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短編小説

呪われた廃地を愛した令嬢〜慰謝料として押し付けられた土地に、誰も知らない価値がありました〜

作者: おでこ
掲載日:2026/03/28

本作は、全六章で構成された異世界恋愛短編小説です。


一気に読んでいただいても、お気に入りの場面で一度閉じて続きを楽しんでいただいても、どちらも大歓迎です。どうか、ご自分のペースでゆっくりお付き合いください。(*‘ω‘ *)/

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第一章 婚約破棄の日

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 アリシア・フォン・ヴェルナーにとって、その日は最悪の日になるはずだった。


 クレスト公爵家の大広間。天井から下がるシャンデリアの光が床の大理石に反射し、ため息が出るほど美しい空間だった。


 招かれた貴族たちが扇を口元に当て、こそこそとわたしの方を見ていた。


 なぜ今日、こんなにも人が集まっているのか。婚約確認の小さな茶会のはずだったのに。


「アリシア・フォン・ヴェルナー。今日をもって、君との婚約を解消する」


 婚約者であるライアン・ド・クレストが立ち上がり、よく通る声でそう言った。


 二十一歳のライアンは、光の差し込む場所に立っていた。黄金色の髪は美しく、凛々しい顔立ちには冷たさが宿っていた。


 わたしは一瞬、言葉の意味が分からなかった。


「……え?」


「聞こえなかったか。婚約解消だ」


 周囲がざわめいた。扇の陰で笑い声が漏れ始める。


「なぜ……ですか」


 声が震えるのを抑えながら、わたしは尋ねた。


 ライアンの隣に、見知らぬ女性がいた。薄紅色のドレスを纏い、艶やかな黒髪を持つ若い女性。男爵令嬢のセレナ・ベルモントだと、後から知った。


 セレナはライアンの腕にそっと触れながら、わたしを見ていた。哀れんでいるような、それでいて勝ち誇ったような目だった。


「君は侯爵令嬢として育てられたが、わたしとは根本的に合わない。貴族の婚姻は家格だけで決まるものではない。真に相応しい伴侶とは、家の格ではなく、心で結ばれた者のことだ。セレナこそが、わたしが求める、その人だ」


 ライアンの声は落ち着いていた。怒っているのでも、焦っているのでもなく、むしろ静かな確信に満ちていた。まるで自分は正しいことをしている、と信じて疑っていないような口ぶりだった。


「セレナ様は……男爵家の方ですが」


「だから何だというのか。アリシア、君はわたしが言っていることの意味が理解できないのか。心の結びつきより家柄を優先するのが正しいと、本気で思っているのなら、それこそわたしたちが合わない証拠だ」


 ライアンは穏やかな表情のまま、そう言った。


 その言葉が、なぜか一番刺さった。


 怒鳴られるよりも。見下されるよりも。


 自分は正しいと信じた顔で、淡々と告げられる言葉の方が、ずっと深いところに刺さった。


 周囲の貴族たちがひそひそと話し合いながら、扇で口元を隠してわたしを見ていた。


「まあ、公爵家の婚約者ですって?」

「それがこんな形で……かわいそうに」

「いいえ、あの令嬢はずっと石だの鉱山だのと変わったことばかり言っていたでしょう。そういう女を選ぶライアン様の目がなかっただけよ」


 聞こえないはずがない距離で言われた。意図して聞こえるように言っているのだと、わかっていた。


 わたしの胸の中に、何かが点った。


 炎というより、炭火に近かった。派手に燃えるのではなく、じわじわと、静かに、熱く、奥の方で燃え続けるような感覚。


 三年間、婚約者として礼儀を守り、家同士の付き合いに努め、一度も問題を起こしたことはなかった。それを今、大勢の前で「心で結ばれていない」の一言で終わらせようとしている。


 怒りだと気づいたのは、少し後になってからだった。涙は出なかった。わたしの怒りはそういう種類のものではなかった。もっと静かで、もっと長く、もっと深いところで燃えるものだった。


