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第12話 人探しは大冒険です

 水音を伴奏にして朗々と歌声が流れていた。


「いざや漕ぎ行けひんがしの、大きな淵と瀬、北南きたみなみ


 ギイギイと船尾に櫂が軋んでいる。北風が強い厳冬の船路を北へと遡るのだ。人の抗いがいじましく音を立てて、生の露骨を水面に垂れ零していく。


「氷も山も砂も木も、水の上にはありもせず」


 大陸東部を領有するアスリア王国には2つの魔境が存在する。北東の果ての死灰砂漠が1つであり、南の果ての塵夢森がもう1つだ。大陸最大の魔境はといえば命凍てる大氷原がそれであり、人の世界とそことを隔てるように東西へ連なる天境山脈もまた、深く立ち入れば恐ろしが待っているだろう。


 アスリア王国にとってもエベリア帝国にとっても共に北限と定める天境山脈だが、そこに水源を持つ二大河は水量豊かだ。大陸東部にあっては東龍河がアスリア王国を縦に分断するように南へと流れる。しかし海に至る旅の終わりを知るものはいない。東龍河の下流域に広がる森こそ塵夢森だからだ。


 塵夢森……それは魔性の支配する大森林である。船べりで剣を抱えていた男は小さく身動ぎし、外套の首回りをわずかに掻き寄せた。緑色の頭巾の下で凛々しい黒眉が眉間の皺を深めている。


 男の名をベルトランという。


 剛の者との自負もあった体躯は今やベットリと疲労に汚されていて、まるで剣を杖にして縮こまっているかのようだ。そんな己の不甲斐なさを思い、ベルトランは更に眉間を皺寄せる。信仰は胸に煌々として在り、進む道に迷いなどはない。しかし、今の彼は主命を果たしきれなかった男なのだ。

 

 マルコからジキルローザの探索を命じられて2年余り、ベルトランはアスリア王国を広く巡っていた。それは困難を呼吸し、積雪の畑に落ち穂を探すかのような探索行であった。


 何しろ顔も知らない人間を探すのだ。簡単なはずがない。あの運命の死地において見かけたのかもしれないが、戦場の混乱の中で目に焼きついているのはサロモンの姿ばかりというベルトランである。相手が少数民族の特徴的な外見を備えていることだけが救いだが、それにしたところで彼女の他にも同じ出自の人間はいるのだから、結局は振り回された。


 ベルトランが手始めとして赴いたのはアスリア王国の王都である。


 あの“聖炎の祝祭”の日、サロモンが火炙りにされた正にその場において、ジキルローザは王国兵によって身柄を取り押さえられたという。村娘を装って広場に潜り込んでいたところを発見されたのだ。


 当時、サロモンは王都にあって孤立無援だった。エベリア帝国軍を壊滅させた際に率いていた軍は完全に解体されていて、配下であった武将たちはそれぞれに転属、その多くは行禍原に近い前線に詰めていた。義勇軍は一兵残らず解散させられただけでなく、向こう1年間に限って行動を監視さえされた。


 王も、教会も、そして大衆すらも……一体どれほどの人間がサロモンの影響力を畏れていたのだろうか。尊敬も恐怖も縛られているという点では同質だ。あの地で死を司っていたサロモンは、戦地を離れてなお全てを支配していたのだ。ベルトランは頷くのみだ。誰も逃れる術などない。死とはそういうものなのだから。


 切っ掛けは王女の発言だったのかもしれない。しかし狂宴に炎を燃え上がらせたのは万民の心という油だ。当然だろう。不安を排するためならば何でもするのが社会なのだから。


 だからこそ、とベルトランは驚嘆する。ジキルローザの行動は当時の社会を全面的に敵に回す行為だ。殉教者の姿と言っていい。大衆の熱狂は間違いなく彼女の死を欲したはずだ。あるいは連行されていく姿を見ていずこかでの死を信じたのかもしれない。しかし殺されていない。教会に身柄を引き渡されたジキルローザはその後無事に解放されていた。


 情報の確度は高い。かなり金を使ったが、当時教会でジキルローザの身の回りの世話をしたという老婆に話を聞けたのだ。仲介人からは既に老いから狂っていると聞かされていたが、薄汚い小屋に老婆を訪ねた時、ベルトランはそれが世を欺く噂に過ぎないと見抜いた。その老婆もまた少数民族の人間だったからだ。


