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幻想にさよならを  作者: 猪西
第一章 見習い編
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04罪の意識

 ――なんで。

 ――なんで俺たちを、あんな風に。


 視界は赤黒い泥に塗りつぶされていた。足元には、人の形を失った「それ」が転がっている。


 昨日の三人だ。首が不自然な角度で折れ曲がった男が、ずるりと這い寄り、春の足首を血まみれの手で掴んだ。ずる、ずると、骨の砕ける嫌な音が静寂に響く。


「お前が……お前が殺したんだぞ……」


「違う、俺じゃない、俺じゃない……っ!」


 内側から弾けたような男の口が、裂けるように笑う。


「人殺しめ。化け物め。お前にはもう、戻れる場所なんてない。お前は、一生その血で汚れてるんだよ」


 亡霊たちが、春の身体を這い上がってくる。重い腐敗臭と、咽せるような鉄の匂い。叫ぼうとした喉に、ドロリとした熱い鮮血が流れ込んだ。


「う、うわあああああああああああああああああああああああッ!!」


 春は絶叫とともに目を開けた。

 心臓が肋骨を突き破らんばかりに鳴り響き、全身から汗が噴き出している。

 だが、飛び起きることはできなかった。


「……っ、なんだ、これ」


 手首と足首に食い込む感触。硬い木製の椅子に座らされ、太い麻縄で幾重にも固定されていた。


 辺りを見回すと、そこは高く広い天井を持つ、石造りの空き倉庫のような場所だった。       ひび割れた壁、積み上げられた古い木箱。窓からは一筋の月光が差し込み、冷え切った空気の中を埃が白く舞っている。



「……やっと、お目覚めかしら」


 正面から、硬質な、それでいて知的な響きを持つ声が届いた。

 あの時のの女性だ。彼女はトレンチコートを脱ぎ捨て、白いシャツに細いネクタイ、革のベストという、男装に近い格好で壁に背を預けていた。指先でステッキを弄ぶその姿には、リンドールの住人が持つ穏やかさとは正反対の、硝煙と死線を潜り抜けた者特有の凄みがある。


 彼女の隣には、十五歳くらいだろうか。色素の薄い髪をした青年が、一切の感情を排したガラス細工のような瞳で、じっと春を観察していた。


「ここ、は……。なんで、俺を、こんな……っ」


「質問するのは私よ、少年。……いえ、殺人者くん(キラー・ボーイ)と呼ぶべきかしら」


 彼女が一歩踏み出し、冷たい眼光で春の瞳の奥を射抜いた。彼女の放つ威圧感に、春は蛇に睨まれた蛙のように硬直する。


「さて、今からあなたにいくつか質問をするわ、それにあなたは嘘偽りなく答える。分かった?」


 ハルは静かに頷いた。


「まず、あなたとあの男たちの関係は?」


「……あの時、初めて会ったんだ……」


「なぜ、あそこにいたの? 偶然あんな場所を通るような雰囲気じゃなかったけれど」


「エマが……良くしてくれた女の子が、買い物に行ったまま戻ってこなかったんだ! 探しに行って……袋が落ちているのを見つけて……。奥から彼女の悲鳴が聞こえて。助けなきゃって、それだけで……っ!」


 エマの名前を出した瞬間、昨日の彼女の絶叫が脳裏を突き刺す。春の瞳が激しく揺れ、呼吸が再び荒くなる。


「ふうん。じゃあ、次が本題よ。……なんで、あんなことをやったの? 私の仲間ですら、現場を見て中身をぶちまけてたわよ。ただの殺しじゃない、あれは『破壊』だわ。君はあいつらを、文字通り粉砕した。……憎かったから? 殺すのが楽しかったから?」


「違う……っ! 違うんだ!!」


 春は椅子をガタガタと鳴らし、縛られたまま身をよじった。


「俺は、ただ……! 殴られて、蹴られて、あいつらがエマを連れて行こうとして……! どうにかしなきゃって、力が欲しいって、そう思ったら意識が消えて……目が覚めたら、あんな、あんな血だらけに……!」