「……では、わたしは婚約を不当に破棄されるのですか。慰謝料は」


 せめて、と思った。侯爵令嬢としての最後のプライドを保つために。


 ライアンは少し考えるような素振りをした後、わずかに唇を曲げた。


「慰謝料か。そうだな……」


 彼が視線を向けると、部屋の隅に立っていた執事が書類を持ってきた。


「クレスト領の北東に廃地がある。かつては何かの採掘場だったらしいが、今は何も取れない。呪われた土地とも言われている。あの土地を慰謝料として譲渡しよう」


 部屋が一瞬静まり返った。


 次の瞬間、笑い声が弾けた。


「廃地ですって?」

「呪われた土地を慰謝料に?」

「まあ、ひどい。でも、あの方にはちょうどよいかも……」


 扇の陰でひそひそと交わされる言葉が、矢のように刺さった。


 わたしは書類を見た。確かに土地の譲渡証書だった。クレスト領北東部の廃地、およそ二百ヘクタール。


 現金価値にすれば、ほぼゼロだろう。呪われた土地などと言われている荒れ地を、慰謝料と呼ぶ人間がどこにいるというのか。


「……受け取ります」


 わたしはそう答えた。


 泣かなかった。震えたが、泣かなかった。


 書類を手にした瞬間、ふと目が止まった。「かつては採掘場だった」という一文に。


 誰も気に留めないような一言だったが、わたしには引っかかった。採掘場。何かを掘っていた場所。なぜ今は何も取れないのか。本当に何もないのか。それとも、誰も正しい見方をしていないだけなのか。


 胸の中の炭火が、かすかに強くなった気がした。


「潔いな」とライアンは言った。その声には、あからさまな見下しがにじんでいた。「侯爵令嬢といっても、所詮はその程度か。あの廃地がよく似合いますよ」


 周囲の笑い声がひときわ大きくなった。


 わたしはその言葉が耳の中で響くのを感じながら、書類を受け取った。


 こうして、わたしの婚約は終わった。


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第二章 廃地へ

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 ヴェルナー侯爵家に帰ると、父は驚いた顔をした。


「婚約を破棄されたと?」


「はい。慰謝料として、土地を受け取りました」


 書類を見た父の眉間に深い皺が刻まれた。


「廃地か……。あそこは何も取れん。昔、鉄鉱石の採掘を試みたが、地盤が悪く断念したと聞いた。今は雑草も生えない荒れ地だ。呪われているという話も聞く」


「そう言われていますね」


「アリシア、お前はこれからどうする気だ」


「廃地を見に行こうと思います」


 父はわたしを見た。


「……何か考えがあるのか」


「はっきりとした考えはないですが……まず自分の目で見たいのです」


 幼い頃から、わたしは石が好きだった。


 令嬢らしくないと言われた。変わった趣味だと笑われた。でも、石の断面に宿る光を見るたびに、胸が躍った。どんな地味な岩でも、割ってみると中に違う顔がある。表から見ただけでは、何も分からない。


 ライアンも「石ころに夢中になるとは変わった趣味だ」と言っていた。笑いながら、あまり人前でその話をするなと言っていた。でもわたしにとって、石の世界は誰に笑われても手放せないものだった。


