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第22話 余計なモノはいりません

 側に立つ文官も、壁際に立つ武官も、果ては壁にかかった絵の中の人物でさえも、その目をチラチラギョロギョロとさせてこちらを窺っている。閉じた口の内に埒もない雑言を咀嚼し、貧相な頭の中で碌でもない空想を弄んでいる。彼はそう確信する。


(愚者どもめが。どいつもこいつも何もわかっておらん!)


 領城の玄関広間をソワソワと歩き回りながら、マティアス・ヘルレヴィ伯爵は己の前歯を手の爪で擦っていた。早朝から続けていたためか爪も歯もツルツルとしてきていて、小刻みにキュッキュと音を立てている。腹は冷え冷えとするばかりで、朝食をとる気にもなれない。


 そこへ兵の1人が駆け込んできて、マティアスは跳ね上がるほどの反応を見せるも、自分から駆け寄ることはしなかった。顎を引き、両の足を開いて兵を待ち受ける。


「騎兵隊の姿が見えました! 間もなく門に到着します!」

「うむ! よし! 兵だの捕虜だのはどうでもいい、とにかくここへ王女殿下を無事にお連れするのだ! アクセリ、アクセリもだ、奴には最後まで油断せず職責を全うしろと告げよ!」


 マティアスは捲くし立てて、更に幾つもの命令を発した。王女一行に代わって門前へ騎兵の兵列を展開せよ、門は閉じて城壁上には弓兵を並べよ、街への戒厳令は徹底させよ、兵も民も不審な行動をとった者についてはこれを即座に逮捕せよ、と。


 やがて馬車は領城へと入り、玄関広間へと王女が姿を現したならば、マティアスは威儀と礼容とを完璧なものとして跪いたのだった。


「王女殿下の御身に危険のありましたこと、そしてそれが嘆かわしくも我が領内の不心得者の愚挙であること、誠に誠に遺憾でありますとともに、それを未然に察知できなかった我が身の非才不肖を深く深く恥じ入るところにございます。そもそもこれは……」


 床の石畳を睨みつけながら言葉を重ねに重ねるも、それは躊躇いがちな侍女武官の声によって遮られた。マティアスは舌打ちしそうになった自分を抑えた。伯爵たる者の口上を王族以外が妨げるなどあってはならない。しかしその一方で、王族の前で舌打ちする者もまた度し難いからだ。


「王女殿下におかれましては、一先ずは……」


 続けようとして、足音も物音もどうにも様子がおかしいと気付いたマティアスである。見れば王女は立ったままうつらうつらと船を漕いでおり、侍女武官がそれを必死の形相で支え、直立に保っている。再びの舌打ちをマティアスは堪えた。


 第3王女パウリーナの無知蒙昧ぶりを知らない貴族はいない。政治力も経済力もなく、貴婦人としての美貌もない。名ばかりの王位継承権を抱えて、ただ離宮に篭るだけの人物だ。


 しかしマティアスはこの王女を嫌っていない。王族には二種類しかいないと断じているからだ。即ち、金を使う王族と金を使わない王族である。クウィン織物のドレスを何着もせがみ、宝石で己を飾ることを仕事か何かと勘違いしている第2王女などに比べれば上等の王位継承権者だ。馬鹿は馬鹿だが。


「……王女殿下の良いようにせよ。職務を果たせ」


 言いつけてやれば、侍女武官は畏まって命令を受諾し、王女を介添え去っていった。思わず溜息の出るマティアスである。後ほど再び口上を述べなければならない。それが筋であり、その道理の内にて己の責任問題に対処するしかないのだ。


「閣下、まずはおめでとうございます」


 この状況でそんなことを言う人間は決まっている。アクセリ・アーネル領軍大尉。軍事任務においても領内内偵任務においても実績のある男で、領都騎兵隊の隊長だ。マティアスにとっては何かと役に立つ男であると同時に、どこかに不真面目さを感じる男でもある。


「何がめでたいものか。早馬から報告されたが、歩兵隊の百卒全員が謀反人だったというではないか」

「は。半分は斬り半分は捕縛しました。牢屋に放りこんでありますが、尋問はいかがしましょう?」

「必要ない。こちらもあの馬鹿者を捕らえたからな。あれを尋問した以上のことは出るまい」


 牢で泣き叫んでいた男を思い、マティアスは頭痛を覚えた。何を血迷ったものか……第3王女の暗殺を企てたその男の役職は領都歩兵隊隊長である。


「それより道中はどうだった。馬賊は出たのか? 帝国兵が侵入しているという噂もある。領都周りの安全は確保できているのか」

「帰還した百騎をそのまま哨戒任務に駆けさせました。迎えに寄こしていただいた九百騎は、まあ、全て門前に配せとのことなので」

「うむ、歩兵隊は信用できんからな。あってはならぬ事態だぞ、これは……!」


 今度こそは誰憚ることなく舌打ちしたマティアスである。領都の常備軍は三千人であり、それは兵種から騎兵、歩兵、弓兵と分かりやすく三等分した編成となっている。戦争至上主義者はその横割りに割り切った組織図を実戦的でないと指摘するが、マティアスに言わせれば軍閥を生まず運営経費を削減できる素晴らしい軍編成だ。動かしにくい手足は必要ない。


