08初仕事
リンドールの喧騒が、背後でゆっくりと遠ざかっていく。
ハルは支給されたばかりの衣装の感触を確かめながら、街の外れへと続く林道を歩いていた。
(……まさか、本当に仕事をする日が来るなんてな)
一ヶ月前、駅の爆発に巻き込まれ、血まみれの路地裏で絶望していた自分に教えたとしても、きっと信じないだろう。
木々の隙間からは、リンドールの街並みが、箱庭のように見下ろせる。
林道を抜けると、開けた高台に古びた教会がひっそりと佇んでいた。石造りの壁には、蔦が這い、長い年月が刻まれている。ハルは一つ深く息を吸い込み、教会の重厚な扉に手をかけた。
その時だ。
「わあッ! 」
扉が内側から勢いよく開いた。驚いて視線を下げると、そこには五歳くらいの男の子が扉にぶら下がるようにして立っていた。男の子はハルの顔をまじまじと見つめると、パッと表情を輝かせた。
「先生、先生ー! お客様だよ! 」
子供は弾かれたように教会の中へと駆け込んでいった。ハルは苦笑いしながら、誘われるように中へ足を踏み入れる。高い天井に、ステンドグラスから差し込む色彩豊かな光が床に幾何学的な模様を作っている。奥から、規則正しい、穏やかな足音が近づいてきた。
現れたのは、質素だが清潔な法衣を纏った神父だった。白髪混じりの髪を綺麗に整え、慈愛に満ちた柔らかな微笑を浮かべている。彼はハルの目の前で立ち止まると、丁寧に頭を下げた。
「もしかして……ベルダン探偵事務所の方でしょうか? 社長から、調査員の方を向かわせると伺っておりましたが」
「あ、はい。今回の依頼を担当する。ハルです。よろしくお願いします」
「ああ、来てくださって本当にありがとうございます。私はこの教会の神父を務めている、ライルと申します。以後よろしくお願いします。……君たち。少し向こうへ行っていなさい」
神父の背後から、さらに数人の子供たちがひょっこりと顔を出していた。「お兄ちゃん、かっこいい服!」「探偵さんなの?」と口々に尋ねる子供たちに、神父は優しく諭す。
「この方はね、先生の大切なお客様だよ。今から大事なお話があるんだ。先に孤児院へ戻って遊んでいなさい。終わったらまた呼びに行くからね」
子供たちは元気に返事をして、嵐のように教会の裏手へと消えていった。静寂が戻った礼拝堂で、神父は「お恥ずかしい」と小さく肩をすくめた。
「いえ……賑やかでいいですね。……早速ですが、依頼の内容について確認させてください」
ハルは、社長から手渡された封筒を取り出した。中には依頼書と、一枚の絵が入っている。
絵には、鮮やかな赤い髪をした十歳前後の少女が描かれていた。その絵は、今にも瞬きをしそうなほどリアルな肖像画だ。
「三日前から、この子が……リリィという女の子が行方不明だと依頼書には書いていました。神父様、依頼書に書いていた情報以外に、この子がいなくなった心当たりはありませんか?」
神父は悲しげに目を伏せ、首を振った。
「それが……あの子がいなくなったことに、全く心当たりがないのです。前日の夜まで、他の子供たちと一緒にいるのは見てたのですが……朝起きたら、いなくなっていました。あの子は元々あまり外に出るタイプではなく、一人で遠出をすることも考えにくいのですが」
「誘拐の可能性は……どうでしょうか。例えば、最近この周辺で怪しい人物がいたとか、子供たちが不審な男に声をかけられたという話は?」
「……リンドールは治安が良い街ですが、孤児を狙う心無い者たちの噂も聞きます。その可能性も、否定はできません。ですから……どうか、できる限り早くあの子見つけてあげてください。あの子は、私の家族も同然なんです。今もどこかで泣いているのではないかと、心配で⋯⋯」
「任せてください。必ず見つけ出します」
ハルは力強く答えた。ふと、手元の絵に視線を戻す。
「しかし……この絵、まるで生きているみたいに上手ですね。本物より本物らしいというか……」