 廃地という言葉を聞いた時から、何かが引っかかっていた。


 呪われた土地。採掘場だった場所。今は何も取れない荒れ地。


 なのに、なぜか胸が落ち着かなかった。


 父はわたしを止めなかった。ただ「気をつけろ」と短く言ってくれた。


 翌朝、わたしは侍女のマリアと御者のトムを連れて、廃地へ向かった。


 クレスト領北東部まで馬車で半日。街道を外れ、荒れた獣道を進むと、急に空気が変わった気がした。


「お嬢様……」


 マリアが窓の外を見てつぶやいた。


 木が一本も生えていなかった。草もない。ただ、黒っぽい土が広がる荒れ地が続いていた。


 でも。


「……きれい」


 わたしの口から、思わずその言葉が出た。


 土が銀色に光っていた。


 いや、正確には、土の粒に銀色の何かが混じっていて、朝の光を受けてきらきらと反射していた。まるで細かい星の欠片を地面に撒いたような、見たことのない輝きだった。


「気持ち悪い土ですね」とマリアが言った。「こんな色の土、見たことがありません」


 わたしは馬車から降りて、地面にしゃがんだ。


 土をひとつかみ、手の中でこねた。銀色の粒が指の間できらめいた。


「……これは」


 胸の奥で、何かが動いた気がした。鉱石の本で読んだ記憶が、頭の片隅でざわめく。でも、うまく形にならない。


 そのとき、遠くから老人の声がした。


「誰だ、こんなところに」


 振り返ると、鍬を持った白髪の老人が立っていた。顔に深い皺が刻まれ、目だけが鋭く光っていた。


「ルーカスさんですか」とトムが言った。「この辺りにひとりで住んでいる方です。無害な方ですので、お嬢様」


「あんたが、ヴェルナーの娘か」


 老人は鋭い目でわたしを見た。


「はい。アリシア・フォン・ヴェルナーと申します。この度、この土地を譲り受けました」


「譲り受けた、ね」


 老人は鼻で笑った。


「クレストの坊ちゃんが厄介払いをしたわけか。まあ、そんなもんだ」


「……ルーカスさんは、この土地についてご存知ですか」


「五十年住んどるからな」


 老人はそう言ってから、わたしの手の中の土を見た。目が、かすかに変わった。


「あんた、その土に気がついたか」


「銀色に光っていますね」


 老人の目が細くなった。


「なんで気がついた。ほかの連中は誰も気にしなかったのに」


「石が好きなので。普通の土の色ではないと思いました」


 老人はじっとわたしを見た。


 それからゆっくりと言った。


「昔な……この土地に、星が降ったんだ」


「星、ですか」


「わしがまだ若い頃の話だ。夜空に光が走って、地面がどかんと揺れた。朝になったら、地面に大きな穴が開いておった。中を見たら、黒い岩が落ちていた。それからこの土地の土は、銀色になった」


 わたしは老人の話を聞きながら、土を握り直した。


「その岩は、今もありますか」


「あるよ。この土地の中心に、今でも埋まってる。掘り出そうとした人間もいたが、途中で気分が悪くなって逃げ帰った。それで呪われた土地という話になったんだろうな。わしは平気だったけどな」


「……案内してもらえますか」


 老人は眉を上げた。それからゆっくりと笑った。


「面白い娘だ」


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第三章 土の下の光

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 老人ルーカスに案内された先は、廃地の中心部だった。


 地面が浅く窪んでいて、雑草すら生えていなかった。風が吹くと、銀色の土が舞い上がってきらめいた。


「ここだ」


 ルーカスが地面を指した。


 わたしはしゃがんで、土を手でどかし始めた。マリアが悲鳴を上げた。


「お嬢様、お手が汚れます!」


「構いません」


 土を掘ると、指の先に硬い感触があった。


 岩だった。


 普通の岩ではなかった。色が深い黒で、表面に細かい亀裂が走り、その亀裂の中に青白い光が宿っていた。夜の星を岩の中に閉じ込めたような、信じられない色だった。


「……っ」


 思わず息を飲んだ。


 子供の頃から石の本を読み漁り、採掘場の記録を集めてきたわたしでも、これが何か、すぐには断言できなかった。でも、何か特別なものだということは、一目でわかった。指先から、じんわりと何かが伝わってくる気がした。


