第11話 童話はあまり知りません
貴族には貴族の義務というものがある。その内の1つが安宿には泊まれないということだ。服にしろ食事にしろ身分相応のものでなくてはならない。王権によって爵位を授けられた者がみすぼらしくあったなら、それは個人の名誉だけでなく、王の威信をも損なうことになるのだから。
「……というわけでな、他意はないのだ。つまらん部屋だが寛いでほしい」
ダニエルの言葉はその4人にどう響いたものか。部屋に用意させた酒肴を囲うようにして、平均年齢にしてみれば具合のよさそうな男たちが思い思いに座っている。
「つまりはある種の壮行会ですかな。仲間と語らって酒を酌み交わす。文化に多種多様のあれど、古来よりこれに勝る美味さはありません。男ばかりでは華もない……というわけでもありませんかな?」
1人は、ヘルレヴィ領軍の便利屋とも言われる男、アクセリ・アーネル領軍中尉だ。軍人としての確かな実力を体格に感じさせるだけでなく、何をしても様になる優美さも兼ね備えている。ここでも場慣れした風で酒杯を取っている。その余裕ある態度は実のところ人を選ぶものだろうとダニエルは思う。彼にとっては好感のもてるものでも、例えばヘルレヴィ伯爵辺りには不快であろうと。
「なんじゃい、商売女でも呼ぶ気か? 儂帰るぞ、そしたら。ただでさえ酒の一滴も溢しにくい部屋なんじゃ……面倒を増やすでないわい」
1人は、ヘルレヴィ領軍の古参兵であるヤルッコ軍曹だ。伸びた白髭、背が低くガッシリとした体型、そして仏頂面という三役が揃っているからだろうか。ダニエルにはその老兵が絵物語のドワーフか何かに思えて仕方なかった。初対面は随分と騒がしいものであったが、これで戦場においては比類ない勇気を見せる鬼軍曹なのだとアクセリは紹介していた。
「いやいや、軍曹殿、そういう意味ではないでしょうから流しましょう流しましょう。中尉殿は怖いもの見たさが時に身の危険を省みるよりも勝るお人柄ですからね。巻き込まれるのは御免です」
1人は行商人のラウリという男だ。温和な顔立ちにいかにも人好きのする笑みを浮かべている。だからだろうか、髭が何とも滑稽な印象となっている。しかし有為の人物だとダニエルは見ている。多くの商家に顔が利き、しかもどこへも角を立てない。清廉なだけでなく強い信念のようなものが見受けられる。
そして、もう1人。
「む……何やらそこはかとなく不快感が」
名字もなく年齢も10に満たないその少年の名は、マルコ。容姿を評するならば黒髪碧眼の美童。成長の暁にはさぞかし人々を魅了することだろう。現時点でも、静かに座って肖像画など描かせたなら面白いことになるかもしれない。
しかし、とダニエルは口の端を歪めた。
「勘違いのないように言っておきますが、僕はもう8歳です。そしてあなた方の誰しもが元8歳でしょう。思い出してみることをお薦めします。自らが8歳であった時、大人の揶揄にいかなる憤懣を抱いたのかを」
困ったものです、と首を振る姿は大仰で道化じみている。おどけて見せているのだ。ヤルッコが首を捻ってわからない様子であることも併せると堪えきれるものではない。アクセリとラウリが大きく笑い声を上げ、ダニエルもまた笑った。誰からとも知れず杯を捧げあい、呷りあう。
(この彼を評するに際し、年齢や外見など……!)
年齢に合わない大人びた言動をとる子供はいる。大人を賢しらにやり込める子供もいよう。しかしこのマルコはそんな尋常の世界の賢才ではないのだ……そうダニエルは確信している。己の運命が熱く躍動する感触を楽しんでいる。
ダニエルがマルコを追って酒場に駆け入ってより、この夜で3日が経ったことになる。それは多くの人間の明日以降を変えた3日間であった。ダニエルの目に映る世界は色合いの全てを変貌させている。
今夜ここに集った5人は1つの事業を共にする仲間だ。
ハッキネン護衛団。
団長はダニエル。現在は150人からの傭兵が所属し、アクセリとヤルッコが部隊長を務める戦闘集団だ。出資金の過半以上はダニエルが負担し、残りは複数の商家からの協賛金で賄っていて、その会計責任者はラウリである。街道を行く商人の護衛を主目的とし、協賛商家の荷は優先かつ安価で、それ以外についても一般的な護衛よりも割安に引き受ける。荷に被害があった場合は弁償金を支払う。
負ければ終わりの討伐隊ではない。組織として運営され、利益を上げることで維持される集団だ。多くの商家が協賛したことで経営の見通しは既に立っている。私事として行うことを強要された事実……それを逆手にとった団名が効果的だったのだ。ハッキネンの家名は看板として絶品である。幻想が味方している。
全てを企画し、整えたのはマルコだ。
そもそも商家と傭兵とを焚き付けて護衛団なる入れ知恵を施したのは彼なのだ。更に領軍からも内々の協力を引き出さんとアクセリに接触していたところへ、何の奇縁か、ダニエルが飛び込んだ。
