01始まりの火種
窓の外、校庭の隅で揺れる名もなき雑草を眺 めていた。
杉山春の目に映る世界は、いつだって彩度が低い。教壇で鳴り響くチョークの音も、隣の席で繰り広げられる他愛のない恋バナも、すべては厚い膜の向こう側で起きている出来事のように感じられた。
「……なあ、春。聞いてるか?」
不意に、隣の席のタカシが声をかけてきた。
「ああ。ゲーセンだろ。……悪いけどパスだわ」
「お前、そればっか。せっかくの金曜だぜ?たまにはパーッとやらなきゃ損だって。人生一回きりなんだからさ」
タカシが春の肩を、親しげに、そして無遠慮に叩く。その手の平から伝わる体温が、どうしようもなく疎ましかった。
『人生一回きり』
そのフレーズを、春は心の中で呪う。分かっている。分かっているからこそ、代わり映えのしない毎日に吐き気がするのだ。
何かを期待するのにも飽き、かといって絶望するほどの劇的な何かもない。春の心は、ずっと嘆いていた。
放課後の教室。タカシたちが笑いながら廊下へ消えていく音を背中で聞きながら、春は重い足取りでカバンを肩にかけた。
駅前通りは、週末を控えた街の、どこか浮足立った熱気に包まれていた。
焼き鳥屋から漂う脂っこい醤油の匂い、バスが吐き出す熱い排気ガス、すれ違う見知らぬ誰かの、安っぽい香水の残り香。それらが混ざり合い、春の呼吸を浅くさせる。
彼はヘッドホンの音量を最大まで上げた。ヘッドホンから出る音だけが唯一の現実になる。
信号待ちの列に並び、思考を停止させていた、その時だった。
――視界から、すべての色が剥ぎ取られた。
鼓膜を突き破るような爆鳴。
それは、世界そのものが背後から殴りつけられたような、巨大な「衝撃」だった。
一瞬遅れてやってきた爆風が、春の体を枯れ葉のように軽々と宙へ舞わせる。
「……あ……っ」
何かが砕ける音。誰かの絶叫。
アスファルトに叩きつけられた衝撃で、肺からすべての空気が絞り出された。口の中に広がるのは、ひどく生臭い鉄の味。
春の視界は激しく揺れ、上下の感覚すら失われていた。
這い上がろうとして、春は息を呑んだ。
さっきまで自分の目の前にあった駅が、巨大な黒い口を開けたように崩壊している。オレンジ色の炎が、夕闇を強引に焼き払い、黒煙が意志を持つ生き物のように空を覆い尽くしていく。
ヘッドホンはどこかへ消え、代わりに残ったのは、キーンと脳を刺すような、終わることのない耳鳴りだけだった。
(……逃げなきゃ……)
震える指先を地面に突き立て、春は必死に立ち上がった。視界の端で、倒れたまま動かない人影が見える。それを見ないようにして、彼は本能的に人混みのない裏路地へと飛び込んだ。
湿ったレンガの壁。ゴミの腐敗臭。
その暗がりに、男はいた。
黒装束を身に纏い。完全に覆う、無機質なガスマスク。
男は、ただそこに立っていた。
炎上する街を背にしながら、その肩は呼吸の動きさえ見せず、不気味なほど静止している。
「たす……け……て……」
春の声は、震え、かすれていた。
だが、男は何も答えない。
助ける様子も、危害を加える様子もない。
男が、春に一歩近づく。その動きには、一切の躊躇も、人間的な感情のゆらぎもなかった。
春は逃げようとした。しかし、男の放つ圧倒的な「死」の気配に、蛇に睨まれた蛙のように体が縫い付けられる。
男の黒い手袋が、ゆっくりと春の視界を覆った。
額に触れる、氷のような冷たさ。
沈黙。
次の瞬間、春の脳内に、理解を拒絶するような情報が流れ込んできた。
それは言葉ですらなく、真っ赤な電子回路のノイズのような、禍々しい文字列の塊。
(熱い……頭が、溶ける……!)
男のガスマスクのレンズに、自分の顔が映っていた。
恐怖に歪む自分の瞳が、内側から燃え上がるように赤く、赤く染まっていく。
男は最後まで、一言も発さなかった。
ただ、春の意識が完全に闇に呑み込まれる間際、レンズの奥の瞳が、面白そうに細められたような気がした。
意識が千切れる。
最後の大爆発が路地を飲み込み、春の身体は、崩落する日常の瓦礫と共に、底の見えない虚無へと落ちていった。
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