「ははは、照れますね。私は趣味で絵を描いておりましてね。この孤児院の子たちは全員、私の大切な『作品』として描いているのですよ。モデルが良いから、私の書いた絵でもそれらしく見えるだけですよ」
穏やかに、誇らしげに笑う神父に、ハルは「すごいな」と純粋に感心した。丁寧な挨拶を交わし、ハルは教会を後にした。
街に戻り聞き込みを開始したハルの足は、数時間もしないうちに重くなった。
聞き込みというのは、想像を絶する重労働だった。
「この子、見ませんでしたか?」
「知らないねえ。」 「他を当たりな、忙しいんだ」
「あー、見たような気もするけど、どうだったかなあ……。他人の子供の顔なんていちいち覚えてないよ」
ある者は露骨に面倒くさがり、ある者は怪しげな視線をハルに向ける。
(……全然、手がかりがない。俺、本当に向いてるのかな……)
足の裏が鈍く痛み、喉は乾ききっている。気づけば、街の建物は長く伸びた影に飲み込まれ、空は夕日の光りに染まっていた。
歩き回るうちに、人通りも少ない街の奥に入り込んでいた。
(……今日はもう無理か。一度事務所に戻って、フィリップさんに相談しよう⋯⋯)
肩を落として帰り道を歩いていた、その時だった。
夕闇が迫る路地の奥、二つの人影が動くのが見えた。
(……っ! あの子!)
そこには、絵の少女・リリィがいた。彼女は青年らしき人物の隣にいて、どこか虚ろな、人形のような様子で歩いている。
ハルは疲れを忘れて走り出した。
「待って! 」
必死に追いかけるハルだったが、夕刻の人混みが邪魔をする。その時、曲がり角で、向こうから来た女の子と強くぶつかってしまった。
「うわっ!」
「きゃっ! 」
「あ、すみません! 急いでるんで! 本当にすみません!」
ハルは一度だけ深く頭を下げると、女の子が不満げに何か言いかけるのを遮って再び走り出した。背後で「ちょっと!」という凛とした声が聞こえた気がしたが、今は一刻を争う。
だが、路地を数回曲がった先には、もう誰もいなかった。
「……クソッ、見失ったか……。どこに消えたんだよ……」
ハルが膝に手をついて荒い息をついていた、その時。
すぐ近くの、ひときわ古い民家の中から、切り裂くような男の絶叫と、それに続く女の悲鳴が響き渡った。
ハルは反射的に、声のした家へ駆け寄った。
玄関の扉の下、わずかな隙間から、ドロリとした赤色の液体がゆっくりと染み出している。
(この感じ……まさか……!)
一ヶ月前の悪夢と同じ、鉄に似た嫌な匂い。ハルは迷わず扉を破るようにして開けた。
「……あ」
目の前に飛び込んできたのは、言葉を失うような悲惨な光景だった。
部屋に入ったハルの足元に、ゴロリと丸い「何か」が転がってきた。それは、先ほどまで悲鳴を上げていたであろう男の「首」だった。驚愕と恐怖に固まった表情のまま、首は無機質な物体として床に転がっている。その先には、断面から噴水のように血を流して倒れている男の胴体がある。
奥の壁際では、一人の女が腰を抜かし、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、声にならない声を漏らして震えている。
そして、その血の海の中。
血でシャツを真っ赤に染めた青年が、平然とした様子で立っていた。
青年の足元には、あの行方不明の少女・リリィが、膝をついてガタガタと震えながら、小さな子供のように泣きじゃくっていた。
青年は、ハルに気づき、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳は、何か深い霧に包まれたような、ひどく曇った眼をしていた。焦点が合っているのかさえ怪しいその瞳。
青年はハルの格好を眺めると、まるで散歩の途中で友人にでも会ったかのように、口角を吊り上げてニッコリと笑った。
「――こんばんは。今日は、夕日が綺麗ですね」
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