「ルーカスさん、この岩……全部でどのくらいあると思いますか」


「わからん。でも、土地の下にずっと続いているような気がしてな。掘ろうとした人間が気分悪くなったのも、岩が何か出してるんじゃないかと思っとる」


 わたしは土地を見渡した。


 二百ヘクタール。見える限りの土が銀色に光っている。


 もし、この土地全体の地下にこの岩が眠っているなら。


「……帰ったら、調べます」


 わたしは岩のかけらをひとつ取り、布に包んだ。


 都に戻ったわたしは、父に事情を話し、鉱石の専門家を紹介してもらった。


 王立学院に所属する、ベルナルト博士だった。魔石研究の第一人者として知られる人物だという。


「これを見ていただけますか」


 博士は布を受け取り、岩を見た。


 一瞬、動きが止まった。


「どこで手に入れましたか」


「廃地の地中から掘り出しました。クレスト領北東部の荒れ地です」


 博士は岩を日光にかざした。亀裂の中の青白い光が、まるで生きているように揺れた。


「……アリシア様」


 博士の声が変わっていた。眼鏡の奥の目が、今までと違う輝きを帯びていた。


「これは、魔石です」


「魔石?」


「武器や魔道具に使われる特殊な鉱石です。しかし……これほど純度の高いものは、私の三十年の研究人生で見たことがない」


 博士は岩をさらに光にかざした。亀裂の中の青白い光が、揺れた。


「魔石は通常、採掘しても指の先ほどの粒が取れれば良い方です。それで金貨数枚の価値がある。しかしこれは……岩一塊が全て魔石でできている。こんなことが本当にあり得るのか」


 博士は興奮を隠しきれない様子で、立ち上がったり座ったりを繰り返した。


「土が銀色に光っているということは……」


 博士はわたしを見た。


「国家に報告する必要があります。至急、調査団を派遣すべきです。アリシア様、よろしいですか」


「……はい」


 わたしは答えた。


 胸の中で、何かが静かに燃え始めていた気がした。


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第四章 廃地の価値

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 三週間後。


 王立学院の調査団が廃地に入った。


 魔石の専門家、地質学者、王宮の役人。二十名を超える調査団が、二百ヘクタールの廃地を丁寧に調べ始めた。


 その報告が届いたのは、さらに二週間後だった。


 知らせは、ベルナルト博士が直接持ってきた。


 博士は屋敷に入るなり、眼鏡を外して、大きく息を吐いた。


「アリシア様」


 それだけ言って、少し黙った。


 わたしは静かに待った。父も、傍らで息を飲んでいた。


「……国内最大の魔石鉱脈です」


 博士の声は、抑えていても、震えていた。


「地下百メートルにわたって魔石の層が続いています。埋蔵量は……現在国内で採掘されている量の、百年分を超えるかもしれない」


 父の手が、膝の上でかすかに動いた。


「魔力の純度は、今まで発見されたいかなる鉱脈とも比較になりません。各地で増えている魔獣の活性化を抑えられる可能性もある。王国の安全に、直接関わる発見です」


 博士は言葉を区切り、わたしを見た。


「ただし」


 その言葉に、わたしは顔を上げた。


「あの土地の中心部にある隕石岩については、まだ研究が追いついていません。高濃度の魔力を放出しているのは間違いないが、長期的な影響については未解明な部分が残ります。採掘を進めながら、並行して研究を続ける必要があります」


「……リスクがある、ということですか」


「断言はできません。ただ、慎重に進めるべきだと」


 博士はそこで少し笑った。


「しかし、これだけの発見です。慎重に進める価値は、十二分にあります」


 父がゆっくりとわたしを見た。


 目に光るものがあった。


「アリシア」


「はい」


「……よくやった」


 それだけだった。でも、わたしはそれで十分だった。


 国王陛下への謁見が決まったのは、その翌週のことだった。


 王宮の謁見室は、天井が高く、白い大理石の床が光を跳ね返していた。玉座に座る国王陛下は、厳かな表情でわたしを見ていた。


「アリシア・フォン・ヴェルナー侯爵令嬢。廃地の発見について、国家は深く感謝する」


「もったいなきお言葉です」


「あの土地を所有している経緯を、聞かせてくれるか」


 わたしは簡潔に話した。婚約破棄のこと、慰謝料として廃地を受け取ったこと。


 国王陛下の眉が少し動いた。


「つまり、クレスト公爵家が厄介払いした土地が、これほどの価値を持っていたということか」


「……そのように、なります」


 謁見室がしんと静まり返った。


 国王陛下は少し考えてから、口を開いた。


「その土地は、永久にヴェルナー家の所有とする。さらに、国家事業として魔石採掘を行う際、ヴェルナー家を主管として認定しよう。アリシア・フォン・ヴェルナー、今後は『魔石の令嬢』として歴史に名を刻むことになる」