ダニエルの素性と事情とを知ったマルコの行動は早かった。
厄介事を押し付けられたとぼやくダニエルに「非公式であれ、領主の了承の元に私兵を運営できるということ」と解釈して組織の完成予想図を描いてみせた。圧倒されつつもダニエルがそれを承認すると、ラウリと共に商家の説得へと走り、傭兵の募集についてはアクセリに一任した。
本来であれば領軍の尉官に命令する権利などマルコにあろうはずもない。ないはずなのだが、何故かアクセリは勇んで働く。疑問を口にしたダニエルに対してラウリが言った言葉は「マルコくんの周りではそういう不思議はままあること」だ。当のアクセリはといえば、傭兵を選抜する傍ら、いつの間にか領主から「ハッキネン男爵の監視任務」なる命令書を受領してきていた。
「雑用といえど厭わず真面目にやっておくものですな。面倒事を発案し、自らそれを志願したところで、疑われることもなく任じてもらえます。まぁ、喜ばれることも評価されることもありませんがね」
ついでとばかりに、ヤルッコの長期休暇申請までも通してきたのだから徹底している。理由を健康上の理由にしている点は恐らく笑うところなのだろうと判断し、ダニエルはそれを実行したのだが、結果として老兵は臍を曲げてしまった。すぐに謝罪したが、回復はマルコがかけた言葉のお陰だろう。
「あなたが兵として屈強であることは、あなたを知る誰もが理解するところです。僕もまた一目でそれが分かりました。中尉殿はそれを承知の上で、方便として健康を理由にしただけです。男爵様が笑ったのも、それが笑い話にしか聞こえないほど、あなたが覇気に満ちているからですよ」
ブツブツと文句を言いつつも、コロリと機嫌の良くなったヤルッコであった。そして嬉々として、採用された傭兵たちの輪へと入っていく。歴戦の古兵である彼を知る者は多く、貴族だろうが何だろうがお構いなしに叱りつける剛毅は慕われているのだ。情に厚く、あれで面倒見もいいのだから尚更だ。
ダニエルはといえば、組織の代表として随所に挨拶回りをする役目が多かった。お膳立ては全てマルコである。商家との会合や団員への閲兵も重要な仕事だ。書類への署名捺印も行わなければならない。無聊の日々を暮らしてきたダニエルにとっては全てが楽しかった。
かくして怒涛のような3日間が過ぎ去って、この夜に酒杯を傾けるに至ったのである。
「しかし、元8歳にはまいったな。やはり現役の8歳の言うことは一味違うものだ」
そうダニエルが蒸し返してみれば。
「こんな坊主が2人といるものか。大人がいらんことになるわい」
ガブリと酒を喰らいつつヤルッコが無礼口を叩く。この老兵は数知れぬ戦場のどこかに礼法の全てを置き捨ててきたらしい。ダニエルは「それもそうか」と返した。つくづく酒が美味い。
「確かに、マルコが2人3人といたなら大変な世の中になるでしょうなあ」
アクセリはさも堪らないとばかりにため息を吐いたが、その口端はクイと上へ歪んでいる。そしてダニエルへと向けられた視線には鋭利な光が宿っている。
「1人ですら、かくも世界へ影響する子です。“三つ首蛇王”の寓話を思い出しますな。黄金の葡萄を護るはずの魔力は、それぞれの首がそれぞれに偉大であるがゆえに乱れ、結局は葡萄を喰われてしまった……“白狼君”によって」
それは童が寝物語に読み聞かせてもらうような、由来も定かでない物語の1つだ。ダニエルは勿論知っているし、それを口にしたアクセリの意図も理解していた。自らの口端もまた歪んでいく。
アクセリはダニエルに「考え違いはするなよ」と釘を刺しているのだ。
マルコを蛇の頭の1つ1つになぞらえたように聞こえるが、それは違う。むしろ蛇はダニエルでありアクセリであろう。さりとて葡萄がマルコというわけでもない。恐らくはハッキネン護衛団が葡萄なのだろうとダニエルは推し量る。蛇王と併せて、事業と自分たちとを多少とも卑下する意図もあるかもしれない。
何故なら、白狼君こそがマルコのことだろうからだ。
孤高にして誰よりも賢く、誰よりも鋭い牙をもつ白銀の狼。寓話世界の英雄であり、その苦難と栄光の冒険に子供たちは喝采を送る。ダニエルもまたそうであった。そして物語の数ある名場面の内でも人気のある1つに、“猿王の勘違い”というものがある。
白狼君はある時ひょんなことから木の上の猿王に協力することになった。地に降りることを厭う猿王のために走り回り、猿王に多くの利益をもたらす。それは白狼君にとっては善意であったのだが、猿王はそれを木の実欲しさからの忠誠であると勘違いしてしまった。居丈高に命令を口にするようになったのだ。
その結末は3つもある。読み聞かせる子の年齢や性格によって使い分けられたのだろう。1つでは、白狼君は木を駆け登って猿王を噛み殺す。1つでは、白狼君は木の根元を噛み折ることによって猿王を地に落とし、大怪我を負わせる。1つでは、白狼君はただ立ち去ることによって猿王を見捨てる。
