11潜入捜索
あれから一週間が経った。
あの日、返り血と絶望に染まった夜から、リンドールの街は何もなかったかのように穏やかな朝を迎えている。
ハルは自室の机に置かれた二通の手紙を見つめていた。
一通は、あの教会の神父からのものだ。そこには、リリィを無事に救い出したことへの深い感謝と、彼女が今、孤児院で他の子供たちと元気に笑いながら過ごしているという報告が、優しい執筆で綴られていた。
もう一通は、騎士団のディルムッドからの連絡だった。ルカは未だ所在不明であり、母親は現在も病院で心の傷を癒すための治療を続けていること。そして最後に、「社長によろしく」という一筆が添えられていた。
「……よかった。リリィちゃんは、笑えてるんだな」
ハルは小さく呟いた。初仕事の報酬は、決して輝かしいものではなかった。救えなかった命の重みが、今も奥歯を噛み締めるたびに苦い味として蘇る。後味の悪い結末。けれど、繋ぎ止めた命があったという事実だけが、今のハルの足元を支えていた。
食堂へ向かい、遅めの朝食を済ませる。空になった皿を片付けていると、背後から陽気な声が飛んできた。
「おっ、ハル。今日の俺の飯はどうだった? 感想を聞かせてくれよ」
振り返ると、エプロン姿でフライパンを片手にした男がニカッと笑っていた。
彼の名前はライル。ベルダン探偵事務所の一員だが、彼が外へ依頼に出る姿をハルは見たことがない。事務所では専ら料理係を担当しており、彼のスキルはまさにその一点――【至高の調理】。食材の味を極限まで引き出し、食べる者の活力を強制的に回復させるスキルだ。
「美味しかったです、ライルさん。特にあのスープ、冷えた体に染みました」
「だろ? 隠し味に薬草を少々な。……まあ、そんな暗い顔すんな。飯が不味くなる。若いうちは食って、動いて、寝る! これが一番だ」
ライルはおじさん特有の図太い笑い方でハルの肩を叩き、鼻歌を歌いながら厨房へと戻っていった。その直後、入れ替わるようにして凛とした気配が食堂に満ちる。
「ハル。食後で悪いけれど、少し話があるわ」
アイリスだった。彼女の有無を言わせぬ口調に、ハルは「わかりました」と短く応えた。通りすがりのライルが「おっ、お熱いねぇ」と茶化してきたが、アイリスが冷徹な視線をくれただけで、彼は「ひえっ」と声を上げて逃げていった。
重厚な扉が閉まり、会議室にはハルとアイリスの二人だけになった。窓から差し込む光が、空気中の塵を白く照らしている。
「お前を呼んだのは、次回の依頼についてよ。……今回は、私と一緒に現場へ出てもらうわ」
アイリスの言葉に、ハルは目を丸くした。
「アイリスさんと……二人で、ですか?」
「ええ。前回の初仕事、内容は悪くなかったけれど、お前の精神面にはまだ不安がある。私の側で、探偵としての『立ち回り』を実戦で学んでもらうわ」
アイリスの声はいつになく静かだった。ハルは、彼女が自分の初仕事での挫折を知っていて、あえて前を向かせるために誘ってくれたのだと感じた。
「……ありがとうございます。お願いします」
「お礼を言われる筋合いはないわ。……さあ、本題よ。今回の依頼主は『国』。王立魔導院からの特例要請よ」
アイリスが机に資料を叩きつけた。そこには無惨に破壊された路地や、焦げた衣服の写真が並んでいる。
「二週間前から、王都近郊で不可解な事件が多発しているわ。……『人間が爆発する』という怪事件がね。これまでに報告されているだけで十件を超えている」
「人が……爆発……?」
ハルの背中に冷たい汗が流れた。
「ええ。目撃情報によれば、街を歩いていた者が突然、内側から弾けるように爆発したそうよ。騎士団は当初、魔道具の暴走や外部からのテロを疑ったけれど、犯人の特定には至っていない」
「もしかして、それってスキルの仕業なんじゃ……」
「その可能性が高いわね。けれど、物を爆弾に変えるスキルはあっても、生きた人間を内側から爆破するなんてスキル、聞いたことがないわ」
「手がかりは、何もないんですか?」
「調べてたら、一つだけ、共通点が見つかったわ。爆発した被害者たちは全員、ある場所に通っていた記録がある。それは⋯⋯」
―――――――――――――――――――――――
清潔すぎるほど白い病室。
ハルはゆっくりと目を覚ました。視界がぼやける。鼻を突くのは、独特の消毒液の匂いだ。
「……大丈夫かい? 気分はどうかな」
横にいた白衣の医者が、心配そうにハルを覗き込んでいた。
「……あれ。俺……なんで、ここに……」
「君はこの病院の前で倒れていたんだよ。運よく看護師が見つけてね。……名前は言えるかな? 自分がなぜあんな場所で倒れていたのか、覚えているかい?」
ハルは、虚ろな表情を作った。
「……ハル。名前は、ハルと言います。……それ以外は、何も。自分がどこから来たのかも、思い出せないんです」
「⋯本当に、何も覚えていないのかい?」
「……はい」
医者は少し難しい顔をしたが、すぐに優しくハルの肩を叩いた。
「一時的なショックによる記憶障害かもしれない。思い出そうと焦る必要はないよ。まずはここでゆっくり体を休めなさい。ここはテルナラ病院。君を傷つけるものは何もないからね」
医者が部屋を出ていくと、ハルはそっと息を吐き、真面目な顔に戻った。
―――――――――――――――――――――――
「⋯⋯それは、王都から少し離れた場所にある民衆向けの医療施設――『テルナラ病院』よ」
アイリスの瞳が鋭く光る。
「偶然にしては出来すぎている。あそこで、気づかぬうちに何かが仕込まれた可能性があるわ。そこでハル、お前の出番よ」
「俺の……?」
「お前には、その病院に『記憶喪失の患者』として入院してもらうわ。内部から犯人の目星をつけてほしい。……大丈夫、私もサポートするわ」
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潜入は成功した。あとは、この平穏を装った病院の中に隠された「爆弾魔」の正体を見つけるだけだ。
(でも本当に上手くいくだろうか⋯⋯)
手がかりがは病院に犯人がいる可能性があることだけ。この広い病院の中でどうやって探せばいいのだろうか。
しばらくして、病室の扉が軽くノックされた。
「失礼します、ハルさん。お食事をお持ちしましたよ」
その声を聞いた瞬間、ハルは心臓が止まるかと思った。どこか、聞き覚えのある声。
ハルは慌ててベッドに戻り、再び記憶喪失の患者を装って顔を上げた。
扉から入ってきたのは、ピンク色の看護師服に身を包んだ女性だった。
「……え」
「あら、お加減はいかが? しっかり食べないと、思い出せるものも思い出せませんよ?」
アイリスだった。
いつものトレンチコートを脱ぎ、髪を少し崩してナースキャップを被っているが、その鋭い眼光は隠せていない。
あまりに似合っていない(でも意外にも似合っている)
その姿に、ハルは「アイリス……さん?」と喉まで出かかった言葉を必死に飲み込み、激しく動揺した。
探偵事務所の最強調査員は、今、ナースとしてハルの目の前に立っていた。
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