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火刑戦旗を掲げよ!  作者: かすがまる
第7幕

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第134話 見たいものを見続けるために

 アスリア王国から戦争の音が消えて、もう三年の月日が経った。


 ラウリは折に触れそれを数える。これからの日々を大事に生きていくために。


「何が国を挙げての祭典だ。これは謀略だ。悪趣味な類のな」


 鏡を前にして髪を整えつつ、齢四十過ぎの軍人が何事かブツブツと言っている。


 彼がその身にまとう礼服は金銀糸の装飾も豪華な最高級品だ。青染めのクウィン織物が飾り布としてあしらわれ、胸元には大振りのチュール花が挿されている。持ち前の男振りもあって絵画に勝る華やかさだ。


「意味不明で無理無体だ。しかも王命だと? 理不尽極まる。かくも働き者の俺に対して」


 アクセリ・アーネル。


 アスリア王国近衛兵団の団長にして、今や王国随一の軍略家との呼び声高い男である。先の聖杯騎士団との決戦における彼の采配は幾つもの詩歌になったが、その中の一つが自作であると知る者は少ない。

 

「この期に及んでもまだ不平を言うとはな。些かといわず見苦しくはないか? 王国守護の新たなる英雄ともあろう者が」


 微笑みのままにそんなことを言うのは、片手に杖をつく眉目秀麗な貴族だ。


 白を基調とした優美な装いはどこかしら聖なるものを感じさせる。しかし首から下げているのは神の印章ではなく、雪白花を模した清楚な宝飾品だ。全体として輝かしく、まるで絵物語の主人公のようだ。


「勘違いはいけない。これはまず善意が先にあって、その後にほんの少しの政治が付け加わっただけのことだ。国費を用いてのことでもある。得難い褒賞だよ」


 ダニエル・ハッキネン。


 かつては子爵家の次男であったが、当主となるに際して男爵へと降爵し、その後は昇爵を重ねて新伯爵にまでなった。領地は王国の南西端である。旧エテラマキ伯爵領をそっくり引き受けた形だ。それは女王や他の大貴族から寄せられる信任の厚さを示していよう。


 今年まではギリギリのところで三十代だ。一季節前には二子目となる長女も産まれた。彼と彼の家族とは自領のみならず王国の民にも広く敬慕されていてる。


「何が褒賞だ。喜ばしさなどどこにある。俺は任務と思えばこそ、辛抱してここにいる」

「大軍を指揮する者が何をそんなに緊張する? 敵はいないのだ。怖気づく必要などないが」

「馬鹿なことを。将とは統率者であって道化や見世物ではない」

「道化を演じる必要などどこにある。素直に嬉しがればいいだけの話さ。それに……」


 唸るアクセリに対して、ダニエルは肩をすくめて言う。


「男などおまけだよ。もしくは飾りの一種だ。集まる注目など高が知れている」

「……そういうものだろうか」

「そういうものだ。主役は女性。婚礼の儀というものはな」


 それは経験者の金言というものだろうか。


 しみじみと聞き、うむうむと頷き、そしてラウリは発言するのだった。


「いやあ、稀代の縁談収集家アクセリ・アーネルも、とうとう結婚するんだなあ!」

「二十七歳も年下とな」


 即座に言葉を付け加えた大男がいる。


 くすんだ色の服をいい加減に羽織っていて、筋骨の逞しさを余り隠す気がないという格好だ。それはまるで力士か怪力芸人かのようにも見えていて、どちらにせよこの格式ある部屋においては場違いな印象である。


 オイヴァ・オタラ。


 ラウリですら正装しているというのに彼はそれをしない。この後の諸々に参列することもない。それどころか、本来ならばこの場にいることも叶わない立場である。


 彼は近衛兵団を退団したのだ。王国の軍籍にはもう彼の名はない。騎士の誘いも全て断っているから、オタラ姓すらもいずれ名乗れなくなるだろう。王国最強とも目される武人は、表立っては流しの鍛冶師のようにして今を生きているのだ。

 

