は大きく顔を顰めた。それは憤りではない。双眸には同情と遣る瀬無さがあった。申し訳なさと言ってもいいかもしれない。つくづく珍しい密偵だった。多様な感情を表して隠すところがない。しかしその分だけ使命感は強いのかもしれないとベルトランは思う。


 そして、この男は恐らく負傷兵であるとベルトランは推察した。死の神が支配した殲滅戦……それ以前に前線から退き、あるいは行禍原の西にまで戻されたのではないだろうか。あの死地に騎士は一人として生き残らなかった。近衛軍などは文字通りの皆殺しにされたのだから。


「そこもとの物言いから察するに……むしろ帝国を恨んでいるのか?」

「そうではない。興味がないと言っているのだ」


 本音とは短く言い切れてしまうものだ。ベルトランは意識して言葉を継ぎ足していった。


「俺はかつて戦場の喧騒の中に刃をやり取りして金を頂戴した。今は川霧の中に刃の商いをして金を頂戴している。言いたいことは分かるかな、誇りと愛国心とに満ちた騎士殿。清流を生きるものたちの浮沈など泥中の虫にとっては他所事だ。知ったことではない。餌を寄こせば働いてやる。それだけだ」


 ベルトランは荒んだ物言いを心掛けた。慣れたものだが切り替えが必要なのだ。何故ならば、彼は今、心から充実した日々を生きている。人の世の清濁など如何ばかりの価値があろうか。神と己のとの間には唯一無二の道が繋がっていて、踏みしめる一歩一歩に歓喜を伴うのだから。


「そう……か。分かった。そこもとを怒らせるつもりはなかったのだ。相すまん」


 感情を抑制したことが却ってそれらしく見えたようだった。これも主の加護かと心中に笑む。ベルトランの心身には常に信仰の愉悦が巡っている。


「謝ることはない。虫の扱いを知ればいいだけだ。騎士殿の前に座っているのは、戦争を養う血流に取り着いているだけの寄生虫なのだよ。あまり眩しく熱してくれるな。これで臆病な性質さ」


 ベルトランは酒瓶を手に持ち突き出した。男は杯をチラリと見た後に飲み干し、空の杯でもって注がれる酒を受けた。ベルトランは手酌し、互いに無言のまま杯を呷った。忠義の男は多感な性質らしかった。


「それで? 帝国の騎士殿は俺にどんな話をもってきたのかな」

「……船を用意してもらいたい」


 気落ちの中にも未だ熱いものを失わないままで、男はそう告げた。


「荷は軍事に関する全てだ。兵も、馬も、兵糧も、何もかもを運べる手筈を整えて欲しい」

「……量によっては手段を選ばないことになるが」

「いかなる手段も合法となる。そういう依頼なのだ、これは」


 低く力の篭る声だった。言っていることの重大さがそうさせるものか。


 この男は帝国軍がアスリア王国領に侵攻した後のことを話している。行禍原を越え、前線二領を蹂躙するだけに留まらず、更に軍を進めるつもりなのだ。ベルトランは視線でそれを確認した。重々しい頷きが応える。ベルトランは深呼吸することでもって初めの感想を示した。


「時期を聞いてもいいものか? 今日明日にもすぐにという訳にはいかんぞ、それは」

「夏と秋を越えて、冬だ。この町は新たな春を、今と違った旗の下に迎えることになる」


 帝国軍は大規模な作戦を二季節先に準備している。現在の行禍原は先だっての会戦以前と代わり映えのない状況だというから、何かしら決定的な戦果を挙げる策があるのだろう。ベルトランは静かに分析する。それは次の会戦での大勝を期してか。それとも別の何かか。あるいは両方か。


 分からなかったが、それはベルトランにとって何ら不安なことではなかった。彼は信仰者だった。己の分からぬものの答えを、上位より充分に与えられる立場の人間だった。分からぬままでも迷うことなく動ける人間だった。だから、赤心から無関心な返答ができる。


