15魔獣の巣
「……クソッ、迷ってる暇なんてないんだ!」
目の前の冷たい石壁を叩きながら、ハルの頭の中は激しく回転していた。
アイリスさんを呼ぶべきか? でも、ここから連絡して、彼女が駆けつけるまでどれくらいかかる? もし、その数分の間にテーナの身に何かが起きたら。
壁の向こうへ消えた彼女の靴跡。それは、この先に「何か」があるという確かな証拠だった。
「ごめん、アイリスさん。……今、俺が行かなきゃダメなんだ!」
ハルは覚悟を決めて、ポケットから小さくなった斧を取り出した。
(――大きく、なれッ!)
ハルの思いに反応して、小さい斧が黒いモヤを出しながら、ハルの身長を超えるほどの巨大な戦斧へと形を変える。
同時に、ハルの右目に熱い感覚が走った。視界の半分がドロリとした「赤色」に染まっていく。心臓の音が耳元でうるさいほどに鳴り響き、全身に、自分のものではないような強大な力が溢れ出した。半覚醒。理性と狂気が混ざり合う、危うい状態。
「いけえぇぇ!!」
ハルは斧を大きく振りかぶり、渾身の力で壁を殴りつけた。
ズガァァァァァンッ!!
すさまじい破壊音が壁に響き渡り、石の壁がボロボロと崩れ落ちる。土煙の向こう側には、暗闇の奥へと続く階段が、まるで怪物の口のように開いていた。
階段を駆け下りた先は、ひどい場所だった。
鼻を突くのは、家畜の臭いと、血の臭い。そして、鼻の奥がツンとするような薬品の変な匂い。
通路の両側には鉄格子が並び、その中には神父さんが言っていた「動物」たちが押し込められていた。
だけど、それらはもう「動物」なんて呼べる姿をしていなかった。
体はボコボコに腫れ上がり、背中から得体の知れない肉の塊が生えている。彼らは虚ろな目で、ただ死を待つようにぐったりとしていた。
「テーナ!! テーナ、どこだ!!」
ハルは吐き気をこらえて奥へ走った。突き当たりには、大きな研究室のような部屋があった。
魔法のランプで青白く照らされた部屋の真ん中。
冷たい床の上に、一人の少女が倒れていた。
「――テーナ!!」
ハルが駆け寄ろうとしたその時、暗闇から一人の男がフラフラと現れた。
ボロボロの服をきた、脂ぎった髪の男だ。その目は血走っていて、まともな人間の光を失っている。
「誰だ……誰だ誰だ誰だぁ!! 私の……私の神聖な実験を邪魔するのはぁ!!」
「お前が犯人か……! その子に何をした!!」
「質問に質問で返すな! 無礼だ、ゴミめ! 侵入者! 泥棒! 殺してやる、私の可愛い『モルモット』たちが、お前をバラバラにしてくれるぞぉ!!」
男がヒヒッ、と奇妙な声を上げて指を鳴らした。
すると、部屋の隅から唸り声が聞こえてきた。現れたのは、四体の犬のような動物だった。
しかし、それは普通の犬じゃない。頭が二つに割れている、化け物だった。
「殺せ。噛み殺せ。そのガキをバラバラにして、新しい材料にするんだぁ!!」
男の命令で、四体の化け犬が一斉に飛びかかってきた。
速い。普通の人間なら反応すらできないスピード。だけど、今のハルの右目には、その動きがゆっくりと、赤い線のように見えていた。
(落ち着け……力任せに振るうんじゃない。アイリスさんが言ってた……相手の動きを『見て』、その力を利用するんだ!)
一匹目がハルの喉元を狙って跳ねる。ハルは斧の柄を短く持ち、その鼻先をガツンと強く突き上げた。
キャン!