「これまでの縁談、まとまらなかったわけだよな。うん。そういう趣味じゃあ、しょうがねえ。しょうがねえよ」


 さも感心したように言うものだから、風を切って櫛が飛ぶこととなった。木製を侮ってかオイヴァは避けなかったが、胸に当たったそれはそれなりに痛かったらしい。口を尖らせて文句を言う。


「何だよ、アクセリさん。遠くから祝いに駆けつけたってのに。暗器じゃあるめえし……」

「発言に気を付けるのだな、オイヴァ。俺は知っているのだぞ。じゃじゃ馬娘に剣を二本使う奇怪な戦術を伝授したのが、他の誰でもなくお前だということを。余計なことをしてくれたものだ、つくづく……!」


 ラウリは吐息を隠して天井を見上げた。


 此度の結婚は、本を正すと一つの決闘に行き着く。一人の熱心な求婚者がいて、木剣をばアクセリへと突き付けて勝負を挑んだのである。己の勝利した暁には結婚せよと、証人を用意した上で声も高らかに。


 あろうことか、証人とはアスリア王国女王パウリーナだった。


 さすがのアクセリも動揺したものか、勝負は互いに一振りを放つのみで呆気なく決着したという。神速をもって顎を打つ見事な一撃だった、とは審判を務めた侍女武官ヴィルマ・カントラの言である。


「ああ、あれな。あれは本来、剣を四本使う戦法なんだけども……まあ、二本でも意表を衝かれるよなあ」

「それと擦り上げ斬りだ。手首の返し方といい、最短最速の剣筋といい、あれもお前の指南だろう」

「そうだけどよ、どうして右手の甲を狙い打ったんだ? 相手しゃがんでたろ? 頭を叩くのが一等近かったろうに」

「……どこかで見ていたのか? それともあの侍女武官に聞いたのか?」

「どっちでもねえけどわかるぞ。あの擦り上げ技、右手の甲を狙われるって前提の技なんだから。絶対にそうなるから、それへの返し技だけをみっちり教えてくれって頼まれてよ?」


 ラウリには初耳なことをオイヴァは言い出した。見ればダニエルもアクセリもそうらしい。前者は好奇心を刺激されたといった様子だが、後者は何かに思い当ったものか口惜しげな顔だ。


「どうなんだよ。アクセリさん。ことは剣術の話だ。私情抜きのところで教えてくれ」


 オイヴァが妙に真面目な態度でそう言うと、アクセリは苦々しげに答えた。


「右手にだけ、なめし革の手甲を着けていたからだ」

「ん? 初めからそこだけを打つ約束だったのか?」

「違う。奇抜な戦法に驚いていたから咄嗟の加減が難しかった。そこ以外では怪我をさせると思ったのだ」

「ふうん?」

「言っておくが優しさからではないぞ。下手に怪我をさせては結局のところ俺の敗北になるからだ。呆れたじゃじゃ馬娘とはいえ伯爵家の令嬢ではある。傷跡が残るようなことになっては……」


 言葉尻が消えていったが、すぐに別な伯爵家の当主であるところのダニエルが続けた。


「責任を取ることになるな。取れる立場にいるのだから。無論、かねてよりそれと察して彼女を避けていたのだろうが……しかし、陛下が証人とあっては逃れようもない。決闘は受けなければならない。それにしたところで上手く勝てばよかったわけだが、翻弄されて、ただ一つきりの光明に思われた罠へと手を伸ばしてしまったということか」


 感心したように吐息する。


「見事だな。並みの頭で練られる術策ではない」

「度胸もいいな。それで技を決めきったんだからよ」


 オイヴァが腕組みの姿勢で大きく頷く。彼にとっては一時的なものにしろ弟子の勝利を褒める気持ちもあるのかもしれない。うむうむと満足げだ。


「な、ラウリさん」


 そんなオイヴァが目線を投げてきた。どこか少年のような目がキラキラとしている。


「なあ、ラウリ」


 どういうわけかダニエルまでも同じような目を向けてきたから、ラウリは焦った。二人とも満面の笑みではあるが、何かを期待するように眼光を煌めかせてもいる。今だ早くとばかりにラウリを急かす。


