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第23話 王都は遠くありにけり

「それは見物だったろうな。私も同席したかったものだ」


 脳裏に様子を思い描いたものか、ダニエルは愉快げに笑んだ。王都の多彩を浴びた姿はいよいよもって男振りを増しており、時と場所を選ばない色気を放っている。アクセリはそれを少々気の毒に思った。共に剣槍を並べた頃に比べると痩せている。日々の心労が知れた。


「私も興に乗った自覚がありますからなぁ……ヘルレヴィ伯がマルコの両手を取った時には面白さ半分、恐ろしさ半分でしたな。顔を伏せながらも冷え冷えとした視線が私を射ておりましたので」


 そうアクセリが言えば、ダニエルは堪え切れないとばかりに哄笑した。そして酒杯を酌み交わす。高い店には高い酒と高い酒肴が揃うものだが、貨幣で購えるのはそこまでというもの。いつだって得難きは語らう相手と語る種である。


 王都の高級酒場の一室にて2人が話題にしているのは、先のヘルレヴィ伯爵領におけるマルコ表彰の顛末である。


 演出された危機の中で情緒不安定にでもなっていたものか、マティアス・ヘルレヴィ伯爵は表彰する対象に過度の振る舞いを見せたのだ。形式を重んじるはずの彼が壇上からマルコの側へと歩み寄り、口からは絶賛を止めないままに握手などを求めたのである。周囲は面食らい、一種異様な居たたまれなさを味わうこととなった。


 アクセリがやり過ぎたのである。過剰演出だ。


 マルコの策の中に「領主との握手」は予想すらされていなかった。辺境の村の子を使って慶事を演出し、領主の面目と立場を救う……そう献策することによってアクセリの発言力を増すことが目的だった。マティアスを揺さぶり、混乱させ、そこへ光明をもたらす。アクセリへの依存心を高めるのだ。


 その後の流れは幾つかの選択肢が用意されていたが、マルコがパウリーナを選択したことにより、彼女の親衛団を発足させることになる。そうなるようにアクセリはマティアスを誘導したのだ。


 全てはマルコの思い描いた通りに進んだ……いや、進んだはずだった。概ねは予定通りだったと言うべきか。その時点における策の実行者が予定に変化を与えた影響だ。


 アクセリである。彼は思ってしまったのだ。マルコをただ善良な村人としてのみ世に出すのはいかにも惜しいと。もっと大々的にできないものか。もっと多くを得てもよいのではないか。マルコが軍を率いることは確定の未来だが、その軍を1兵でも多く、1槍でも充実させるために何かできないものか。


 家名だ。アクセリはヘルレヴィ伯という王国の重鎮を利用して、マルコに家名を得ることを欲したのである。名字もない平民の出自では多くのことが彼を制約する。例えば親衛団の団長に就任することもできない。将来的にはそんなものは意味をなさなくなるだろうが、その将来までをより強力な体制で進んでいくために、己の力量を発揮したくなったのだ。


 具体的には、ヘルレヴィ伯に対して徹底的にマルコを褒めそやした。彼の清廉潔白は褒美を求めないことで分かり、彼の頭脳明晰はキコ村の冷害対策で分かり、彼の精励恪勤はキコ村の納税状況で分かる。献身と勇気は言うに及ばず、正に彼のような少年を育んだことこそが閣下の善政の成果である、と。


 それに前後して、ありもしない危険を指摘したり、ヘルレヴィ伯のこれまでの苦労を労ったりもしたアクセリである。自分への依存心を高めることは任務である……そういう名目の下に、己の策を捻じ込んでいったのだ。


 そして策は成り、中年の伯爵が感極まったように少年の手を取ることとなる。ヘルレヴィ伯は平民であるマルコを伯爵家の分家へ養子として迎えたいと発言した。マルコがそれを受諾しさえすれば、王国に貴族が1人増えることになっただろう。家名を得るのだ。


 しかし、マルコはそれを拒否した。


 へりくだり丁重に固辞するその姿は美談の質を高めたかもしれない。ヘルレヴィ伯もより強い感動を味わっていたようだ。アクセリにはそれが自己賛美の一種であると知れていたが。


「マルコは貴族の利用価値を知っている」


 不意に聞こえてきたダニエルの声に、アクセリは視線を上げることになった。いつの間にか杯の水面を見つめていたようだ。


「少なくとも私よりは知っている。その性質もだ。王都で動く日々は、私にとって貴族の勉強のようですらある。受身に生きてきた日々の蒙昧を痛感するよ」


 そう言って杯を呷ったダニエルは、静かな眼差しでアクセリを見た。


「卿が何を思って指示を越えたのか、私は理解しているつもりだ。その上で言わせてもらう。マルコを政争の表舞台に立たせるのは時期尚早だ」


 今まさに政争の渦中に在り、身の処し方を精密にすることをもって戦う男の発言だった。責める口調ではない。しかしその迷いのなさがアクセリに響いた。


「……ヘルレヴィ伯の分家では、得るもの以上の厄介を抱え込みますか」

「その通りだ」

 

