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第16話 これはもう決めたこと

 払暁の茜色はどちらのものなのだろう。天が光りて地を寿ぐ始まりか、あるいは地が熱を発して天を鼓舞するのか。アクセリはそれを知りたいと願い、それを教えない教会を軽薄なものだと思った。


「……どうしても、げてはもらえないか」


 疲れたように言ったのはダニエルだ。ハッキネン護衛団の団長であり、今や名声と実力とを兼ね備えた男爵家の当主である。その彼がいくら懇願を重ねてみても、その者の意見を覆すことが叶わない。ラウリもオイヴァも、ヤルッコでさえもそれを願っているのに、少年は表情も変えずに意見を繰り返す。


「はい。必要なことです」


 部屋に何度目とも知れないため息が連続した。護衛団の分所に設けられた会議室はやや手狭で、アクセリを含む団幹部5人とマルコとが揃い踏みとなれば空気も篭る。窓際を定位置にして立ち続け、勝ち方の分からない論争に申し訳程度に参加しつつも、先刻までの戦いを思い出していた。


 ハッキネン護衛団の総力を挙げての馬賊討伐作戦……その図面を描いたのはマルコである。


 事の初めにマルコは断言したものだ。ヘルレヴィ伯爵領における馬賊の目的はいかなる財物でもない。領軍と民間との区別も彼らにはどうでもいい。なぜならば、彼らの真の狙いとは前線への軍事物資の輸送を妨げることにあるからだ、と。


 そう言われて、遅まきながら気付いたアクセリである。馬賊に襲われた際、奪われた物資も勿論のこと多いが、それ以上に多かったのは破壊された物資だったのだ。酒樽は穿たれ、麦袋は燃やされ、家畜は殺されて……速度をもって神出鬼没を実現する馬賊のこと、奪いきれない物資への未練がそうさせるものかと考えていたが、前線への輸送妨害が目的ならばわかる話だ。


 領内各所の被害をその視点でもって分類していくと、重要な輸送作戦は軒並み襲われていることがわかる。以前アクセリが領軍として戦った際に護衛していた物資も前線への輸送品だ。逐一を追えば、逆にその目的を隠すための欺瞞襲撃も浮かび上がる。民間の被害の多くはそれだ。


 馬賊はその出没の初期からして領軍の輸送部隊を主に狙っていた。そもそもそれが奇妙だったのだ。護衛兵力の有無や多寡を考えれば、危険を冒して領軍を襲う必要はない。民間を狙い打ちにすればいい。一度に得られる財物の量は少なくとも数をこなせばいいのだ。それをしない理由は領軍への侮りや恨み、あとは自分たちの戦力への自負であろうと思われていたが。


 そして、マルコの巨大な手が領内に仕掛けを施していった。 


 今や領内に大きな発言力を有するに至ったハッキネン護衛団の、その影響力を十二分に活用した謀略だ。民間の物流はおろか領軍の輸送計画にも介入し、徐々に徐々に馬賊の狙いを誘導していったのである。ベルトランらが謀略を影から補強し続けたことも大きい。


 思うように目的を果たせなくなった馬賊もまた謀略を仕掛けてきたが、それ自体が既にマルコによって仕向けられた行動である。むしろ作戦は中盤に差し掛かったと言えた。策を弄するものは己の策を信じるあまり却って策に弄される。終局へ向けてマルコの指揮棒は冴え渡るばかりだった。


 最終局面は夜の丘陵地帯に舞台を設えられた。


 馬賊が主力部隊でぶつからざるを得ない好餌として用意したのは、輸送部隊に偽装したハッキネン護衛団五百余人である。第一部隊254名を率いるダニエルが前方の護衛部隊に、第三部隊241名を率いるヤルッコが後方の護衛部隊に、そして第四部隊から48名が輸送要員として中央に位置した。