「え、ええと……」


 ちらと見やったならば、こちらはどんよりとしたアクセリが、一縷の望みを託すという態度でラウリを見ている。この僅かの間に心なしか痩せ細ったようにも見受けられる。


 いけない。彼は新郎だ。


 夢と希望に溢れる姿でもって新婦の前へと出なければ。


 ラウリはそう思ったから、俄に奮起し、両の拳を握り締めた。腹の底から力を汲み出して、精一杯の応援と祝福とを大きな声で表明するのだ。


「愛! 愛だなあ! うんうん、愛だよ! 新郎新婦は強く愛し合ってるんだね!!」


 引き起こしたのは天井へ放たれる二つの爆笑と、床へ零される一つの溜息だった。それはラウリにとっては予想外のもので、右往左往もしたが、そんな騒ぎもすぐに終いとなった。


 廊下から新郎を呼ぶ声がする。


 婚礼の儀の始まりである。





 鐘の音が空に満ちる。


 この日この時が特別なものであることを世界に示している。


 王都の聖堂に居並ぶ参列者たちは誰しもが歴史に名を残す者たちであろう。いっかな着慣れない上級政務官服にむず痒さを覚えつつも、ラウリは絢爛豪華な顔ぶれの逐一を目で確認していく。


 最前列にあって厳かな黒い外套の背を並べているのはアスリア王国四侯爵である。


 ルーカス・ユリハルシラは実に堂々たる態度だ。まるで亡きクラウス・ユリハルシラが若返ったかのような姿だが、しかし、一点だけ間が抜けたところがあってそれがラウリには微笑ましい。髭だ。体毛の薄い体質なのか、量が足りずにまるで落書きのような髭である。本人は気に入っている様子だが。


 ピエタリ・アハマニエミもまた髭を伸ばし始めたようだ。肩をいからせているようにも見えるが、それは隆起した筋肉を持て余してのことである。彼は齢五十に近づく今も過剰なまでに身体を鍛え続けている。一戦士としての見事が大貴族としてのそれに繋がるとは限るまいが、そうせずにはいられないようだ。


 ヨハンネス・ロンカイネンは老成した姿でそこにいる。もとより物静かな人物ではあったが、このところは特にその傾向が強まって寡黙な印象すらがある。それが心労によってのものか達観によってのものかをラウリは知りたいと思う。交流の深かった老侯爵との別れを彼はどのように受け止めたのだろうか。


 北の怪老と呼ばれたアドルフ・マルヤランタは毒を呷った。護国連盟を名乗る不平貴族らに囚われ、名を利用されたことを恥じての自死である。


 女王への謝罪を認めた遺書は痛恨哀切を極めていて涙なしに読めないほどだ。しかも修飾と比喩をもって珠玉の詩文ともなっていた。才能ある劇作家でもあった故人が偲ばれる。


 爵位の継承は許されたから、この場には新たなるマルヤランタ侯がいる。故人の長子だ。余所見も身じろぎもせずに厳格なる威儀を示していて、他の誰よりも真面目な姿に映る。実際にそういう人物なのだ。帳面仕事を何よりも好み、芸術に関しては劇場や美術館の集客数や利益率にのみ興味があるという。


 四侯爵に次ぐ位置には、同じく黒色ながらも裏地の色が青い外套を纏った五人がいる。アスリア王国六伯爵である。一人欠けているが、その人物については後ほど新婦と共に登場するだろう。


 伯爵の中の筆頭として小柄な背を見せているのは、ビルギッタ・テルヴァハルだ。


 十二歳の少女がその位置にいる意味をラウリは知る。血だ。王家の血を護るためだ。彼女はいずれ公爵へと昇爵することが内々に定められており、それは彼女ないしは彼女の子を王族へと戻すための準備措置である。両親と叔母を亡くし兄が聖杯島へ渡った今、彼女の血統は極めて貴重となった。


 個人の人格や努力とは無縁のところで個人の人生を決めるもの……性別、身分、血筋、才能と様々にあるが、それらは果たして個人の責任の範疇にあるや否や。


 ラウリは少女伯爵の毅然とした佇まいに一つの答えを見る。いじけず、腐らず、他人事にしていない。重いものには違いなかろうが、身を縛る鎖としてではなく甲冑のようにして誇らしげだ。それが彼女の選択なのだ。己の宿命とでもいうべきものを積極的に生きる在り様は……輝かしい。