という悲鳴と共に一匹が吹っ飛ぶ。
着地した瞬間に体をひねり、左右から挟み撃ちに来た二匹の胴体を、斧の重さを乗せて横に薙ぎ払った。
グチャッ、という嫌な感触が手に伝わる。
だけど、最後の一匹がハルの肩に深く牙を立てた。
「っ、痛えぇ……! 離れろ、この野郎!!」
肩を噛まれたまま、ハルはその犬を掴んで壁に思い切り叩きつけた。さらにその上から斧を振り下ろす。ハルの荒い息が白く光る。
「あ、あああ……私のワンちゃんが! ゴミが! 私の作品を壊した! 許さない、絶対に許さないぞぉぉ!!」
男は自分の髪を掻きむしり、地団駄を踏みながら叫んだ。
「お前……いい加減にしろよ。命を、なんだと思ってるんだよ……!!」
「命? 材料だ、ただの材料だぁ! 爆弾にするための、キャンバスなんだよぉ!! ――行け! 私の自信作!!」
男が壁のレバーを力任せに引いた。
奥にある巨大な檻の扉が跳ね上がり、中からとんでもない化け物が姿を現した。
それは、三メートルもある巨大な「熊」だった。
全身を鉄のように硬そうな殻で覆われ、その腕は丸太のように太い。
ガアァァァァァッ!!
空気が震えるほどの咆哮。熊の大きな腕が、ハルの頭上から振り下ろされた。
「ぐ、はっ……!?」
ハルは斧で防いだが、衝撃が凄まじかった。まるで岩が降ってきたような重さ。ハルの体は地面を滑るように吹き飛ばされ、後ろの石柱に強く背中をぶつけた。
頭が真っ白になる。胸に、鋭い痛みが走る。
(あと……四分くらいか。右目の力が切れる前に決めないと……)
熊が地響きを立てて迫ってくる。ハルは口の中の血を吐き捨て、震える足で立ち上がった。
戦いは、ずっと劣勢だった。熊の腕がかすめるだけで、ハルの体はボロボロに削られていく。ハルは必死に攻撃をかわし、相手の「隙」が生まれる瞬間を待った。
ついに、熊が両腕を大きく広げ、ハルを押しつぶそうと抱きついてきた。
そこだ。
ハルはあえて自分から、熊の懐に飛び込んだ。
「終わらせてやる……ッ!!」
斧の刃を、熊の胸元にある、殻の隙間の柔らかい部分へと突き立てた。ハルの右目から溢れた赤い魔力が斧に伝わり、一気に爆発する。
ドンッ!!
熊の巨体が揺れ、ゆっくりと、後ろ向きに倒れ込んだ。
部屋を揺らしていた振動が止まり、静寂が戻る。
それと同時に、ハルの右目の色が、じわじわと元の黒色に戻っていった。
「はぁ……、はぁ……、はぁ……」
重い斧が、手から滑り落ちる。
ハルの膝がガクガクと震え、そのまま床に手をついた。全身から力が抜けていく。指一本動かすのさえ、今のハルには無理だった。
「……ひ、ひひ。死んだ。みんな死んだ。お前のせいだ……お前が壊したからだぁ!!」
気が狂った男が、近くの机から鋭いメスを手に取った。
「死ねぇ! お前も材料になれ! 死ね死ね死ねぇ!!」
男が奇声を上げながら、ハルに向かって突進してくる。
ハルは動こうとしたが、体力が底をついていて動けない。迫り来る銀色の刃を、ハルはただ見つめるしかなかった。
(……ごめん、テーナ……守れなかった……)
ハルが諦めて、ぎゅっと目を閉じたその時。
――キィィィィンッ!!
耳を突き刺すような、高い金属の音が響いた。
いつまで経っても痛みが来ないことに驚いて、ハルが恐る恐る目を開けると……。
そこには、見慣れた、凛とした背中があった。
ハルのすぐ目の前で、男が手首を抑えて転がっている。彼の手からはメスが弾き飛ばされ、地面に突き刺さっていた。
「……随分とおいたが過ぎるんじゃないかしら?」
横から聞こえたのは、冷たいけれど、ハルにとっては世界で一番安心できる声だった。
ハルが隣を見上げると、そこにはナース服の袖をたくし上げ、手にした仕込み杖の刀をキラリと光らせるアイリスが立っていた。
「アイリス……さん……どうして……」
「病院全体にバカでかい破壊音が聞こえたのよ、バカ。……本当、手のかかる後輩ね」
アイリスはそう言いながらも、ハルに一瞬だけ優しい視線を向けた。だが、すぐに男の方へ向き直る。その瞳には、ハルを傷つけようとした男への、激しい怒りが宿っていた。
「……あとは私がやるわ。ハル、お前は早くその子を連れて外へ」
アイリスの頼もしい姿を見て、ハルは糸が切れたように深く、安堵の溜息をつくのだった。
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