 その役割は馬賊の襲撃を誘い、これに耐えること。そのための長槍も用意したが危険な任務だ。何しろ馬賊は強くて速い。簡易的な馬防柵を設置するための資材を荷にしたが、それを使う時間を稼げるかどうかは微妙なところだった。ここに団長たるダニエルと兵の信頼厚いヤルッコとを配置したことに意味があった。


 果たして馬賊は奇襲をかけてきた。来ることはわかっていたが、事前に埋伏場所を特定できなかったことは、彼らの騎兵としての手練が示されたものと言えよう。しかも当たったのは一度きりで再び襲わない。それは予想されていたことではあったが、やはり馬賊の実力を感じさせる判断だった。


 合図を受けて動いた部隊は4つある。


 その内の2つは、第四部隊の40名からなる各分隊だ。それぞれ馬に箒や熊手を多数曳かせて走った。大量の砂煙を意図的に舞い上がらせ、まるで軍勢が存在するかのように偽装するのだ。領都からの騎兵役と、渡河拠点からの騎兵役とで、馬賊の退路を限定する役目である。これはアクセリの私見であるが、第四部隊は妙やたら小器用な人間が多いように思われる。


 1つは、オイヴァ率いる第四部隊100名による騎兵隊だ。これは遊撃を任務とするもので、状況に応じて他の部隊を援護し、作戦全体を補強することが役割である。マルコはここに参加し、あらゆる事態に最適解を示すことが期待された。


 最後の1つが、アクセリ率いる騎兵519名である。これはハッキネン護衛団第二部隊269名にヘルレヴィ領軍騎兵隊250名を加えた数だ。領主と領軍とに掛け合って、何とか出してもらえた数がそれなのだ。かつての部下を含む優秀な者たちを選んだが、欲を言えば倍する数が欲しかったアクセリである。


 何故なら、アクセリたちの役割こそが馬賊への打撃任務だからだ。これまでの謀略の結実としてそれなり以上の戦果が求められる。期待に尻込むアクセリではないが、敵の強悍を思えば兵数は多ければ多い方がいいし、大軍であるほどに己の軍才を活かせるように思うのだ。


 そして、その思いは危機の中で強まることとなった。


 馬賊は偽兵の計にかかるも、存在しない二千騎に対して陽動行動をとってのけたのである。その勇気と機転とにアクセリは目を見張ったものだ。結果として馬賊の進路は想定を少し外れ、ダニエルら長槍歩兵隊との連携は不可能となってしまった。


 その時点でも謀略は効果を発揮しており、馬賊は別働隊へ伝令を飛ばす選択をした。彼らは皮肉にも用兵の巧みさによって本隊戦力を減らすことになったのである。それでやっとアクセリ隊と同数になったのだから危うい話だ。偽兵が有効に働いている以上決戦となることはあり得ないが、戦果を挙げられるかどうかはオイヴァ隊との連携次第という状況になった。


 馬賊五百騎は素晴らしい騎兵部隊だった。


 背後から多勢に追われているという圧迫感もあろうに、高速の中にも隊伍を自在に変容させ、地形を読んで様々な行動をとっていた。それは騎兵戦術の玄妙さのようにアクセリには思われた。マルコの言葉が冷や汗と共に思い出されたものだ。あのサロモン軍と関係がある騎兵部隊……それは大陸最強格の騎兵部隊という意味でもあったのではないか、と。


 アクセリにとっての有利はオイヴァ隊百騎が伏せる位置を知っていたことだ。無理に当たる必要はない。そちらへと上手く導いていけば、あのマルコのことだ、効果的な一撃をもってこちらに連携してくることは疑いない。それまでは巧妙に揺さぶっておけばいい。


 今にして思えばそれが隙だったとアクセリは慙愧する。戦いとはいかなる規模種類であっても本質的には同じで、相手の意志を挫くことこそが肝要だ。そしてそれは戦術の剛柔を併せ持って初めて可能である。あの時、アクセリは柔に傾いて剛を疎かにしていた。マルコに任せてしまったのだ。