 その三千人の内、歩兵部隊の百人が王女を暗殺しようとしたのだからとんでもない話だ。それを命令したのは歩兵隊隊長で、事が成った暁には自分が領軍大佐……三部隊を統括する長であり、今はマティアスが領主職と共に兼任しているもの……それに出世できると信じ込んでいたらしい。


 馬鹿げている。だから軍人などというものは信用できん、とマティアスは確信を新たにしたものだ。領内で王女暗殺などが起こった日には、関わった軍人など尽く死罪に決まっている。マティアス自身もただでは済むまい。命はともかく領地と役職、そして爵位が危ういことは確実だ。


 しかも宮廷情勢はマティアスにとって極めて不利な状況にある。戦争を浪費と嫌う姿勢から長らく軍部に煙たがられてきたマティアスだが、貴族内でも開戦派が勢いを増すばかりで、その筆頭となっているのが第1王女エレオノーラなのだから溜息が出る。王には一刻も早く健康を取り戻してほしいというのが本音だ。そもそも、兵站の重要地域である北東をマティアスが統治しているのは王の意向である。過不足なく粛々と職責を果たしてきたものだが……汚点があることは否めない。


 馬賊である。たび重なる襲撃により軍事物資の輸送計画には無視できない停滞が発生した。それは前線の戦力充実を遅らせたことを意味する。馬賊が鳴りを潜めた今となっても、軍部や開戦派からは不信感をもって見られるマティアスである。


 そんな中にあって、このところの王都ではマティアスに関する不穏当な噂が飛び交っているという。戦争についての見解は彼個人の信念として何ら恥じるところもないが、輸送計画の停滞を意図して行ったと言われるのは心外も甚だしかった。開戦派貴族たちの興奮には空恐ろしいものがあるという。今この時に王女暗殺などを領内で許したならば……マティアスには忌々しい未来しか思い描けない。


 そういう意味では確かにめでたいことではあった。目の前の男が奮戦した結果、最悪の事態は免れたのである。しかしマティアスは眉根を寄せるばかりだ。王女を城外遠くへ連れ出して暗殺の危険を高めたのもまた、目の前の男である。


「……お前はこの事態をどう見る、アーネル大尉」

「どう、と申しますと?」

「今後の動きのことだ! パウリーナ様は無事だったにせよ、襲撃があったこと自体は隠せん。エレオノーラ様は河を挟んですぐ近くにおいでになる。どう……どう動くのだ。私はどうすれば……!」


 今、マティアスは前例のないことばかりに取り巻かれている。しかも全てが数字で測れない種類の厄介事だ。こういう状況は彼の最も嫌うところだった。丹念に準備し、淡々と処理することが好きなのだ。万事は静穏な内に進行すべきであり、行き当たりばったりな対処など忌避すべきものと考えていた。


「凶事とは減じたところで凶事。ここはいっそ吉事に転じせしめてはいかがかと」


 思いがけず明るい印象の単語が聞こえてきて、マティアスはまじまじと己の部下の顔を見てしまった。この男が何かにつけ明敏であることはわかっている。態度こそ難があるが優秀な男なのだ。そうでなければヘルレヴィ領軍の精鋭たる騎兵隊を預けはしない。


「……申してみよ」


 マティアスは肉体よりも頭脳を重んじる。この男にある程度の……少なくとも領内の武官では最高最大の信頼を寄せているのは、武功や軍才が理由ではない。領内の不正を摘発し、合理をもって諸事の歪みを正した功績によってである。すがる思いがあった。


「暗殺者たちを撃退するため、私は村の人間たちを使いました。我々に協力することは領民として当然ですが、中でも村長の息子が目覚ましい働きでもって王女殿下をお護りしたのです。この献身を民の鑑として表彰したならば、領内は辺境にいたるまで王国への忠誠心が満ち満ちているものと示せますな」


 それは安く払って高く得る策であると思えた。マティアスは計算する。このところのヘルレヴィ領は、馬賊の被害がなくなった反動か、商人や村人など民が強い土地柄と言われている。予定通りの税収が上がることをマティアスは満足しているが、それを支配統治の緩みと危惧する者もいた。外聞を良くするための美談は得るところが大きい。かかる事態にあっては尚更だ。


「ふむ、良策ではないか」


 少し身体に生気が戻ってきたように思うマティアスである。


「領政についてはそれでよろしいでしょうが、まあ、問題は領軍ですな」


 やれやれ困ったことです、と横に振られるその首をマティアスは絞めたくなった。この男はこういうところがある。いちいちに余計な稚気を挟んでくるのだ。この口を介さずに頭の中身だけを引きずり出せたなら有用だろうにとマティアスは思う。