 春の目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。


「俺は、殺したかったわけじゃない……。人を殺すなんて、そんな、俺……っ! 今も、あの時の血の匂いがする……。あいつらが、あいつらが俺を呼ぶんだ……!」


 嗚咽を漏らしながら震える春を、カイルが冷徹に観察する。


「そう。それじゃあんた、何者? 」

「あなたの今までの話が事実なのは分かった。だけど、あなたここらへんの人間じゃないでしょ。」


 春は一瞬、迷った。だが、異世界のことを説明して信じてもらえる保証はない。彼は昨日と同じ「嘘」を吐くことに決めた。


「……思い出せない。自分の名前以外、記憶が……」


「嘘です」


 それまで沈黙を守っていた隣の青年が、短く、断定的に言った。

 春は心臓が跳ね上がるのを感じた。


 女性は小さく溜息をつくと、ステッキの先端を春の喉元に突きつけた。冷たい銀の感触が、皮膚を戦慄させる。


「うちの後輩に嘘は通用しないの。悪いことは言わないわ。私、無駄な時間が一番嫌いなの。分かったなら、本当のことを話しなさい」


 冗談には聞こえなかった。彼女の瞳には、平和なリンドールの住人が持ち合わせていない、本物の硝煙の香りが漂っていた。


「……信じてくれるか分からないけど。俺は……気づいたらこの世界にいたんだ。日本っていう、全然違う場所から。爆発に巻き込まれて……気づいたら道端に倒れてた。スキルのこともこの世界のことも、何も知らないんだ」


 一気に捲し立てた春は、荒い呼吸を整えながら二人を見上げた。

 数秒の沈黙。青年が静かに頷く。


「……今のは、真実です」


「……そう。異界からの迷いロスト、というわけね。道理で、自分のスキルのことも知らないわけだ」


 彼女は深い溜息をつくと、ナイフを取り出して春を縛っていたロープを鮮やかに断ち切った。自由になった瞬間、春は糸の切れた人形のように椅子から崩れ落ち、冷たい床に両手をついた。


「……あんたのそれは、この世界の住人が持つ『スキル』よ。……おそらくは【狂戦士バーサーカー】だと思うわ。」


 春は床についた自分の手を見つめる。爪の間に、まだ乾いた血がこびりついているような気がして、何度も床に擦り付けた。


「⋯⋯関係ない⋯⋯」

「あの三人を、殺したのは紛れもなく俺だ。……俺は、人殺しだ」


「勘違いしないで。あの三人はもともと、この国に指名手配されていた指名手配犯よ。まっとうに生きてりゃ、絞首刑か打ち首が妥当なクズだったわ」


 彼女は突き放すように言った。


「だからって、殺していい理由になんてならないだろ……っ! 俺には、あいつらの命を奪う権利なんてなかったはずだ!」


「⋯⋯なるほどね」


 彼女は春の前にしゃがみ込み、彼の顎を強引に持ち上げた。


「……あなた。今ここで、もう一度そのスキルを発動させてみせなさい」


春の顔から、血の気が完全に引いた。


「……正気か? あんなもの、二度と出したくない……。俺が俺じゃなくなるんだ。また、誰かを殺してしまうかもしれないんだぞ!」


「いいからやりなさい。自分の内側に怪物を飼ってる自覚があるなら、そいつの首輪の締め方くらい覚えなきゃいけないわ。暴走して無関係な人間を殺す前にね」


「できない……! 俺は、あんな力を、使いたくない!」


 春は首を激しく振った。エマの、あの怯えきった顔がフラッシュバックする。

 彼女は冷ややかに笑い、ステッキを構えた。


「安心しなさい。私は、君ごときに引き裂かれるほど弱くないわ。君が全力で暴れたところで、私が叩き伏せてあげる。だから……出しなさい」


 春は唇を血が出るほど噛み締めながら、立ち上がった。

 全身が拒否している。脳が「止めておけ」と叫んでいる。

 だが、彼女の瞳には、逃げ道を断つような強い意志が宿っていた。


「……出し方なんて、分からない」


「あの時のことを思い出しなさい。自分への無力さ。君を『人殺し』と呼んで逃げたあの少女への、絶望を!」


 春は目を閉じた。

 昨日の路地裏。殴られ、蹴られ、血の味が広がる。


「化け物」と叫んで逃げていった、エマの背中。

 俺がもっと強ければ。


(――ああ、そうだ。許せない)


「……っ!」


 春の視界が、ぐにゃりと歪んだ。

 

 ドクン、と心臓が跳ねた。

 血管を、熱を帯びた溶岩のような何かが駆け巡る。

 春の意識が、急速に遠のいていく。


 顔を上げた彼の両目は、元の彼の目ではなかった。

 深い闇を切り裂き、獲物を狩るためだけに存在する、禍々しい「朱」に輝いていた。

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