 だから、あの分離攻撃を喰らうことになった。左横合いからの逆落とし気味に襲われ、僅かの間に数十名が討たれた。護衛団と領軍との混成部隊であるという弱目も作用した。アクセリは立て直すまでの被害は相当のものになると確信し、追っていた二百五十騎が来襲してきたならば致命的な結果になるとも予測した。しかしそうはなるまいとも思っていた。


 オイヴァ隊が届くに充分な位置にまで到達していたからだ。果たして百騎は完璧なまでの奇襲を成功させ、見事、馬賊の頭領を生け捕ってみせた。その直接の武功を立てたのがマルコだというのだから、アクセリも他の者たちも感じ入るより他にない。どこまでも規格外の少年だ。


 さりとて敵もさるものだ。頭領を捕らわれても僅かに動揺したのみで、奪還が不可能と見るやすぐさま駆け去っていった。無秩序な逃亡ではない。部隊としての戦力を維持したままの撤退だ。1人1人が兵として見事なだけでなく、組織としても目的が徹底されているのだろう。


 戦果は一応の基準に達した。


 打ち取った馬賊の数は93人で、これは護衛団と領軍との戦死者総数と大差ないものだが、捕虜にした数は209人を数える。馬賊の主力と思われる部隊を半壊させ、その頭領を捕縛したということだ。


 これは必要な戦いだった。発足条件として馬賊の討伐がある以上は避けられないものだった。その結果は勝利であり、ハッキネン護衛団はその武名を更なるものとするだろう。領内の治安についても同様だ。しかしそのことが護衛団にとってむしろ逆に作用することを避けられない。


 馬賊と護衛団とは、ある意味で持ちつ持たれつの関係だったのだ。


 今回の損害で、馬賊はその活動を縮小する。里の位置は知れなくともこれは間違いない。しかしそうなると護衛団の必要性が低下するのだ。商人とは利に敏い。初めは道中の護衛人数を減らすことを言い出し、次いで護衛料の減免も要求してくるだろう。信頼こそ得られるが実利を失うのだ。


 領主もまた黙っていまい。アクセリは彼の陰気な表情まで想像することができる。自分が兵権を有する軍よりも強く高名な戦闘集団が領内に存在する……もとより気に食わないのだ。自分で発足を唆した面もあるから我慢もしてきたようだが、今回のことで限度を超えるだろう。救いなのはそれが我欲からではないことか、と苦笑うアクセリである。未だもって彼は密命を帯びる身なのだ。「公序良俗に反する恐れあらば即座に報告せよ」と命ずる領主にとって、護衛団など精々が躾けられた野犬の群れなのかもしれない。


 ハッキネン護衛団は規模を縮小しなければならない。


 幹部の誰もが何某かの夢の終わりを感じていたその夜更けに、マルコはしかし言い放ったのだ。


「馬賊が目的をもって行動している以上、やがては勢力を盛り返し、それに増員で対応するということになります。その不毛を生業とする手もありますが、遠からず団は民衆の支持を失うでしょう。解決策を講じないことで組織の延命を図るなど、領政の怠慢にも劣る行為だからです」


 痛烈な批判だった。そしてとんでもないことを言い出した。


「捕虜の内の百人を僕に預けてください。彼らと共に里へ入り、彼らの目的そのものを変えてみせましょう」


 誰もが最初は意味がわからなかった。しかし声は耳からしっかりと入り込んでいて、それが体温で解けていった後には激情が溢れた。意図せず声を荒げたことは、アクセリにとって初めての経験だったかもしれない。しかし抑えられなかった。反対だ。大反対だ。


 捕虜などどうでもいい。マルコのことだ。


 何をどう血迷ったなら、長らく戦い続けてきた敵の本拠地に10歳の子供を送り出せるというのか。ましてやその子供こそが自分たちの中心なのだ。言葉にしなくとも幹部誰もが承知している。誰もがマルコに何かを見出しているのだ。


(俺はベルトランほど明け透けには言えない立場だが……それでも変わらん)