 その日から、わたしの人生は変わった。


 翌日から新聞に記事が載り始めた。


「廃地から国最大の魔石鉱脈発見」

「婚約破棄の慰謝料が国家的大発見に」

「魔石の令嬢、ヴェルナー侯爵令嬢アリシア」


 貴族たちの態度が変わった。


 あの日、婚約破棄の席でわたしを笑っていた人たちが、今は頭を下げていた。茶会の招待状が毎日届き、挨拶に来る者が列をなした。


 マリアが困り顔で言った。「お嬢様、先週まではどなたもお手紙をくださらなかったのに、今週は百通を超えてしまいました」


 わたしは苦笑した。


 世の中とはそういうものだ。価値があると分かれば群がり、価値がないと思えば去っていく。ライアンだけが特別に冷酷だったわけではないのかもしれない。でも、だからこそ、本当に信頼できる人間が誰かを、この経験で学んだ気がした。


 でも、わたしが本当に待っていたのは、別のことだった。


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第五章 後悔の重さ

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 ライアン・ド・クレストから使者が来たのは、王宮の謁見から十日後のことだった。


「クレスト公爵家の若様が、ぜひお会いしたいとのことです」


 使者の言葉を聞いて、わたしは少し考えた。


「お断りします」


「し、しかし……」


「今後このような連絡がありましても、全てお断りするよう伝えてください」


 使者は困った顔をしたが、引き下がった。


 それから三日後、今度はライアン本人が屋敷の前に現れた。


「アリシア、話を聞いてくれ!」


 門の前で叫ぶライアンを、わたしは屋敷の窓から見た。


 あの日の凛々しい顔が、今は青白く、目の下に隈があった。黄金色の髪は乱れ、ネクタイも曲がっていた。三週間前まで公爵家の嫡男として輝いていた姿が、見る影もなかった。


 侍女のマリアが顔をしかめながら言った。


「お嬢様、三日前も使者を断られたのに、今度はご自分で……」


「お通しして」


 わたしは静かに言った。


 これで終わりにしよう、と思っていた。


 広間でライアンと向き合った。


 二ヶ月前の婚約破棄の場面とは、何もかもが逆になっていた。あの時のわたしは声が震えていた。今は、わたしが椅子に座り、ライアンが立っていた。


 ライアンは最初、落ち着いていた。


 声も、表情も、かつての自信に近い顔をしていた。服もきちんと整えていた。ここに来るまでに準備していたのだろう、と分かった。


「アリシア、久しぶりだな。……少し、話せるか」


 静かな入り方だった。普通の訪問のような口ぶりで。


 わたしは何も言わずに待った。


「廃地の件だが、国家事業になると聞いた。あの土地は元々クレスト領のものだ。慰謝料として正式に譲渡したとはいえ、経緯を考えれば……共同で関わる形も、理にかなっているのではないか。双方にとって悪い話ではないはずだ」


 ライアンは言いながら、部屋を見渡した。


 以前と同じ広間のはずなのに、何かが違うと感じているのかもしれなかった。わたしが頷かないことに、少しずつ気づいていくように。


「あの土地は、わたしが正式に受け取ったものです」


 わたしは静かに言った。


「国王陛下からも所有権の確認を頂いています。共同管理の余地はありません」


 ライアンの顔から、少しだけ色が引いた。


「……そうか。だが、アリシア、俺は別にクレスト家のためだけに言っているわけじゃない。お前のことを考えて言っているんだ。あの土地の管理は、一家だけでは荷が重いだろう。クレスト家が支援できれば、お前にとっても……」