 大氷原に隠れ住むとされるその民族は浅黒い肌と赤い目を持つ。そして抗老長寿の特徴を持っているのだ。嘘か真か絵物語の敵役として知られるダークエルフを祖先に持つとされ、長生きの者では150歳以上も生き長らえ、その上で腰も曲がらないという。


 小屋に篭っていた老婆もまたぴんしゃんとして理知的だった。ベルトランの目的については最後まで信じることをしなかったが、少なくとも害意はないと伝わったようで、ボソボソと当時のことを語ってくれた。


 死んだような様子で連れてこられたジキルローザは、その後もいかなる感情を見せることなく、まるで彼女の周りだけ時が止まったかのように過ごしていたという。時折、魔眼とも謳われた紅の瞳が虚空を凝視していることがあって、それはどんな場所にあっても南ばかりを向いていたのだとか。


 また、ジキルローザは捕虜というよりは客人の扱いであったという。取調べや尋問もなく、ただ世間から隔絶された空間に軟禁しておくようだったと老婆は述懐した。放置されていたのだと。


 唯一、時折だが面会に来る人物がいた。その者の名はベルトランも知っていた。


 ヨアキム・ベック。現在は司教として教会に確かな勢力を持つ中年男性だ。ジキルローザが捕まったその日その時その場所ではまだ司祭の身分であり、壇上にて身振りも口振りも激しくサロモンへの火刑を指揮していた男である。


 サロモンを助けようとした女を、サロモンを殺す音頭を取った男が訪ねる。


 その意味するところがベルトランにはわからない。老婆もまた知らないという。慈悲なのか、嘲笑なのか、あるいは教化の試みででもあったのか。まるでわかりはしないが、しかし、ジキルローザが無事に解放されたのはヨアキムの指示によるものなのだ。それは間違いない、と老婆は断言してみせた。


 ジキルローザはほとぼりが冷める頃合を見計らって自由の身になった……そんな結果だけが残り、ベルトランは困惑した。そして同時に感嘆の思いを抱く。それがマルコの予言した通りであるからだ。


「一時的に教会に捕縛された可能性はありますが、無事に解放されているはずです」


 如何なる知見と予見とによって紡がれた言葉なのだろう。戦場の剣の間合いにのみ死を探求していた頃を、何とも愚かしく振り返ったベルトランである。真に死を統べたる者は、大陸の端から端までを死の射程に捉えるのではないか……そう思ったからだ。


 他方、ベルトランは予想以上に手掛かりがないことに悩まされた。世間を憚ったものか、安全を考えて隠匿したものか、どちらにせよジキルローザは秘密裏に解放されていたのだ。早々にして足取りが分からなくなったのである。


 そこでベルトランは2つの手段をもって探索を続けることにした。1つは、手下たちを広く国中へ散らせて、少数民族の若い女を1人1人当たるという方法である。顔はわからなくとも猛者であることは間違いない。金も時間もかかるだろうが、裏社会から聞き込めば情報を得ることはできる。


 もう1つは、ベルトラン自身がサロモン所縁の地を辿るというものだ。ジキルローザの心情を慮った結果である。サロモンを失った彼女が足を運ぶ場所はどこか……2人がどのような関係にあったかは定かでないが、火刑現場での命懸けの行為を鑑みれば十分にあり得ることに思われた。


 そしてベルトランの旅が始まった。


 王都から近い順に戦場へ町へと渦を巻くように辿っていく。各地でサロモンを知る者たちを尋ね歩き、多くを聞いてから次の地へと向かう日々だ。それは既にマルコという主を奉るベルトランにとっては聖地巡礼の旅とも言える。ジキルローザを探しつつも、サロモンの偉業を聞きまとめていく道程であった。


 サロモン・ハハト。


 彼はアスリア王国王都北面に位置するマルヤランタ侯爵領の農村に産まれた。彼を産んだ母は早くに亡くなり、後妻に疎まれて奉公へと出された。生さぬ仲ゆえの確執をそのように解決することを、村の古老は感心しないという風に語っていた。サロモン少年の利発は村でも期待されていたようだ。そしてサロモンの父も義母も既に死んでいた。病没とのことだ。


 奉公先となったのは領都の商家である。今も大店として知られるそこの番頭が言うには、サロモンは極めて優秀な商人であったそうだ。丁稚から入って手代、番頭とトントン拍子に出世していったらしい。