 断言した口調からは、ダニエルの予想する厄介の大きさが窺い知れた。


「第1王女が権力の頂点に立つ今、四侯六伯はかつてのような結束を失いつつある。派閥闘争が激しいのだ。それは内と外とに2つの矛先を持つことによって一応の平穏を保っているのだが、わかるか?」

「ふむ。外はエベリア帝国の他に選択肢もありませんな。内については……」


 アクセリは思案し、1つの可能性を見つけて笑みを失った。第3王女パウリーナ。彼女が貴族内で嫌われていることも孤立していることも知ってはいた。しかしそれは1人の権力者の個人的な感情に端を発するもので、周囲がそれに同調するのも類似の感情や追従の類であると考えていたのだ。


「まさか……」


 仮にも王族の人間を、国内の政治的結束を維持するための犠牲として迫害するものなのか? できるものなのか? それは諸刃の剣もいいところだ! 王の権威を傷つけ失墜させたならば、貴族は台頭し、王国には内乱の未来さえ見えてきてしまうではないか……アクセリは困惑せざるをえない。


 しかし、ダニエルはただ静かに顎を引くのだ。 


「そのまさかなのだよ。正確には彼女だけでなく、彼女の母方の家と併せての“羊”だが……ヒルトゥラ元伯爵家の人間を裏切り者、貴族の面汚しと非難することは王都の常識なのだ。そうしないと不安でならないのだろう。何といっても、一度は国が滅びかけたのだからな」


 ダニエルの瞳が暗く酒杯の内を覗いている。そこに何を見ているのか……端整な口元が歪められていく。


「アスリア王国の貴族など、所詮、誰もが成り上がり者なのだよ。先祖代々の土地を奪いに奪われ、もうこの先には魔境の森しかないという所にまで追い詰められて……だからこそ勇者にすがったのだ。勇者を通じて教会にすがったと言うべきかな? 教会の権威も、聖騎士の兵力も、咽から手が出るほど欲しかったに違いない。事実その助力を得て息を吹き返し、死に物狂いで勇者を押し立てていったのがあの戦乱だ。貴族の品位など望むべくもない。互いに顔色を窺い合っているのが王都の真実だ」


 薄く笑ったダニエルの顔を、アクセリは痛ましい思いで見る。想像以上に王都の闇は深いようだ。マルコの指示とはいえ、孤独な戦いを強いられているダニエルの心労はいかばかりか。


「全く……貴族が頻繁に酒宴を開く意味を知った思いだよ。皆、夢にすがりたいのだな。勇者の悲劇も、魔人の火刑も、私の父と兄の英雄譚も、何もかもが夢幻の霞の向こうにある。真実の姿はさぞかし血生臭く悲惨なのだろうな」


 長く切ない吐息だった。


「話がずれたな。つまり、卿が考えている以上に此度の親衛団設立は危険な一手だったということだ。それを成し得たことこそマルコの策の凄まじさだが……彼がヘルレヴィ伯を選んで利用したことには理由がある。知っていよう?」

「第1王女らにおもねらない生真面目さですな。良く言えば、ですが」

「そう、あの男は良くも悪くも己の狭い了見でしか事を動かさない。今回のことも筋が通っていたからこそ策が通じたのだ。それを周囲がどう受け止めようとも、あの男の中で理屈が整ってさえいればいい。その理屈を分からない者たちが悪い、と考えるのだからな」

「何とも不器用な御人ですからなぁ」

 

 2人は揃って苦笑した。互いによく知る人物である。


「しかし、それならば伯の分家を名乗ったところでさして波風は立たないのでは? もとより面倒な家と思われているわけですし……まぁ、味方を得ることも難しそうではありますがね」

「そうだな。確かに貴族内での様々については充分に対処できると思う。百戦して百勝するような道のりにはなるだろうが……時間はかかっても、マルコが負けるとも思えない」


 これには2人して頷く。互いに厚く信じる主君である。しかし、とダニエルが続けた。


「教会が問題なのだ」


 それは忌々しさを舌の奥に味わうような言い方だった。


「マティアス・ヘルレヴィ伯爵という男は教会の権威を軽視している。坊主が政治に関わるな、という態度でな。現在の影響力の強さを不当なものだと非難して憚らない。これについては王国貴族の誰もが多少とも感じていることだから、むしろ貴族内でのあの男の声望を支えていると言っても過言ではないが……」