 そんな彼女の隣には、白透練の効用にも限界があるということか、頭上の照り返しが年々強まるところのマティアス・ヘルレヴィがいる。新マルヤランタ侯と同じように威儀を整えようとしているのだが、細かなところで落ち着きがない。どこか心配性な親の姿を彷彿とさせる姿だ。


 その理由は微笑ましく、彼は己の元部下である新郎の世話を焼きたくて焼きたくて仕方がないのだ。振る舞い酒の銘柄や贈答品の選定などに意見するものだから、典礼官らが迷惑がってラウリに相談してきたほどである。各方面に誼を通じているとそういう奇妙な板挟みにもあう。


 もっとも、誼などなくとも大変な板挟みにあっている人物もいる。カティヤ・カリサルミである。気の毒なほどに顔色が悪い。本来ならば舞踏会の華ともなるような美人であるのに、いつも何かと辛抱の表情でいるものだから苦労性という印象が定着してしまった。今回もまた大変な心労を感じているようだ。


 彼女の隣にはヨウシア・ペテリウスがいる。四侯六伯にのみ纏える特別な外套は、彼の黒髪、黒髭によく似合う。歳の近い二人が並ぶ様子は絵画における理想の男女のようである。たとえ女性の側が怯えに怯え、男性の側が目尻を吊り上げ唇をグッと引き結んでいたとしても。


 彼女のもう片方の隣にいる人物が原因である。当主ではなくとも伯爵家の人間であり、年齢も近いが、そんな類似点などは消し飛ぶばかりの相違点を持つ女性だ。


 ベルタ・イグナシオ。


 “雷将”とも“黄金剣”とも呼ばれるエベリア帝国の女性軍人である。その階級は元帥だ。帝国軍の頂点に立つ人物なのだ。先王時代の戦争における帝国側の英雄であり、その後は近衛騎士団と結束して帝国内部の権力闘争を武断的に解決したという。皇帝イスマエルからは全幅の信頼を寄せられているとか。


 その彼女が国賓として参列している。


 皇帝からの親書と祝辞とを携え、両国の友好を深めるために。


 その事実だけでも気圧されるほどであるというのに、一人の女性としても彼女は眩いばかりに魅力的だ。凛々しくも艶めきのある美貌が、王国においては男装に分類される式典用軍服によって却って強調されていて迫力を感じるほどだ。あるいはそれも併せて威風というものか。


 何にせよ、彼女の参加した軍勢がペテリウス伯爵領を蹂躙し、領都を破壊し、前伯および一万将兵を殲滅したという事実は消えない。政治が個人の思惑を超えたところで作用しようとも、父親を殺された息子が全てを忘れることなどあり得ない。ラウリにはペテリウス伯の無愛想を責められない。


 沈黙ばかりがその一画に立ち込めている。上品ながらも物騒に、静かながらも剣呑さを孕んで。


「期待あれ。もうすぐ主役たちが登場する」


 穏やかに声をかけたのはダニエルだった。彼はハッキネン伯としてペテリウス伯の隣に並んでいる。


「どちらも見事な将器を持つ者。それが夫婦になるのだから、これはきっとイグナシオ将軍が見物するに足るものだろうと思う」

「ほぅ……それは」


 帝国の英雄は愉快げに笑んだ。


「片方ならばともかく、どちらもとは興味深い。ましてや貴方の紹介だ」


 そして、ダニエルの目を覗き込むように話す。


「不躾を承知で申し上げるが、私はハッキネン伯の戦ぶりを知る。手堅く、大局を見据える将だ。新郎であるアーネル将軍の戦ぶりも知る。巧妙で、万事に隙なき将だ」

「アーネル将軍についてはその通りだが、私についてはやや見誤っているようだ」

「そうかな? 将とは背で示すものであり、人は己の背を見ることができない」

「手堅き将は勝敗の決した後に負傷するような油断をしないだろう。この通りだ」


 ダニエルが杖を示した。どちらも笑顔だが、それは周囲をギョッとさせる要素を含む会話である。ラウリもまた息を呑んだ。二人の言葉を聞いた誰しもが八年前の大会戦を想起させられたに違いない。


