第27話 さあ、戦争がはじまります
寸法を合わせて作られた甲冑は、重いというよりは暑い。密着した鋼の感触を味わう。自分が何かしら勇ましいものへと変身しているような気がして、少年は天を大きく振り仰いだ。高く透き通る青色の中には白雲が薄く素早い筆使いで描かれているように見える。胸が熱くなる。
「若様、上体を起こし過ぎです。落ちますぞ」
慌てて手綱を握りなおした彼の名は、ルーカス・ユリハルシラ。王国貴族の頂点たるユリハルシラ侯爵家の嫡子たる13歳だ。面覆いを上げた兜の中ではまだ幼さの残る顔が上気している。
「よくぞ助言してくれた、騎士団長。初陣を果たす間もなく落馬では父上に合わせる顔がない」
「そう気負いますな。初陣とは怪我せず終えることこそ肝要。馬術と同じです。まずは戦の視界にお慣れになることです」
「わかった。そう心得てはいたつもりだが、少し力が入っていたようだ」
馬上の姿勢をピシリと正して、ルーカスは己の周囲を見渡した。四剣方形の印章をあしらった軍旗が秋空にたなびいている。槍は林立して先に刃の鋭さを煌めかせ、鎧甲冑の重厚と軍馬の蹄鉄とが軍の音色を響かせている。揃いの鎧外套は色と模様の鮮やかさでもって一同の団結を表している。
(父上が戦場の勇を語る気持ちが分かるな、これは……!)
ルーカスは意味もなく股に力が入り、馬の速度を狂わせたことをもって再び騎士団長にたしなめられた。この一団の指揮官は騎士団長であり、ルーカスは彼に従うと約束している。
ユリハルシラ家傘下にある剣角騎士団である。騎士の数は六百騎で、いずれも重騎兵と呼ばれる姿だ。それぞれに従騎士として軽騎兵が1騎と、盾持ち、槍持ち、弓持ちの徒歩兵3卒が随行している。全体としては重騎兵六百騎、軽騎兵六百騎、徒歩兵一千八百卒となり、合計三千人の戦闘集団となるのだ。
正確には、今ここに行軍するのは三千人と2人である。
「落ちつかなければ思うほどに落ちつけない……先生、どうすればよいだろうか」
「今朝何を食べ、昼に何を食べたいか考えるといいでしょう。夢の度合いが薄まります」
サラリと答えたのはダニエル・ハッキネン男爵である。ルーカスの相談衆であり、他の者とは違う講義をもって貴族の在り様を教える男だ。勇者伝説にその名を知られる故ハッキネン子爵の息子であり、また、弟でもある。そしてヘルレヴィ伯爵領に勇名を馳せるハッキネン護衛団の団長だ。
「食事か……なるほど、確かに落ち着いた。そういえば野戦料理というものを私はまだ知らない」
「クワンプ料理など経験すると面白いでしょう。歯ごたえがいい」
「クワンプか。騎士たるもの愛馬と食材を共にするのも道理かもしれない。試してみたいな」
やはり先生は他の者とは一味違う、と内心で唸るルーカスである。彼が屋敷に住み込むようになってもう3年が経つが、教わる知識もさることながら、彼が当意即妙に応えるいちいちがルーカスを感じ入らせる。切り口が他の貴族や軍人と異なるのだ。
自ら多くを語る人物ではない。それすらも珍しさがあるルーカスだが、彼の発言を色々と分析していくと1つの結論に至るのだ。即ち、ダニエル・ハッキネン男爵という男の内部には鋼鉄の芯の如きものがある。信念と言ってもいい。それゆえ環境に左右されず自立することができる。結果、物の見方も発言も自ずと独自のものになるのではないか。
態度に追従やおもねりがないこともルーカスには好ましい。これは家門の武人たちにも共通する良いところと言える。しかし、彼らが軍人としての忠節をもってそれを体現しているのに対して、ダニエルのそれは何とも正体不明の高潔さに思えるのだ。ルーカスはそれを志ではないかと考えている。こうあるべきという規範を必要としない強さ……それはどこか父クラウスの姿に重なって見えるのだ。
だからなのだろう、とルーカスは兜の中で頷いた。
ルーカスには五つ年上の姉がいるが、その彼女がダニエルを慕っているのは間違いない……少なくともルーカスはそう確信している。彼にとってそれは快事だった。母亡き我が家である。姉の幸せを願うことにかけては、父をも凌いで自分が世界一位であるとルーカスは自負していた。
アマリア・ユリハルシラ。18歳だ。彼女は本来ならば嫡子となるべき長子だが、父クラウスの意によりユリハルシラ家を継がないものとされている。父がそう決めたことについては色々と思うところのあるルーカスだ。しかしそれが権門の家督争いとならないのは、ひとえにアマリアの人柄の為せる技だと考えていた。