「第1王女は面白くないでしょうな。かつては聖定の勇者と恋仲で、今の夫は元聖騎士なのだから」

「その通りだ。王国における教会の影響力は戦乱の中に確立されたものだが、現在では彼女の望んだ結果という面もある。侍女武官の件は卿も知っていよう?」

「宝剣の話ですな」


 3人の王女それぞれに侍ることになった侍女武官のうち、第3王女パウリーナに侍るヴィルマについてのみは教会から宝剣が贈られなかったという事実がある。


「嫌がらせのために第1王女が教会を動かしたものと思っていましたが……これまでの話を聞くにつけ、違うように思えてきましたな」

「そう、宝剣の事は教会が迫害に手を貸している証のように私は思える。そしてそれは今日の承認式を聞いて確信に変わりつつある」


 承認式。今夜、ここ王都にアクセリがいる理由である。第3王女パウリーナの親衛団を発足するに当たり、その作業の殆どをヘルレヴィ領で済ませたとはいえ、団の承認は王城によって執り行われるものだ。本来であれば団の総員をもって王の閲兵を受けた後、王女の言葉と大司教の祝福とによって団の設立を認められる。しかし状況から略式で済ますことにされたのだが。


 道中の安全が確保されていないことを理由に王女はヘルレヴィ領領城から出ることが叶わず、それを守護するための親衛団もまた領都へ留め置かれた。ただ1人団長のアクセリのみが王都へと早駆けたが、王は病臥から承認の言葉のみを官吏に代弁させ、教会からは大司教はおろか司祭1人として派遣されてはこなかった。


 そんなものだろうと気にもしなかったアクセリであるが、ダニエルから話を聞くにつれ、見えていなかったものが見えてくる。第1王女不在の王都でこのような扱いを受ける、その意味が。


「教会の影響力は相当のものだ。四侯六伯の権威はそれに充分に対抗できるが、今はその結束が望める状況ではない。そこにマルコの養子縁組が絡むと、どうなる?」


 アクセリには知り得なかった情報が今与えられ、それを1つ1つ繋げていくと見えてくる風景があった。思わず背筋に寒いものが走るアクセリである。ダニエルの言葉が続く。


「教会に批判的なヘルレヴィ伯。その彼がわざわざ養子に迎えてまで抜擢した村人。王への忠誠を大々的に喧伝されたその少年を、教会が迫害する第3王女の親衛団の一員とする。家格からすれば団長ということになるな。その結果は……」

「……第1王女からも教会からも目の敵にされますな。派閥を作ったことにはならなくとも、教会への宣戦布告のような人事になる」

「そうだ。マルコがただのマルコでいるかいないかによって、この策は思わぬ災厄をも生じさせたのだ。絶妙な均衡の上に成ったのだよ、今回の親衛団設立は」


 そう言い切ったダニエルは、ゆっくりと酒を注ぎ足し、それをまたゆっくりと飲み始めた。アクセリはその様子を見るとはなしに見つつ、両の膝を強く握っていた。己の浅慮が憤ろしいのだ。策を施す相手が慣れた人物、その力量を見切ったと確信する人物であったからこその軽挙であったようにアクセリは思う。


 どこまで先を見られるのか、どこまで遠くを見られるのか……つまるところそれが策謀の威力となる。アクセリはその脳裏にマルコを思い描いた。己の姿を見つめ直すためだ。あの伯爵を前にして思い上がった自分を、主君の碧眼を意識することで正したかったのだ。愚かな自分のままでいたくはなかった。


「私は……まだまだですな」

「何、私もさ。まだまだ己の非力を憂うばかりだ」


 静かな酒が重なった。そしてダニエルが言う。


「アクセリ、卿は白狼君の物語を覚えているか?」

「ああ……そんなこともありましたな。今の耳には痛い話で」

「そうでもないさ。お互いに役割を果たして時機を待とう。白狼君に代わるもよし、共に噛みつくもよし、先んじて射落とすもまたよし……やるべきことは無数にあるのだから」


 ダニエルは笑んでいた。その意味を分かるつもりのアクセリである。グイと酒杯を呷り、その僅かな動作の間に顔を笑みの形にした。今回は勇み足をしてしまったが、それで挫けてしまうほど柔でも初心でもないつもりのアクセリである。主君がいて将たる己がいるのだ。力は幾らも湧いてくる。


 2人は酔い、多くを語らって……そしてまたそれぞれの戦場へと向かう。


 どちらの目にも、己の全霊をもって行動するものの気概が燃えていた。

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