「春の終わりに次の春の話か……事が事だけに、気が早いとは言えんのかな?」

「……準備は整うか?」


 男の声にはハッキリと落胆が混じった。次第次第に前のめりになっていた身体を溜息とともに正す様子にもそれが分かる。ベルトランは気付かぬふりをして、しかし酒杯の裏に笑んでいた。どうやらこの密偵は工作員である以上に熱意の勧誘者であったらしい。王国内のエベリア人を訪ねている、とはそういう意味合いの言葉だったのかと納得する。密偵への指示や諜報網の調整ではなかったようだ。


「整う。しかし確実を期すならば手勢を増やしたいところだな。少数精鋭であることが我が屋の方針だが、規模のために手段を選ばぬとなれば話は別だ」

「それも道理か。人と金、どちらが望みだ?」

「奴隷商人に伝手がある。金の方が色々と都合がいいだろうよ」

「なるほど……そうだな。一人でも多くを拾ってやってくれ」


 男は思いを込めて言ったものである。ベルトランは承諾を答えつつ、この人情家の密偵を物珍しく眺めた。言外に託されたものがあった。エベリア人戦争捕虜の救済である。


 昨年の秋に一本の矢によって始まった両国の戦争は、“一矢二亡”の言葉のままに、多くの人間に災いをもたらし続けている。数えるほどの栄光の背景には無数の不幸が積み重なっているのだ。見えなくなるものの代表は死者であり、見えてくるものの代表は戦争捕虜であろう。強制労働と奴隷化。ベルトランも体験したことだ。


 そんなベルトランの境遇を思ってか、男は感に堪えないという眼差しで口元をへの字に結んでいる。好きなように思わせておけばいい……ベルトランは無言で酒杯を重ねた。後はもう金の受け渡しの他に話すこともない。多くを語れば綻びも出るものだ。


「……帝国に家族はいるのだろうか?」


 最後に男はそう尋ねてきたが、それはどこか悲しげで、万が一にも人質にすることを目的としていないように聞こえた。作ってそう話しているのならば恐るべきものだが、顔に隠しきれず浮かぶ安堵が演技でないことを証明してしまっている。余程、刃の潜む座敷は堪えたらしい。


「孤児だ。珍しいことでもあるまい」

「そうか……いや、詮無きことを聞いた。御免」


 夜闇の奥へと男は消えていった。右足の動きが悪くヒョコヒョコと上下する歩みだったが、決して振り返ることのない背中には静かな威風があった。それは騎士の後姿だ。仕えるべき主と果たすべき主命とを抱えた誇りある姿だ。見送る。


 尾行はつけなかった。つけるまでもなかったからだ。この町のどこに行こうとも端々にベルトランの耳目がある。果物をほうばる童にも、魚を干す老婆にも、門に立つ衛兵にも、どこにでも糸が繋がっている。金銭色のそれを伝って多くが行き交っているのだ。ヘルレヴィ領全域に勢力を持つベルトランにとって、この大町を掌握することなど雑作も無いことだ。ましてや教会の協力すらある。


「ドナルド・コレトス……か」


 ベルトランは男の名を口にしてみた。いずれ斬ることになるかもしれない。漠然とそんな予感を覚えた。死を知り、死を恐れつつ、死の間際を行動する……そういう気骨ある男へ死を与えることもまた、ベルトランの仕事だ。


 小さく虫の音が聞こえていた。


 夏の盛りには川べりの草むらなどは毎夜盛大なこととなる。しかし始まりは独奏なのだ。密やかに妖しく、惹き込むような強弱で響く。その後何匹もが奏で始めようとも、それらの音に隠れようとも、今響くこの音色こそが夏を呼んだ音となるのだ。だから魔力を帯びる。聴くものを酔わせる。


 ベルトランは近づいてくるものの気配を感じていた。


 戦乱はその賑やかさを減ずることなく、より力強くなっていくようだ。嵐となるのだ。大陸に生きるものは再び試されようとしている。今度は誰が死に、誰が生き残るものか。ベルトランは心が躍った。死の時代とは、つまるところ、彼の主の時代ということだから。


 喜びがあった。彼個人の生死など取るに足らないところでもって、時代が確かに加速していた。

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