「戦傷とは恥ずべきものではない。武運と軍才は分けて捉えるべきだ。それをせずには戦死者の名誉を語れない……」


 英雄の目線はダニエルから外されて、厳しい表情のままのペテリウス伯へと向けられた。


「よく敗れることはひどく難しい。よく勝つことの方が余程に簡単だ。敗北が誉れに満ちて、勝利が後ろめたさに塗れることも珍しくはない。軍人は戦うからには勝つべきだが、決して勝つことが全てというわけではないから、そこに人の在り様が表れて将器を思わせる。武運は人知の及ぶところではない。しかし、人の在り様は人の心を打たずにはおかない……私はそう考える」


 それは誠実な言葉だ。戦場を知らないラウリには充分に理解できない部分もあるが、それでも伝わる真心というものがあって、力強く響くもどこか温かい。


 ペテリウス伯は目を閉じている。ゆっくりと長く息を吸い、そして吐いたようだ。微かに震えてもいようか。


「私もそう考えます。イグナシオ将軍」


 声にも震えがあるか。しかし淀みない。


「貴女はやはり英雄のようです。そうでない私にはそれがわかります。いえ、否定なさるには及びません。貴女の言葉を引用させてもらいますが、将であること以上に、英雄であることは当人に自覚の難しいものなのでしょう。そして私は貴女以外にも英雄を知ります。英雄の中の英雄をも……」


 ペテリウス伯が手が差し伸ばした。舞踏を誘うようにではなく、外交の儀礼としてでもなく、まるで戦友同士が絆を確かめ合うかのようにして。


「見届けさせてください。そして学ばせてください。私はそうやってこの新しい時代を生きていきたいのです。悪癖のようにして続いた戦争を払い捨てた、この前人未到の日々を」

「……私も複数の英雄を知る。そしてその筆頭として思い浮かべる者は恐らく同じであろう。己がどうであるかはわからずとも、英雄の中の英雄に恥じぬよう生きていきたいと思う」


 握手が為された。どよめきが生じた。見える者は見ていたからだ。聞ける者は聞いていたからだ。そう図ってのことでもなしに、そこには和平が見聞きできる形を成していた。


「私からも期待を乞いましょう、イグナシオ将軍。これから登場する新郎新婦は……強力です」

「ふぅむ……既に知るアーネル将軍はともかく、未知の新婦に興味がそそられるな。伯爵家のご令嬢とは聞いているが」

「木剣とはいえ決闘をもって己が伴侶を獲った娘です。十六歳で近衛兵団団長に勝ったとなれば並みではないでしょう」

「そ、それは凄い……」


 誰しもが静かに注目する中で、帝国の英雄たるその女性は、感に堪えないとばかりに言った。


「……凄い年齢差ではないか。アーネル将軍とはそういうご趣味であったか」


 真っ先に吹き出したのはダニエルだ。次いだ者はやや離れてのラウリである。そして周囲には笑い声が弾けに弾けた。聖堂は神像へ近いほどに不謹慎なまでの大笑いで満ち満ちていったのである。


 東方教会の新司教が困ったような顔で静粛を呼び掛けた。不慣れもあってか中々に効果を発揮しない。それどころか新司教も笑っている。そういう無防備が許されている。今この場では誰しもに。


 聖堂の入り口が開かれようとしている。


 手順としてはまず新郎のみが登場し、参列者に散々いじられた末に新婦とその父親が現れるはずだ。だから最初はこの雰囲気でいい。この勢いのままに行こう。大丈夫、アクセリ・アーネルとはいつも期待以上の働きをすることで知られる男だ。そして万能を自負してもいる。望まぬ道化役すらも見事にこなそう。