「必要ありません」


 短く言った。


 ライアンが止まった。


「……必要ない、とは」


「ありがとうございます。でも、必要ありません」


 繰り返した。


 落ち着いた声で、邪険にでもなく、でも明確に。


 それが一番堪えたのかもしれなかった。怒鳴られるより、泣かれるより、静かに断られることの方が。


 ライアンの口元が、かすかに歪んだ。


「アリシア!」


 急に声が上がった。取り繕っていた落ち着きが、一枚、剥がれた。


「俺が悪かった。婚約破棄の件は、早まったかもしれない。でも……あの土地の価値が分かっていれば……」


「あの土地の価値が分かっていれば、婚約を破棄しなかった、ということですか」


 ライアンは黙った。


 言えなかった。否定も、肯定も。


「つまり、わたしに価値があれば婚約を続けた。価値がなければ捨てた。ライアン様にとって、わたしはずっとそういう存在だったのですね」


「そういう意味では……」


「出て行ってください」


 わたしは立ち上がった。


「二度と来ないでください。クレスト家からのいかなる申し出も、今後一切お断りします」


 ライアンの顔が崩れた。


 プライドと後悔と、どこへも行けない怒りが混ざり合ったような、見たことのない表情だった。かつてわたしを「潔い」と見下した顔の面影は、どこにもなかった。


「俺は……俺は間違えたのか」


 部屋の空気が、しんとなった。


 わたしは答える前に、一瞬だけ、ライアンを見た。


 本当に間違えていると思っているのか、それとも今も「土地さえなければ正しかった」と思っているのか、わたしには分からなかった。でも、どちらでもよかった。


「はい」


 静かに言った。


「あの時、廃地を渡す前に、たった一言でもわたしを人間として扱ってくれていれば。でも、あなたはわたしを大勢の前で笑いものにした。貴族たちの扇の陰で笑い声が上がる中、あなたはわたしに廃地を渡して背を向けた。そのことは、どんなものを差し出されても、変わりません」


 ライアンは何も言えなかった。


 開いた口が閉じられ、また開いて、また閉じた。手が、わずかに震えていた。


 わたしはその姿を見た。


 かつてのライアンを知っていた。馬上で凛々しく笑い、大広間で誰よりも目立ち、自信に満ちた声でいつも人の上に立っていたあの人。それが今、わたしの前で言葉を失い、ただ立ち尽くしていた。


 哀れだとは思わなかった。


 ただ、遠かった。


 あの日、廃地の書類を受け取った時、わたしの胸に点った炭火。今もそれは消えていないが、もうライアンの方を向いてはいなかった。


「……後悔しているのなら、わたしへの謝罪の言葉は一言もないのですか」


 わたしは最後に尋ねた。


 ライアンは顔を上げた。目が赤かった。


「……すまなかった」


 絞り出すような声だった。


「でも、あの土地を、わたしにも」


「出て行ってください」


 わたしは静かに言った。もう一度、同じ言葉を。


 侍女が扉を開けた。


 ライアンはゆっくりと、重い足取りで部屋を出ていった。


 廊下でその背中が見えなくなった時、わたしの胸の中で何かがすっと軽くなった。


 後で聞いた話によると、セレナ・ベルモントとの婚約は、廃地の件が明らかになってほどなく解消されたらしかった。セレナの父である男爵が、公爵家と縁続きになることで得られると踏んでいたものが、クレスト家の評判が落ちたことで全て狂ったのだという。


