07新しい居場所
ガキンッ!と、鼓膜を突き刺すような硬質な 衝撃音がトレーニングルームに反響した。
春の手にあるのは、およそ人間の身の丈をゆうに超える漆黒の巨大斧だ。ファンタジー映画の悪役が振るうような、禍々しく重厚な刃。それを、春はまるで羽毛のように軽々と振り回している。
彼の右目は、血を流し込んだような深い「赤」に輝いていた。だが、理性を失い、獣のように咆哮することはない。彼は鋭い呼吸を繰り返し、明確な殺意をアイリスへと向けていた。
「――そこっ!」
春が地面を蹴り、横一文字に斧を振る。風を切る音が空気を震わせるが、アイリスは蝶が舞うような軽やかさでその上を跳んだ。
「甘いわよ」
空中で体を反転させたアイリスが、手に持った木刀で春の脳天を正確に、かつ容赦なく叩いた。
「いっ……てぇ……!」
鈍い音とともに春がたじろぐ。その瞬間に右目の赤色がスッと引き、元の黒い瞳に戻った。それと同時に、全身を襲う凄まじい疲労感。春はその場にどさりと座り込み、肩で激しい息を吐いた。毛穴から一気に噴き出した汗が、床に点々と染みを作る。
「……ここ一ヶ月で、魔道具の扱いには慣れてきたみたいだけど。攻撃がまだぜんぜん荒削りね。力に頼りすぎよ」
アイリスは木刀を肩に担ぎ、涼しい顔で言い放つ。彼女は激しい打ち合いの後だというのに、呼吸一つ乱れていない。
「……身体強化も、まだ十分が限界みたいね。まあ、最初よりは維持できるようにはなったけど、まだまだよ」
「……分かってます。でも、この魔道具のおかげで、だいぶ自分のスキルの扱い方は掴めてきました。……体の方はまだまだですけど」
春は隣に横たわる黒い斧を見つめた。
この一ヶ月。地獄のような訓練の日々を支えたのは、事務所の一員であるメイが作り上げた「魔道具」だった。
メイはちっこい体に似合わず、道具にスキルを宿らせる特異なスキルを持っている。ただし、彼女が作るものには、必ずと言っていいほど「デバフ(弱体化)」のスキルが付与されるという、困った癖があった。
この斧に宿るデバフは、【使用者のスキルの出力を強制的に半減させる】というものだった。
だが、それがハルにとっては唯一無二の救いとなった。暴走し、自我を焼き尽くすほどの強大すぎる力を、この斧が無理やり半分に抑え込んでくれる。その抑制があるからこそ、ハルは意識を保った状態でのスキルの発動ができるようになったのだ。
「今日はここまでにしましょう。ちゃんとシャワーを浴びて、体を休めなさい」
そう言うと、アイリスが部屋を出て言った。ハルは「了解です」と力なく答えながら、斧の柄にそっと手を添えた。
(……さて、こいつも片付けないとな)
ハルが念じると、自分の体より巨大な斧が、みるみるうちに縮小し、手のひらに収まるサイズへと姿を変えた。メイの作る道具には、デバフの代わりに便利なスキルもつく。この斧のもう一つのスキルは、【質量とサイズの自由変化】。ハルはミニチュアになった斧をポケットに放り込み、ふらつく足取りで廊下へ出た。
廊下の角を曲がったところで、ハルは「ひっ!?」という情けない短い悲鳴を聞いた。
「あ、あの……ご、ごめん、なさい……! あ、ハルくんか……。心臓が止まるかと思ったよ……」
そこにいたのは、書類の束を抱えているフィリップだった。彼は眼鏡を指で押し上げながら、今にも泣き出しそうな顔で壁に張り付いている。
「フィリップさん。そんなに驚かなくてもいいじゃないですか。俺、そんなに怖い顔してました?」
「い、いや、そうじゃないんだ。足音が……その、訓練終わりのハルくんは、なんていうか……殺気の残り香がすごくて。僕は、その、暴力的な気配には人一倍敏感で……。ごめん、失礼だよね、今の」
フィリップは、この事務所の一員であり、彼の持つスキルは【マーキング(追跡刻印)】。一度印をつけた対象の位置を常に把握できる能力だ。
実は、ハルがリンドールの路地裏で手にかけたあの三人組。彼らには最初からフィリップがマーキングしていた。
