1
何本もの路線が乗り入れている大きなターミナル駅。毎朝のように繰り返される通勤客の乗り換えは、規則正しい綺麗な一つの流れとなっています。
この綺麗な流れを乱すのは簡単です。少し変わったことをすればいいのですから。乱すモノには二種類あります。
一つは通勤でない者です。流れを知らず、道が分からず、あり得ないところで立ち止まってしまいます。一ヶ所でちょっと流れが変わってしまうと連鎖的に他の流れに何らかの影響を及ぼします。でも、その時、原因となった者はそれに気がつきません。気づくことは難しいです。
もう一つは工事。いつもの通路が工事のために狭くなったり封鎖されたりします。ただ、三日も経つとそれが当たり前になり、再び、流れは綺麗になります……。
-----------------------------
「通路が大変狭くなっております。ご協力お願いいたします」
駅の構内、地下通路において、大規模な工事が開始された初日。ただでさえ狭い通路に囲いが付加され、更に狭くなっている。そこにガタイのいい警備員が立って威勢のいい声を出している。
その警備員は通勤の者の流れより頭一つ飛び出ているため、そこに何かがあることは遠くからでも分かりそうだが、意外に皆ぎりぎりになってから避けていく。ぶつかって舌打ちする者もいる。
昨日までそこにはそんな警備員は立っていなかったのだから仕方がない、……のだろうか。
通勤の者の流れは決まってある時間を境にスーッと引く。オフピーク通勤をしている者、始業時間の遅い会社の者などがパラパラと歩く程度になる。
「ふう、やっと通勤ラッシュが落ち着いたな」
パラパラになった時、4、50才と思われる先輩の警備員がガタイのいい警備員に声を掛ける。さっきまでは持ち場を移動することすらままならなかったが、今は自由に動ける。先輩警備員も持ち場から離れて来ている。
「はい、すごいですね」
「まあ、三日もしたら、みんな道を覚えるからスムーズになるさ」
慣れているのだろう、先輩は持ち場に戻らず、そのまま話し続ける。
「しかし、頭一つ飛び出てたな、学生さん。なんか、スポーツやっているの?」
ここが禁煙でなかったらタバコの一本も吸いそうな感じだ。それに対しガタイのいい警備員はまだまだ緊張の面持ちである。
「あ、はい、えっと、スーパーフットボールってっやつを……」
「ああ、なんか聞いたことあるなあ、そっかそっか」
知った風であるが、たぶん知らないだろうな、と、彼は思った。彼は近くの大学生、山田義男。今日からこの現場に入ったアルバイトである。
*
なるほど三日も経つと通勤の者がだいぶ綺麗に流れるようになった。いつもそこにいる山田にぶつかる者もいない。
しかし、時々現れる通勤でない者の行動により、大きく乱される。一日一回は乱れることを忘れない。そのたびに山田は邪魔扱いされる。『ラッシュ時は、立たなくてもいいんじゃないか?』なんてことも考える。ここの現場は予定では後2週間。『最後までやり通せるだろうか』と考えることもあった。
そんな山田を我慢させてくれたのは、パラパラになった時現れる一人の女性だった。
「おはようございます! ごくろうさまです!」
オフピーク通勤ってやつだろうか。まだスーツに着慣れていない感じがするのでもしかしたら社会人一年目かも知れない。でも、堂々としている感もある。
通りすがりに警備員、工事作業員、みんなに声をかけてくれる。もちろん山田にもだ。ちょっと茶髪の長いまっすぐな髪をなびかせ、颯爽と歩く。そして元気な声は山田に癒しをくれていた。
*
「つまり、山田は、その人に恋しちゃったわけだ」
大学のスーパーフットボール部の練習後、練習場のネットを介してすぐのところに建てられている部室で同輩、児島健二は山田の話を聞いて、ズバリ言った。
「いや、そんなことは一言も言ってないだろ」
「まじまじ?」
「そうなの?」
ちょうど部室に入ってきたマネージャの二人、石丸洋子、宇津木桜も、話に乗っかってきた。二人とも紺のジャージであるが石丸のほうは短パン、袖捲り、宇津木のほうは長袖長ズボンと、性格がちょっと出ている。
「なんだよ。もう、話さん」
山田は腕を組んでむくれた。
「なになに、どういう話?」
石丸はやはりあまり話を聞いていなかったようだ。宇津木もそんな様子だ。
「っていうか、まだ、着替え終わっていないの? 他のみんな帰ったよ。早く着替えて。掃除できないじゃん」
石丸は続けてそう言う。
対して児島は言い訳気味に言う。
「えっと、いや、なんだ。山田のバイトの話を聞いていたら、応援したくなってよぉ」
石丸はそれに思いっきり食いついた。
「なになに、女?」
「児島、いいって!」
山田はちょっと怒り気味、と言うか、とても恥ずかしそうである。
「まあまあ」
山田をなだめたのは石丸だった。
「とりあえず、ちゃんと聞かせて。力になれるかもよ、ね、桜」
「え? あ、うん」
おとなしい石丸の後ろに隠れるようになっていた宇津木も無理やり賛成させられた。
ほとんど児島が概要を話した。山田はほとんどしゃべらなかった。児島の話に誤りがあるときだけ恥ずかしそうに山田が修正する程度。山田は恥ずかしそうにしているが、特に否定も肯定もしなかった。
「なるほど、いいじゃん、いいことじゃないの。恋するっていいことじゃない?! ちょっと内気な山田君にはいい感じの元気な女じゃないの」
「いや、だから、その、挨拶ぐらいしかしてないんだって……」
ガタイのいい山田の体の上に、小さい真っ赤な頭が乗っているように見える。どっかの国のよくわからないおみやげの置物のようだ。
児島は相談に転じた。
「なので、なんとか気を引くことは出来んかなぁ」
「別にいいって、このままでさ」
山田はそう言う。
「まあ、そういうな。このままの流れではなにも起きそうもないだろ。少し乱してみた方がいいって」
そう言う児島に対して、山田は『もうどうでもいい』という面持ちになった。
「うーん。そうねぇ……」
石丸はちょっと考えた後……、
「……どうおもう? 桜」
そう、逆サイドの宇津木にパスをあげた。宇津木もちょっと考えた後、山田をチラッと見ながら、パスを受けた。
「えっと、や、山田君は、その人に警備している姿しか見られていないから、たぶん他の警備員と一線に見られていると思うの。なので……」
「なるほど、他の警備員とは違う、ってことをアピールするってことね」
宇津木からセンターリングを上げられた石丸は強引にシュートを打った。
「どうやって」
児島はそのシュートを軽く弾き飛ばした。
「山田君が実はモテる人ってことがわかれば、すこしは興味出るのでは?」
石丸はもう一回強引にシュートを打った。
「どうやって。警備中だぞ」
児島はまた軽く弾き飛ばした。
「ラブレターを渡すってのは、……どうかしら……、?」
センターリングを上げた宇津木がこっそり上がってきた。
「仕事中に、渡せないだろうし、受け取ってもらえるか……」
児島が体を入れると宇津木は軽く交わした。そしてこぼれたボールに軽く合わせる。
「ううん、山田君があげるんじゃ無くて、貰うの。貰っているところを見せるの、なんて……だめだよね?!」
「おー、なるほど」
ゴーーーーーール!!
決まったようだ。
決めた宇津木が一番びっくりしているようであった。
しかし、正直、みんな、それで恋が成功するとは思っていないのが本音ではあるが……。
「なんか流れが変わるんじゃね」
……とは児島の弁である。
山田は相変わらず『もうどうでもいい』という面持ちだった。