触れる
ジャンルをホラーにしましたがあまり怖さはありません。
「お前はいつもそうだ。客を『こなしている』だけ。気持ちがこもってないんだよ。」
マッサージ師として客を触り始めて半年が経とうとしている。多少なりとも「気持ち良かった」と言ってくれる客がいてくれたからこそ今まで続けることができたものの、自分の頑張り次第でいくらでも稼げますと掲げた求人情報誌の広告につられただけの志の低い人間にとっては、稼ぎはいいが決して楽なバイトではなかった。
最初は親指の痛みと全身を襲う疲労感でロクに眠れない日々が続いたりもしたが、今となってはそんな日々を懐かしく感じている自分がいる。
「客が帰る時の顔を見ろ。満足しているかどうか俺には一目でわかる。お前が触った客はみんな首をかしげて帰っていくんだ。」
研修時に教わった施術マニュアルを手順通りに行い、あとは差しさわりのない会話を長くても一時間ほど続ければ一人目は終わる。症状が違っていてもやることは何も変わらない。腰が痛い、肩がこる、足がむくむ。それに合わせたマニュアルと会話を使えばいいだけ。
「お前はまるで施術マシンだ。」
店長はそんな機械人間が大層気に入らないらしい。
「俺のは『治療』お前のは所詮『マッサージ』だ。」
そう言われた次の日から俺の仕事は店内清掃になった。
収入は明らかに減り、生活も苦しくなってきたので転職を本気で考えていた。これで何回目だろう。前のバイト先でも効率のよいスタッフ配置と配膳方法を考え、バイト仲間から社員以上の信頼を勝ち得た結果、身に覚えのないミスを擦り付けられ時給を半分以下にされた。
「うちにロボットは必要ない。」
今日はスタッフが一人体調不良で休んだためにどうしても人出が足りなかったらしく、店長は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべ俺に接客対応するように指示してきた。
マッサージ中に常連客から「旅行はどうだった?」や「リフレッシュ出来たかい?」と言われ最初はピンとこなかったが、どうやら清掃員として働いていた数日間、他のスタッフは俺を指名してくる客に長期休暇を取ったと話していたらしい。
客足が落ち着いてきた頃、マッサージ中の店長がわざわざ手を止め俺に近寄り、周りには決して聞こえないであろう声で「もう帰っていいよ。お疲れさま。」とだけささやいた。
近所のコンビニで弁当と求人情報誌を買い、家まであと数メートルの所で聞き覚えのある声に呼び止められた。
「久し振りだね。」
「ああ、トクナガさん。今日はどうでしたか。」
「あいかわらず気持ちよかったよ。」
トクナガさんは俺の事を初めて指名してくれた客で、この人が頻繁に指名してくれるようになってから徐々に他の指名客も増えてきた。もしかしたら色んな人に俺の噂をしてくれたのかもしれない。
「ありがとうございます。トクナガさんが指名してくれなかったらこんなに支持されなかったかもしれません。」
「それはもう聞き飽きたよ。」
背筋をピンと張り、目立つ皺も少ない。確か還暦をとうの昔に過ぎているはずだが、見るたびに若々しくなっている気がする。
「トクナガさんこの辺りにお住まいなんですか?」
「いやいや。アンタを待ってたんだよ。」
ニコニコとした表情を一切崩さずに話を続けた。
「まだ今の仕事続けたいかい?」
「え?」
「アタシにゃわかる。全部言わんでもいい。続けたいか続けたくないかだけ答えてくれればいいさ。」
とっさにコンビニ袋を後ろに隠した。見られたか。いや、マッサージは長時間身体に触れ続けているため、会話をしなくても手先だけで伝わってくるものがあるという。触った時に何か動揺が伝わったのかもしれない。
「…続けたいです。」
初めて指名をくれた客にこのままやめたいですなんて言えるわけもなく、変に見栄を張ってしまった自分がいた。
「じゃあ私の手を握ってごらん。」
そう言うとトクナガさんはゆっくりと右手を前に出した。
俺はそれを包み込むように両手で握りしめた。熱い。カイロの様な熱を持った手に驚きながらもいいよと声をかけられるまでずっと手を握っていた。
気がつくとベッドの上で仰向けになっていた。服は昨日のままだ。部屋を荒らされた形跡はない。
久しぶりに変な夢を見たらしい。
その日もまた俺は掃除をせずに済んだ。なかなか熱が下がらないと今朝電話があったようだ。
「今日もありがとう。」
「おかげでホント楽になったよ。」
次の日もその次の日も来なかった。よほど体調が悪いらしい。特段仲の良い奴でもなかったので心配はしなかったが、これをチャンスだとも思わなかった。業績は元から俺のが上だからだ。
手技を連日行うのは久しぶりだったためか最近なかなか疲れが取れない。始めたての頃のような…いやそれ以上かもしれない。この疲労感に懐かしさを感じる余裕すらなかった。毎日のように親指はきしみ身体中を酷い筋肉痛が襲った。膝や肘の関節にまで痛みが広がっているような気もする。
しかし、いやここは当然と言うべきだろうか。俺が触る客は日に日に元気になっていった。前に比べて顔に艶が出て言葉にも覇気がある。まるで別人のように。
「おい。おい!」
気がつかなかった。疲れで頭が呆けていたようだ。
「最近疲れているな。」
また俺を休ませる気か。
「顔色が悪いぞ。あまり無理はするな。」
何を言っている。俺がいないとこの店潰れるぞ。ほら外を見ろ、俺の手技を待つ客がこんなにもいる。
「おい!大丈夫か?」
俺は施術台に戻った。
みんな俺の手技を待っている。
「今日もまた頼むよ。」
「また君に触ってほしいな。」
「あの治療してくれよ。身体がすごく楽なんだ。」
目の前に何人もの人が群れをなして俺を囲んでいる。次は誰だ。次は誰が俺に触ってほしいんだ。
受付の女の子が名前を呼んだ。
「トクナガさーん。毎日熱心ですね。」
目の前に歳のわりに古めかしい服を着た女の子が立っていた。
「またよろしくね、マッサージの『お兄ちゃん』」
さあ治療の再開だ。
俺は震える手でその子の背中を押し始めた。