 セレナ自身は泣いて駄々をこねたが、男爵には聞き入れてもらえなかったと、侍女のマリアが噂話として持ってきた。


「お嬢様、あのセレナという方、お気の毒ですね」


 マリアがそう言ったとき、わたしは何も答えなかった。


 お気の毒、とは思わなかった。


 ただ、関わりのない話だと思った。


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第六章 廃地の春

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 半年後。


 廃地はすっかり変わっていた。


 採掘場として整備が進み、小屋が建ち、道が通った。作業員たちが笑いながら働き、かつて呪われた荒れ地と呼ばれた場所に、毎日人の声が響いた。


 銀色の土を踏みしめながら歩くと、足の下で何かがかすかに光るような気がした。


 ルーカス爺さんは、採掘場の案内人として雇い入れた。


「五十年、ここに住んでいて、やっとこの土地が報われたな」


 爺さんはそう言って、しわだらけの顔で笑った。


「わたしが来なければ、もっと時間がかかっていたかもしれませんが、いずれ誰かが気づいたでしょう」


「そうでもないぞ。この土地に来た人間は何人もいた。でも、皆、その土を踏んで終わりだった。あんたみたいに、しゃがんで手で触った人間は誰もおらんかった」


 わたしは銀色の土を一握り、手に取った。


 婚約破棄の日、わたしは泣かなかった。


 笑いものにされても、廃地を押し付けられても、一度も泣かなかった。


 でも、今この土地に立って、かすかに光る土を手の中に感じているとき、目の奥が少し熱くなった。


 あの日、この書類を受け取ってよかった。


 ライアンがわたしを捨てて、この土地をよこしてくれてよかった。


 そうでなければ、ここには来なかった。


 この銀色の土とも、ルーカス爺さんとも、出会えなかった。


「次は西側の地層を調べる予定です。ベルナルト博士によれば、さらに深い層にも鉱脈が続いている可能性があるそうで」


「どこまで続いてるんだ、まったく。ありがたいやら驚くやら」


 爺さんが笑った。


 わたしも笑った。


 遠くから馬の蹄の音がした。振り返ると、王宮の紋章を持つ馬車が来ていた。


「アリシア・フォン・ヴェルナー様ですね。王宮より、魔石採掘事業に関する会議へのご招待です。さらに……」


 使者は少し声を落とした。


「王弟殿下が、ヴェルナー侯爵令嬢に直接お会いになりたいとのことで。招待状をお預かりしております」


 わたしは少し驚いて、受け取った招待状を開いた。


 丁寧な筆跡で、こう書かれていた。


「先日の謁見で魔石の件を伺いました。呪われた廃地を自らの足で歩き、その土に価値を見出した方に、一度お会いしたいと思っています。もしよければ、今週中にご都合を聞かせてください。 エドワード・フォン・シュタイン」


 わたしは招待状を胸に、銀色の土が広がる廃地をもう一度見渡した。


 あの日、わたしは貴族たちの笑い声の中で書類を受け取った。


 呪われた廃地。何も取れない荒れ地。侯爵令嬢の慰謝料にもならない土地。


 でも今、この場所はわたしの誇りになっていた。


 ライアンがわたしに投げつけたものは、捨てた土地ではなかった。


 彼は気づかずに、わたしに世界を渡していたのだ。


 わたしはゆっくりと招待状をたたみ、土を足で踏みしめた。


 銀色の土が、午後の光の中でまたきらきらと輝いた。


 あの日の笑い声が、遠くなっていた。


 貴族たちの扇の陰の嘲笑も、ライアンの冷たい目も、廃地を押し付けられた屈辱も。全部がずっと遠いところへ行ってしまって、今はただ、この銀色の土の輝きだけが目の前にある。


 廃地の風が、わたしの髪をやさしく揺らした。


 銀色の土はきらきらと光り続けた。まるで最初からずっと、誰かが来るのを待っていたかのように。


ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました!


「呪われた廃地を愛した令嬢〜慰謝料として押し付けられた土地に、誰も知らない価値がありました〜」、いかがでしたか?


面白かったと少しでも思っていただけたなら、評価(下の方にある☆☆☆☆☆)やリアクションで応援いただけると、本当に飛び上がって喜びます!


また他の作品でも、お会いできることを楽しみにしております(*‘ω‘ *)

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