「私なんていつも教わるばかりでしたよ。厳しい人でしたが公平な人でもありましたから、慕う者たちは多かったですよ。あんまり優秀なんで敵も多かったのですが、まぁ、2、3人も社会的に抹殺してのけたら……表立って逆らう人間はいなくなりましたねぇ」


 なかなか怒らないが、一度その気になれば犠牲者を出さずにはおかない……そういう商人であったようだ。番頭はどこか楽しそうに語っていたものだが、最後は残念そうに言った。


「魔人サロモン、ですか……やはり戦争が彼を狂わせたのでしょうかねぇ? もしくは魔女の薬を飲まされたとか。私にはどうにも堪りません。表立っては冥福を祈ることもできませんしね」


 サロモンと丁稚時代を一緒に過ごしたというその番頭は、困ったように笑って、店に戻っていった。報酬にと用意した金には一切手をつけようとしなかった。


 軍人サロモンが誕生したのは、アスリア王国に勇者が立ってすぐのことだった。


 教会が聖定の儀をもって選抜した勇者は、救国の旗頭として良く軍を統率し、ジリ貧のアスリア王国に反攻の勢いを盛り上げた。戦線は西で東で変移し、商人たちもそれに合わせて物資の搬送を盛んにした。そんな折のことだ。とある砦の兵がエベリア帝国軍に誘引された上に打ち破られ、その勢いのままに砦が囲まれてしまった。兵は混乱し、それを統率するはずの将も捕まるか寝込むかしている。


 偶然か必然か……その砦に物資の搬入のため滞在していた男がいた。サロモンである。


 サロモンは番頭として部下の商人たちに指示し、物資という物資を砦の外へと運び出させた。驚いたのは両軍ともである。王国軍にしてもそんな命令を出した覚えはないし、帝国軍にしても降伏するより先に物資を差し出されるなど想定の外だ。誰もが口を出せないでいた間に運び終え、サロモンは勝手に開いた門をまた勝手に閉めてしまう。門前に積み上げられた物資は、砦の内外からさぞ呆然と眺められたろう。


「そして旦那は言ったもんよ! まだ代金を貰っていないので好きにした。そちらも戦うか逃げるか好きにすればいいだろう、とな!」


 酒を呷りつつ捲くし立てたのは、当時その砦に義勇兵として詰めていたという男だ。町でも厄介者として認識される前科者だが、その罪状はベルトランにとって好感の持てるものだった。器物破損、暴力、騒乱……それらを起こした原因が「旦那の悪口を聞いた」というものだからだ。彼の言う旦那とはサロモンのことである。


「戦おうにもよ、物資は出されちまったから篭城はできねえ。まあ、篭城したって援軍が来る当てもなかったんだけどよ。かといって数で負けてる上に指揮官が怪我して寝込んでやがるから、当然、正面から戦えるわけもねえ」


 身振り手振りで熱心に語る元義勇兵は、だがな、と獰猛に笑ったものだ。


「そこで俺らは分かったわけよ。こりゃもう我武者羅に逃げるしかねえってよ。旦那が無茶する前は、こう、何となく、怪我した指揮官と一緒に篭城するしかねえと思ってたんだがよ? 考えてみたらつまらねえことだよな、そりゃ。しかも悠長に考えてる時間もねえときた」


 そして彼らは行動を起こしたのだ。誰からともなくサロモンの指示を仰いで、敵の薄い側の門を開いての脱出行を。指揮の混乱した中だからこそなし得たことだ。訳がわからず戦意のぼやけていた敵陣へ、己の命を拾わんとする狂猛な一団が駆け入ったのだ。戦場は混乱した。


 犠牲を出しつつも多くが敵陣を突破し、しかも追っ手はかからなかった。砦は健在の上、大量の物資が目の前にただ置かれているのだ。走った連中の身なりが貧相だったことも作用したのかもしれない。少しでも地位がある者は指揮官を捨て置けず残ったのだから。


「だがよ、それで終わりじゃなかったんだ。旦那は先が見える。俺らは軍に戻らなきゃ逃亡罪も関係ねえと考えてたんだが、それじゃ生きるにも窮屈だろうと言うんだ。そんでよ、落し物を拾いに行くからちょっと付き合わないかと誘ってきたのよ」