 明るさと賑やかさと楽しさとを……今日だけは底抜けに、無思慮に、際限なしに。


 ラウリは笑った。拍手した。祝福を叫んだ。


 ここにいてほしかった人物が何人もいる。だから少し涙が出た。しかし負けやしなかった。





 英雄の結婚を祝う祭は朝に始まり昼を越え、夜となっても王都を陽気なままとした。


 そこかしこで祝杯が交わされている。新郎たる英雄の功績を我がことのように熱く語り、新婦たる伯爵令嬢の美麗を夢見るように褒め称えている。この記念すべき日を共にできる幸せを呼吸し、この素晴らしい時代を生きる喜びを飲食している。


 そんなお祭り騒ぎも届かない、王都の西の端……東龍河に向けて広く整えられた埠頭の、連なり建つ倉庫群の中でも特に物静かな区画の片隅で、ラウリは木箱に腰掛けている。


「いやあ、何もかも凄かったよ! 新郎と新婦の接吻は恥ずかしくなるほど長いし、新郎と新婦父の抱擁も背骨が心配になるほど強いし、新婦からは五人以上子を産む宣言まで出たしでさ?」


 ラウリは身振り手振りで話す。それは傍目には独り言に映るのかもしれない。話し相手は月明かりにも照らされない物陰にいる。


「イグナシオ将軍が連れてきた帝国少年歌唱隊というのが、もう、びっくりするくらいに上手でね。マルヤランタ歌劇団もよかったけど……何ていうのかな、商売っ気がある分負けているというか、少年たちの方が清く正しい感じで感動的というか……まあ、私が言うのもどうかとは思うけど」


 持参した酒瓶は最初の一注ぎだけで次はなく、飲む間も惜しんでラウリは話を続けた。


 新郎の開き直りを、新婦の幸せ一杯を、参列した一人一人の笑顔を、聖堂を取り囲んだ民の歓声を……この新たなる祝祭の日に見聞きした全てを伝えたかったからだ。


 聞いてほしかった。この日のために世界の誰よりも働いた彼に。


 憶えてほしかった。世界から急速に忘れ去られようとしている彼に。


 着々と準備を整えていて、遠からず人間の世界の外側へと旅立ってしまう彼に、この世界の美しさを少しでも多く手渡したかった。持っていってほしかった。


 彼は静かに聞いていてくれる。時にクスクスと笑い、時にコロコロと笑い、興味深げに続きを促してくれる。酒杯に手をつけないのは夢中になってくれているからだろうか。それとも……。


「そういえば、ヒルトゥラ辺境伯は元気にしているかなあ!」


 グイと一杯飲み干して、ラウリは努めて明るい声を出した。


「イグナシオ将軍が来た代わりに帝都来訪だもの。その辺やっぱり物騒なところがあるよねえ。持参する贈答品、本当にあれでよかったのかなって心配なんだ。新型の補虫網と折り畳み式虫小屋……凄い発明だとは思うんだけどね?」


 酒杯を置き、息を吐いた。月下に淡く酒精が香る。


「ヒルトゥラ辺境伯領を兵站基地として、まずは天境山脈に拠点を築く、か……」


 二杯目は注がずに、言う。


「馬賊の里、少数民族の村、祓魔特別教区……魔境に慣れた人員は確保できてるね。軍馬の品種改良の方はまだまだ、どれだけ時間がかかるかもわからないけど」


 指折り数えていく。


「王国からも帝国からも選抜した特別の軍は……これも大分整ってきたけど、練度からしたらまだ労働力って位置づけなんだよね? オイヴァが言ってたよ。あの程度の掘り匙捌きじゃ普通の戦場でも危ないって。実地で訓練するしかないって。そうなると当面は火撃の騎兵団と聖杯騎士団が戦力になるわけで……いや、これ、凄いとは思うけど……それ以上が考え付かないけど……」


 どんなにか数えていったところで、ラウリの胸から不安が消えることはなかった。


「うん、そうだね。私が挙げたものは尋常の方策ばかりさ。これに別な方策が……私には計り知れないものが加わるんだよね?」


 口には出さずにそれも数えた。


 塵夢森の魔女の呪法と、聖杯島が世界に秘匿する技術。


 どちらもラウリには理解することができない。どちらかでも知ってしまったなら、もう尋常の世界では生きられないのだと聞かされている。もしもそうなってしまったなら、ラウリは己の役割を果たせない。