 誰よりも真っ直ぐにマルコへの忠誠を示す男を思い浮かべ、アクセリは鼻を鳴らした。ベルトランは己の信仰する神の姿を少年に見ている。命じられたならば自死も躊躇わないのかもしれない……アクセリはそう感じるし、それを些かも馬鹿にする気がない。自身も似たようなものだからだ。


 アクセリにとってマルコは王だ。


 王を持ってこその将であり、将であることこそがアクセリ・アーネルの本懐なのだ。マルコと出会う以前の自分に戻るくらいならいっそ名を捨てよう。マルコと出会って以降の自分こそがアクセリであり、己の能力の全てを発揮してきたのだ。勇躍する生を生きてきたのだ。


 未だ空は明けやらず、室内の灯明に照らされて窓は鏡を模倣している。アクセリは己の顔を見た。口元に笑みもないことに笑む。そう……これが自分の顔だ。これでこそだ。


「して……何年ほどが掛かりますかな? 我々は何年待てば宜しいので?」


 言葉に敬いを整えて、マルコに問う。疲れた顔をした面々がギョッとしたのが視界の端にもわかった。言ったもの勝ちだというのがアクセリの気持ちである。これで将の初めは自分であろう。


 マルコが里へ赴いたとしてハッキネン護衛団が縮小することは変わらない。いずれアクセリも領軍の便利屋へと戻されるだろう。過去の退屈が風景としては戻ってくるのだ。だからここに誓いを立て、押し戴かなければならない。己の定めた“主”に、己を“従”と認めてもらわなければならない。


 それが成ったならば、アクセリは待てる。何年だろうとも。


 将とは王の天命を疑わないからだ。


 じっと自分を見る碧眼に正対し、その視線を宣誓への道として、真っ直ぐに進む。椅子に座るマルコの足元へ膝をついたアクセリ……彼が恭しくも流麗にとってみせるのは臣下の礼だ。


「今は敢えて御名にて呼ばせて貰いましょう。主、マルコよ」


 碧眼はただ静かに開かれている。それもまた鏡なのだ。その奥に無明の闇を湛えて。


「臣に御下命を。きっとその“何年か”の内に果たしてみせましょう」


 沈黙が流れたが、それはアクセリにとっては幸せな時間だった。交差した視線の間に語り合われるものがあった。やがて多くの臣と民とをこの王は統べることになるだろうが、今この瞬間、王の視界には自分のみが映っているのだ。アクセリはそれを楽しんだ。


 くすり、とマルコは笑った。アクセリもまた笑みを新たにした。


 では僕も敢えて敬語のままで、と前置いてからマルコは話し出した。


「2年から3年はかかります。その間にアクセリは出世しておいてください。少なくとも領都の精鋭千騎を指揮下に置くほどには」


 無茶とは思わなかった。むしろ望むところだった。


「どんな方法を取ろうと構いませんな?」

「任せます。貴方ならばどうとでもするでしょう。領都は不正に満ちています」


 困ったことです、とまるで困っていない顔で付け加えるものだから、アクセリは思わず噴き出してしまった。マルコは領内の物流を把握することで軍事物資にまつわる不正を幾つも発見している。その証拠を掴むなりして利用しろと言っているのだ。これだからアクセリは堪らない。この王はいちいちに素敵だ。


「御下命、承りました」


 誓いは成った。アクセリはまだまだ楽しい夢の続きを生きることができる。


「さて……他に何もないようなら、とりあえずは一時解散にしませんかね?」


 アクセリが周囲を見回してやったならば。


 ラウリは素早く、ダニエルは慌てて、オイヴァは楽しそうに、そしてヤルッコは難しい顔の頬を赤らめて……先を争うようにしてマルコの元へ参じようとして、肩と肘とをぶつけ合いつつも、しかし一様にアクセリを険のある視線で一瞥するのだ。


「世の大概は、早い者勝ちというもので」


 アクセリはそう言ってやり、肩をすくめてみせたのだった。

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