優しいのだ。穏やかなのだ。慎み深いのだ。淑女とは彼女のためにある言葉である。他者の喜びを己の喜びとして笑み、自らよりも誰かを優先することが当たり前の生き方には聖なるものがあって輝かしい。そんな彼女こそが世界で一番幸せになるべきであって、そんな彼女が恋い慕うのならばそれは万人に祝福されるべき恋路である……ルーカスは手綱をギュっと握りしめ、そして馬を減速させたことによって騎士団長に注意された。ルーカスは反省した。
「どうにも駄目だ。色々と興奮することが多すぎる。決して行楽気分でいるわけではないのだが」
「……思うまま言葉に出してみては? 秘めれば強まるものです」
「なるほど、それは真実の言葉だ。先生、姉上を幸せにしてほしい」
「さて……?」
「別にふざけたわけではないぞ。姉上にはいつだってニコニコと笑っていて欲しいのだ」
「ルーカス様の無事こそがアマリア様の最も望むものでしょうに」
「おお、それもそうかもしれない。うん、そうだ、大事なことだなあ!」
ルーカスは見送りに出てくれた姉のことを思った。不安げで、切なげで、それでいてルーカスを勇気づけようと健気に笑おうとしていた様子を。その瞳に潤んでいた涙を。
「戦場なのだからなあ、ここは」
勇壮な騎士団の先へと視線を放ったならば、そこには見渡す限りの原野が広がっている。右方北に天境山脈の稜線を眺め、左方南に紫雲海の遥かを思う。幾千幾万の将兵たちは何を思ってここに戦い、何を思い残してここに果てたものか。ルーカスは大きく深呼吸をした。腹の底に力を漲らせる。
(私はここに来ているのだ。ついに。己の何たるかを試みるために……!)
ここは行禍原。
アスリア王国とエベリア帝国との間に広がるこの大原野こそが、両国が長きに渡って何度となく戦いを繰り広げた戦場である。この地を抜けることは相手国へと攻め込むことだ。互いに負けることは許されない。かつてこの地の大会戦に敗北したからこそ、アスリア王国は滅亡の危機に晒されたのだ。
そんな十数年前の屈辱を軍靴で踏み締め、別色に塗り直すようにして……進む。
今、ルーカスら三千と2人は行禍原を西へと行軍している。周囲に他の部隊の姿は見えないが、そう遠くないところを同じように行軍していることは間違いない。こちらが放つ斥候の軽騎兵と、いずれかの友軍の軽騎兵とが情報交換などして帰ってくる。これは部隊単位での哨戒任務なのだ。
指定戦域へ他部隊との連携を保ちつつ進み、敵と遭遇したならば、可能な限りこれを討つ。
無理をする場面ではないが、無為に見逃す必要もない。無理にならない範囲で敵と戦い、敵を測る。各部隊とも交戦の自由が認められている。先立って行われていた脅し合いとは訳が違う。もう両国は一線を越えてしまっているのだ。
休戦協定は破棄されている。両国は戦争状態に入っている。
しかし開戦の切っ掛けは何とも締まらないものであったとルーカスは聞いていた。
1本の矢である。小部隊同士が睨み合いになり、同規模であったためどちらが先に転進するかで意地の張り合いになっていたという。それはその時期の行禍原では各地で発生していた事柄であり、その意味では開戦は満水の水が自ずから零れ溢れただけのこととも言えるが、しかし1本の矢が放たれたことが開戦を決定づけたこともまた否定できない。
アスリア王国兵が威嚇のために放ったその一矢は、上手くにか下手してか、エベリア帝国兵の軍馬の鼻先をかすめた。血が僅かに滲む程度の傷だっただろうが、それで馬は棹立ちとなった。騎乗していた兵を振り落として駆け出した先は王国兵の方向だった。徒歩兵を1人蹴倒し踏みつけて、そのまま何処かへ駆け去ったという。
落馬した帝国兵は打ち所が悪く命を落とした。蹴倒された王国兵もまた踏まれ所が悪く、助からなかった。1本の矢が2人の命を奪ったのである。この事実をもって誰が言ったか「一矢二亡」。不幸な偶然は思いも寄らない災いに繋がるという意味の言葉だ。ルーカスは言った誰かを不謹慎に思う。
無論、両国においては不幸な偶然などとして済ます気はなかった。帝国側は王国が矢を放った事実を糾弾し、1人の騎兵の戦死を悼むと共に、休戦協定を予告なく破られたのだと主張した。王国側は王国側で、当たったかどうかも分からぬ一矢で棹立ちになるなど帝国軍は軍馬の調教を知らぬと嘲笑し、そのため軍馬が暴走して王国兵を殺されたのだと主張した。休戦協定を破ったのは、馬とはいえ帝国軍の側であったのだと。