「暗殺者が領軍なのですから、それを討ったる戦功を高らかに誇れるわけもありません。所詮は同士討ちですからな。ここは別の切り口で軍の誇りを示さなければならんでしょう。そこで妙案があります」


 片目をつぶるな、人差し指を立てるな、早く先を言え……そんな諸々をグッと堪えるマティアスである。


「閣下の号令でもって、王女殿下の“親衛団”を設立するのですよ」


 その言葉は強い衝撃でもってマティアスを一撃し、そして活路を見出した確信でもってその身を震わせた。眼潰しを敢行し指を圧し折ってやりたかったはずの男が、突如として中々に魅力的な人物として目に映った。それは確かに妙案だったのだ。


 親衛団。


 それは領軍からも国軍からも独立した軍だ。同様の特徴を持つ“騎士団”との大きな違いは仕える主にある。騎士団が有力貴族の私設軍であるのに対し、親衛団は王族の私設軍であるという点だ。そしてその違いにより国庫からの資金援助を受けることができる。王族の特権だ。


 そして、現在のアスリア王国に親衛団は1つとして存在しない。王都が安全圏にあることも理由だが、派閥を構成する貴族たちと王族との関係が親密であることが何よりの理由だ。騎士団が王族の私的な軍として動くのだから親衛団を組織する必要がない。むしろ相互不信の証になってしまう。


 ところが、唯一第3王女パウリーナだけは状況が異なる。


 彼女は貴族内で完全に孤立しており派閥など無縁の存在だ。女官すらおらず、侍女武官に田舎騎士の娘を迎えるのが精一杯である。そんな彼女が命の危険に晒された。それを王国の威信を損なう事態として憂う伯爵が1人。そう、事は領軍の規律云々ではないのだ。マティアスの体に熱と力が戻ってくる。


「そう……そうか! 騎士団でなく親衛団であることが大事なのだな!」

「然りです。親衛団であれば閣下が発足したとして主催するわけではありませんから、王女殿下を中心に派閥を形成したことにはなりますまい。王国への忠誠が厚いゆえの義挙であり、誰よりも王女殿下の暗殺未遂事件を重く受け止めていることの証左。それに……」


 最後にまた片目と人差し指をする。勿体つける。しかしマティアスは許した。


「親衛団は国庫負担のはずですから、閣下が出資した分はしっかりと補填されますな」


 それくらいはわかっておるわ、とマティアスは上機嫌に笑ったものだ。だから気付かなかった。己の選択が大陸の歴史に刻まれた感触を。極めて重要な出来事であるとして太字で表記される今この瞬間を、何も気付かぬままに笑っていた。彼には彼の窮地を脱する道が見えていた。隣でほくそ笑む騎兵隊隊長が見ている道などまるで気にしていなかった。


 そして、アスリア王国に1つの軍が結成される。


 第3王女のための軍。王国にただ1つきりの親衛団だ。


 パウリーナの宝物である白布。彼女の得意料理の練麺。その2つを象徴するものとして作られたのは白く長く棚引く軍旗……人呼んで“白流旗”。それを掲げるのは千五百人の武装集団だ。


 団長はアクセリ・アーネル元領軍大尉。第3王女暗殺未遂事件を解決した人物であり、ヘルレヴィ領軍の騎兵隊隊長を務めていた軍人である。領主ヘルレヴィ伯爵の信頼も厚く、行く行くは領軍大佐として領軍全体を統率したかもしれない彼であるが、事件が起きてしまった痛恨を誰よりも感じ、親衛団発足に身命を賭けた……そう発表されている。 


 彼の呼びかけにより集まった男たちは、まさにヘルレヴィ領における忠義の烈士ばかりであるという。領軍騎兵隊より志願した精鋭の五百騎、領軍歩兵隊よりは同僚の愚挙に血涙を流す熱意の五百卒、そして領内の治安に協力するあのハッキネン護衛団より有志五百人が集結したのだ。その中にはヤルッコ元軍曹やオイヴァといった護衛団幹部の名もあり、ハッキネン男爵からも祝辞が届いたという。


 そして、1人の少年の名前が名簿の末尾に記されていた。


 キコ村の村長の息子で名をマルコ。黒髪碧眼の13歳の少年で、パウリーナの危機に際して活躍したという。ヘルレヴィ伯爵はその忠義と勇気とを表彰し、分家の養子として彼を迎えようとしたが、少年はそれを固辞した。国民であり領民である身の当然をなしたまでと述べたのだ。その無欲な在り様も加えて、彼の名は美談と共に王国中に知られていく。彼こそは王国の民の鑑であると。


 そう……マティアス・ヘルレヴィ伯爵だけではない。誰もが何かを見落としていた。気付いていなかった。何が始まろうとしているのか、まるで分かっていなかったのだ。


 白流旗が戦場にはためくのは、その年の秋のことである。

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