「そんな事ないですよ……フィリップさんがいたから、僕は今ここにいるんですから」
「……そ、そうかい。あの時は、三つの印が同時に、パッと消えちゃって焦っていたんだ。マーキングが解除されるのは、対象が亡くなった時だけなんだ……。だから、アイリスさんに頼んで、あの三人のマークが消えたところに向かってもらっただけだから」
フィリップは、弱々しく笑った。
「⋯⋯それに、僕が頑張っていたら⋯君が『人殺し』にならずに済むようにできたのに……」
「……そんなに思い詰めないでください。僕はあなたに感謝してます、フィリップさん。あなたのおかげで、俺の命が繋がったんですから」
フィリップの口元に、柔らかい笑みが浮かんだ。
「⋯⋯ありがとう。今日は、ゆっくり休みなよ」
フィリップと別れ、広間へと足を運ぶと、香ばしいソースの匂いが漂ってきた。
長いテーブルの端で、長いツインテールを激しく揺らしながら、特大のミートサンドを頬張っている少女がいた。セレスだ。
「あー! 新人くんじゃーん! 今日もアイリスにボコられて、泣きながら帰ってきたわけ?」
セレスは口いっぱいに食べ物を詰め込みながら、ニシシと意地悪く笑った。彼女もこの事務所の一員だ。彼女のスキルは、自分の知っている場所であればどこへでも二つの地点を繋げることができる【ゲート】を生み出せる能力だ。事務所の要でもあるスキルだ。
「セレスさん。……行儀悪いですよ。あと、俺は泣いてません」
「うーるーさーい! 成長期なの! あんたも食べなよ、ほら、このソースたっぷりのサンド。体を癒すのにピッタリでしょ!」
「絶対嫌ですよ。それ、フィリップさんが泣きながら食べてたやつじゃないですか」
「ちっ、知ってたか。なんでこの辛さの良さが分からないかな」
彼女のダル絡みをいなしながら、ハルの頬が自然と緩む。
一ヶ月前。路地裏で血にまみれ、エマに拒絶され、自分を「化け物」だと絶望していたあの頃。今のこの、バカバカしいほど賑やかな時間は、当時の自分には想像もできないものだった。
そんな時。
廊下の陰から、社長が静かに姿を現した。その穏やかな、けれど周囲の空気を一瞬で律するような威厳のある声に、セレスも「げっ、社長」と食べる手を止める。
「――ハル。食事を済ましたら、社長に来てくれ」
「⋯わかりました」
その後、社長は社長室に戻って行った。
「おー、呼び出しか。お説教かな? それともクビかなー?」
「クビにならないようにねー!」と無邪気なセレスの声に見送られ、ハルは社長室へと向かった。
室内には、暖炉の薪がパチパチとはぜる音だけが響いている。社長は窓の外、夕闇に包まれ始めた街並みを見つめていたが、ハルが入室するとゆっくりと振り返った。その眼鏡の奥の瞳は、いつもと変わらず温かい。
「ハル。この一ヶ月、実によく頑張っているね。アイリスからも、メイからも報告を受けているよ。自分の『スキル』と向き合い、その首輪を握る覚悟が固まってきたようだ」
「……いえ。まだ、魔道具に頼りっきりです。これがないと、俺はまだ⋯⋯」
「それでいいんだ。自分のやれることを精一杯やる、それが人間というものだよ。」
社長の眼鏡の奥で、知的な瞳がキラリと光った。
「……それで、ハル。君に、そろそろ『初仕事』を任せてみようと思う」
社長が机の上に一通の封筒を置いた。
ハルの心臓が、ドクンと大きく跳ねる。
「初……仕事、ですか」
「ああ。ベルダン探偵事務所の正式な調査員として、君が依頼こなすんだ。外の世界に出て、自分の力がどれほど誰かのために役立つのか。それを確かめてきなさい」
ハルはポケットの中の、小さくなった黒い斧に触れた。
指先に伝わる冷たく、重い感触。それは、誰かを傷つけるための呪いではなく、誰かの涙を止めるための「武器」になり得るだろうか。
「……はい。お願いします」
少年の瞳に、かつての怯えはなく、確かな「覚悟」が宿っていた。
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