「……本当に、征くんだね?」


 頷きが返されたから、もう何も言えずに、ラウリは一巻の巻物を取り出した。彼に手渡す。


 それは新聞だ。


 彼が目を通すその内に心を整えた。唾を飲み込み、声を出す。


「読んだら返してね。明日に向けて量産される最新号の原本なんだ。無理言って借りてきちゃった。読みたいかなと思って」


 頃合いを見計らって、ずいと手を出した。


「はい、じゃあ、代金を貰おうかな。白銅貨を一枚だよ」


 彼がクスリと笑った。


 しかし代金が払われることはなかった。


 手を出した次の瞬間、どういうことか、ラウリの手には小鳥が飛び乗って来たのである。


 彼の外套の内側にいたようだ。夜だというのに軽快にラウリの腕を飛び跳ねて、何をするかと思えば嘴で髭の一本を引き抜いたではないか。ラウリは悲鳴を上げた。痛みも驚きも、どちらも大変なものだった。


 彼が呼び掛けると、小鳥はひょいと飛んで彼の肩にとまった。何か怒っている気配がある。小鳥に。


「お、驚いた……その鳥も何か魔法的なものなのかな? どこかこう、懐かしいというか……」


 僅か一杯で酔ったわけでもなしに、ラウリは小鳥に対して奇妙な親近感を覚えていた。


 軽快に動く様といい、その羽の色といい、円らでクリクリと動く瞳といい……何よりも彼が小鳥へと呼び掛けた名前が、三年前に死んだ仲間を思い出させる。彼は「エル」と呼んだ。そういえば彼女も少女の頃にラウリの髭を抜いたのだ。あの懐かしきキコ村の青空教室において。


 月影も柔らかに、幻想が彼の周りに漂っている。


 それは素敵だ。夢のようだ。


 しかし……ああ……ラウリの生きる世界からは遠い。そこにまでは行けない。竜の鱗に掴まっていったとして、きっと何も見えずに窒息してしまう。それがわかる。己の生きられる高さの限界が。


「冗談だよ、冗談。でもさ、まだ征ったらそれきりってわけじゃないんだよね? 辺境伯領へ戻ってくる時には知らせてよ。新聞、たくさん用意しておくからさ」


 頷きを貰ったから、ラウリは笑って別れることができた。


 また会えるなら、平気だ。


 明日ではなくとも、いつか再び互いの成果を伝え合えるなら、大丈夫だ。


 船に乗り暗闇の水面を遡航していく彼を見送り、未だ寝静まる気配のない街へと戻っていく。


「不思議なことは、あるもの……か」


 独り夜空へ呟いて、ラウリはニコリと笑った。


「本当にそうだったね。でもまだまだ……きっともっと不思議なことを起こすんだ、君は」


 虚空へと手を伸ばした。


 出会った頃と比べれば皺が増えたに違いないそれは、月や星にまでは届かずとも、この国のどこにでも影響を及ぼすことができるまでになった。村の一つ一つだけではなく、国全体を富ませ栄えさせる仕事に勤しむことができるのだ。


 ラウリの得た視界とは、それだ。呪詛や奇跡に関わることではない。


 ラウリの得た使命とは、それだ。天境山脈を越えることではない。


「君は戦う。遥かなるものを目指して。私は皆と一緒にそれを支えてみせるよ。絶対に」


 拳は握らない。見えない何かを押し上げるようにして、夜へとかざし続ける。


「マルコ……君なら、きっと……」


 その夜、ラウリは夢を見た。


 氷雪の吹き荒ぶ大氷原に、一本の赤い旗が突き立てられる夢を。


 そこから火炎が吹き上がる。凍れる大地を煮て溶かす。暗黒の闇を照らし祓う。


 絶え間なく聞こえてくる号令があった。



 火刑戦旗を掲げよ! 諦観を焼き絶望を滅ぼすために!


 火刑戦旗を掲げよ! 勇気を奮い理想を叶えるために!


 この世界に人間の在ることを誇るそのためにこそ、火刑戦旗を掲げるのだ!!



 彼の声が世界に轟き渡る様を夢見て……見続けて、ラウリはマルコ去りしその後を生きていくのである。

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