 そして1つの策が成る。


 サロモンは逃亡兵を糾合しつつも、同時に先の戦いで散り散りになっていた砦兵たちを呼び集めたのである。拝借してきた旗を立て、指揮官は砦と運命を共にするため決死の防戦をしていると謳い、奮闘した者への褒賞をすら約束して……陥落間際の砦へ強襲をかけた。


 物資の集積などただの目眩まし、サロモンの狙いは砦そのものを生餌とすることだったのだ。


 商人に物資を捨てられ、多くの兵には逃げられ、しかも曲がりなりにも一戦をしてくれたものだから降伏もできずに決死の篭城戦を強いられた砦兵たち……彼らを哀れむべきか。それとも、目の前に積まれた物資の扱いに困惑したところを飢狼のような一団に突破され、戦意も新たに砦へと攻めかかれば血眼の抵抗を受け、更には勝利目前の背中に刃を突きたてられた帝国軍……彼らを哀れむべきか。


 戦場は混乱の坩堝と化し、エベリア帝国軍の撤退をもってアスリア王国軍の勝利と相成った。指揮官は死なず、砦は奪われず、物資もまたその場に残された。むしろ鹵獲品の分だけ増えた始末だ。


「そんでよ、旦那は言ったんだよ。この物資の所有権は未だこちらのものだから、こちらの都合で納入量を少し減らすってよ。んで、その減らした分を俺らに配ってくれたんだよ。褒賞だっつってな!」


 王国軍の責任者たちの口論は喧々囂々として第二の戦いを繰り広げるも、激する戦況が多くの妥協と打算とを生み、結論としてサロモンは軍人になった。現地志願で義勇軍に所属したという体裁をとった強制徴兵である。処罰はしないが死んでこい、ということだ。


 そのことが王国の運命に大きく作用するのだと、誰が知れたろう。


「……勇者が何だっつーんだ。お綺麗に死んだら偉いのかよ、ええ? 旦那は勝ちの天才だったんだ。放っておいたら砦ん中で惨めに負け死ぬしかなかった俺らに、勝ち鬨を吠えさせてくれたんだよ。それが何だ、畜生、もう負ける心配がなくなったって途端に旦那を殺しちまいやがって……畜生、畜生め!!」


 戦傷なのだろう。ベルトランは片腕片足のその元義勇兵に多めの金を握らせた。その後も何人もの元義勇兵に出会ったが、その誰もが胸にサロモンへの想いを秘めていたものだ。


 サロモン軍。


 そう呼称される集団ができるまでに、時間はかからなかった。ベルトランはその理由を元義勇兵たちの言葉から推察することができる。勝利だ。鶏か卵かという話になるが、サロモンは率いる兵に勝利を確信させるがゆえに勝利するのだ。戦えば戦うほどに求心力を増していったに違いない。


 幾つの町を巡ったろうか。幾つの戦場に立ってみたろうか。


 サロモンの人生は王国を北へ北へと歩んでいって、あの死地にベルトランを打ちのめしたる後、王都へ戻って炎の中に没することとなった。その炭と化した死体は墓に入れられることもなく、川へと放り捨てられた。そして1人の女性が捕縛されたのだ。


 ジキルローザの足跡はどこにも見つからなかった。


 手下たちからの情報も彼女とは関係のないものばかりだった。


 いよいよ打つ手がなくなった時、ベルトランは南へ向かうことにした。


 少数民族の老婆が話していたことを思い出したのである。魔眼とすら言われた彼女の目が、何度となく南ばかりを見つめていたということを。あまりにも曖昧な情報だが、もはやそれにすがるよりなかった。


 塵夢森。


 南の人外魔境であるその大森林に近い小村で、ついにベルトランは有力な情報を得るにいたった。以前は羊飼いだったという男が、ジキルローザらしき女が森の方へ向かうのを見たという。それが本当に彼女だとしたなら、他のどこでも見つからないはずである。


 そしてベルトランは魔境へと分け入り……筆舌にし難い体験をして、今、船に揺られているのだ。


「南の魔境は魔女の森、人の子入らば魂枯たまがれる」


 船頭の歌声を背中で聞く。その部分の歌詞だけは奇妙に心をざわつかせるから、ベルトランはギュッと剣を握りしめて耐えた。嫌な汗が頬を伝う。


(主に一度報告した後は、次こそ、この命を賭して……!)


 一際冷たい風が吹いた。

 

 見やったならば……遠く天境山脈の稜線が、澄んだ空に尖り並んでいた。

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