その後の動きを例えるとして、雪球が坂道を転がり落ちる様を挙げるべきか。それとも僅かに始まった火がたちまち燃え広がる様を挙げるべきか。ルーカスは一抹の恐怖を覚えつつ状況の推移を聞いたものだ。前線では小部隊間の偶発的とも思えない事故による死傷者が重なっていって……やがて、両国の宣戦布告が轟き渡ることとなった。開戦である。
ルーカスは残念に思ったものだ。戦争の始まりとはもっと正々堂々とした宣言によって成されるものと考えていたからだ。今回の始まり方にはそれがない。まるで暴れる犬の手綱をば御しきれず手放してしまったかのような、そんな情けなさを覚えた。
しかし、それでも、戦争とは雄々しく戦うべきものだとルーカスは信じる。
それが誇り高い義務だと考えるからだ。侯爵家として広い領内に多くの民を住まわせ富ませることは、領主の義務と責任なのであって、それ以上の何物でもないとルーカスは思う。侯爵家がどうしてその立場にあり、どうして王に面し意見する権利を有するのか……その理由こそが闘争なのではないか。誰よりも勇気溢れる戦いを、誰よりも力強く戦うことをもって、大なる権利の正当性を主張できるのではないか。そう在り続けることがユリハルシラ家の義務なのではないか。名誉なのではないか。
ルーカスは省みる。身を包む甲冑を、尻の下に躍動する軍馬を、周りを囲う騎士団を。それら全てが一個の人間よりも強く逞しい。対して、薄く汗ばむ己の肉体とその内側の心を思う。いかにも頼りない。ただ在るがままでは到底釣り合いがとれないのだ。それが偽らざるところの己だとルーカスは自覚している。
だから、雄々しく戦おう。その義務を誇りをもって果たそう。ルーカスはムフムフと鼻息を盛んにすることで己の内圧を調整した。そう何度も騎士団長に正されてばかりはいられない。圧の高まりは言葉にしても減じられるとか。ルーカスは口を開いてそれを実行する。
「なあ、先生。戦争は好きか?」
「好いていいものとも思えませんが……」
「うん、私もだ。好んで起こすべきだとは思えない。けれど高揚がある」
「これのせいもあるでしょう」
ダニエルがその身を包む甲冑の胸当てを指した。止め具のところに男爵家の紋章が確認できる。やや線が細いものの美しい騎士の姿だとルーカスは思う。そしてそれはダニエルの芯にある何かのためだろうとも。
「人と衣装との関係は主従の逆転があるように思えます。衣装に合わせて気分が変わる……戦装束をまとっていれば、やはりその気にもなりましょう」
「そういうものか……うん、そういうものだなあ。剣を持っても人を斬りたいなどとは思わないが、甲冑は少し違う。その気になる。私は多分にその気になっていた」
ルーカスは笑った。自分が未熟にも武装に浮かれていたのだとして、周囲の三千もまた同様に浮かれる気持ちを仄かにでも持っていたのなら、それはとても愉快なことに思えたのだ。
「この先に敵と出会うのだろうか」
「さて……?」
「先生はわからないことには本当に何も答えないなあ」
更に言葉を重ねようとして、しかしルーカスは黙ることになった。騎士団長に止められたのだ。今し方北側から戻った軽騎兵が鋭く言葉を発している。騎兵を含む敵兵力が移動した足跡を発見したそうだ。しかも新しさからいって、そう遠くない位置に今も存在すると思われる。
ルーカスは緊張しつつも、やはり少々の残念を感じた。向かう先に敵と出会うのではなく、お互いに気付くことなくすれ違っていたらしい。どうやら、実際の戦争とは英雄譚のような劇的な展開にはならないようだ。
「若様、進路を変更して敵を追うことに致しますが、宜しいでしょうか?」
「勿論だ。騎士団長の思うようにやってほしい。私もなるべく足手まといにならないよう全力を尽くす」
「承りました。では……」
軽く一礼し、騎士団長の号令が発せられた。
「全軍、針路を北に変更する。敵の足跡に至ったならば東進して後を追うぞ」
騎士団が動く。これまでよりも鋭気を高めて一個の生命体のように動いていく。戦いが始まるのだ。ルーカスはブルリと身震いした。恐怖からではない。自分が騎士団という巨獣に乗って敵へ挑むかのような錯覚を覚えたからだ。初めて馬に乗った時の事を思い出した。
(なるほど、これか……ここからが本当の、戦の視界なのだな)
駆ける。走る。敵を求める。
ルーカス・ユリハルシラの初陣が始まろうとしていた。