ダニエルが好んだ結末は最後の1つだった。哀れみや優しさによってではない。むしろ逆だ。それが最も猿王を苦しめるものに違いないからだ。誰かを憎み敵愾心を燃やすことはどこかで甘美だ。しかしただ無言で見捨てられたなら……長い孤独の末、猿王は己と木の実とをどのような思いで見つめることとなるだろう。どのような最後を迎えるだろう。それはとても残酷なことだとダニエルは考えたのだ。
だから、ダニエルは答えた。アクセリの視線を正面から受け止める。
「白狼君の物語は私も好むところだ。彼の者の征く道を輩として歩めたなら、それはさぞかし誉れであろうな。そして猿王の類を見かけたならば代わりに走ることもしよう」
人の形をした白狼君たるマルコは、その前途には多くの困難や障害が立ち塞がるに違いない。寓話の白狼君は傷つきながらも全てに勝ちきったが、現実とは物語よりも恐ろしいことをダニエルは知る。勇者と呼ばれた男は敗れて死に、魔人と呼ばれることとなった男は勝ったる後にすら死んだではないか。
露払いが必要なのだ。ダニエルには予感がある。障害の種類に応じて、それを代わりに被る人間が必要となるだろう。ハッキネンという幻想をまとう自分には、きっと、自分にしかできない役割がある。
「それはいいですな」
アクセリは実に嬉しそうに言って、悪戯な笑みを深くした。
「代わるもよし、共に噛みつくもよし、先んじて射落とすもまたよし。人は己の器にあった仕事をしている時のみ見苦しさから逃れられるというもの。いやはや、最近の私は中々に男前であると自認しておりますよ」
ああ、とダニエルは破顔した。ここには既に先達がいる。
「白狼君ですかぁ……私は昔っから、そのフサフサの尻尾につかまってみたいと思ってました。凄い世界を見られそうですし、何より気持ち良さそうです」
ここが大事なところです、とばかりに片目を閉じなどするラウリだ。この男はとにかく察しがいい。そして場を和ませる。聞けば誰よりも早くマルコと出会ったらしい。ダニエルはそれを羨ましいと思うと同時に、1つの危惧を感じていた。
「今更かもしれないが……ラウリは本当に構わないのだろうか。護衛団の事務方責任者ともなれば、多くの時間を私と共に領都で過ごすこととなる。今までのように自由な行商はできなくなるが」
言外に問う。それはマルコと過ごす時間の減少を意味するのだ、と。実は村長の息子だというマルコは村に帰らなければならない。その場所は辺境だ。いずれ大きく飛び立つことは疑いないが、やはり8歳という年齢には制約がかかる。
「勿論、構いませんとも。男爵様におかれましては、ご心配をいただきありがとうございます」
ニコニコと答える姿には嘘がない。しかしダニエルの心配は晴れない。護衛団の本拠を置く領都にラウリがいてくれなければ困るのは確かだ。かといってマルコから腹心を奪うような真似はしたくない。
その顔色をも察したのだろう。ラウリはチラチラとマルコの方を窺いはじめた。ダニエルがそれを追ってみたならば、果たしてマルコは大きくため息をつくのだった。
「その方が商売がはかどるのです」
意外な言葉が少年から飛び出した。仕方がないといった風でいて、何とも楽しそうに解説を始めたマルコである。
「皆さん、最近巷で評判の“白透練”という薬をご存知ですか? あれの製造販売は僕らが行っているのです。これは出来る限り秘密にしたいことなので、誰にも話さないでくださいね?」
驚く周囲を嬉しそうに眺め回して。
「実は2つのことに困っていたのです。1つは製造量拡大のための設備投資。1つは販路拡大のための増員。資金はあるのですが、上手くやらないと怖い人たちに狙われてしまいますからね」
少年の小さな手が指折り数え上げていく。領主、貴族、商家、盗賊。
「ハッキネン護衛団は本拠こそ領都ですが、その性質上、人員を増強しつつ領内各所に分所を設けることになります。兵の駐屯は勿論ですが、相手は馬賊ですから馬も必要ですね。それら全ての管理責任者たる者は何を得ると思いますか?」
もう1つの手で数え上げていく。販路、輸送人員、厩舎、営業所。
そして両手を胸の前で合わせてみせた。
「お陰さまで全てが上手く運びそうです。ごちそうさまです」
ペコリと礼をし、ニコリと微笑んだ。
呆気にとられ、ただただマルコを見つめ続ける時間がしばらく流れて……年の功だろうか、ヤルッコが鼻を鳴らしてぼやいてのけた。
「……こんな坊主が2人といてたまるものか。大変なことになるわい」
部屋に笑いが弾けた。
それは宿の格式からいうとあってはならないほどの大音量で、周囲からの苦情を受けたのだろう店主にごく丁重に自重を求められたダニエルは、それでも堪え切れない笑いを苦心して手で押さえつつ、済まぬ済まぬと金を握らせたのだった。
その後、もう3度ほど金を握らせることになる。壮行会は沸いた。