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君の隣で奏でたい  作者: 朝海 いよ
番外編
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番外編 君の瞳を壊したい

 松波奏のことが、気に入らない。海浜高校を受験したのは、家が近かったから。それだけの理由だったけど、勉強は得意だったから、どうせ首席入学だろうと思っていた。


 だけど入学後すぐ、風の噂で知ることになる。首席は、私じゃなかった。首席は、松波奏という名前の女子生徒。一瞬、頭が真っ白になった。悔しくて、入学後初めてのテストで挽回しようと思ったけれど、結果表には『二位』と記載されていた。なんだか虚しくなって、私はこれ以上頑張るのをやめようと思った。


 入部した吹奏楽部でも、松波奏の噂が広がっていた。コンクール常連の神童だとか、ホントかよ。トランペット経験者の先輩や同級生たちは、その名前を聞いただけで目を見開いていたから、どうやら噂は本当らしい。何となく仲良くなった葛城澪音も、「ゲッ……松波奏、海浜に来てたわけ? マジ最悪なんだけど。あたしが一番だと思ってたのに……」とトランペットを持って顔を顰めていたし、その噂を聞いた部長が入部をスカウトしに行ったみたいだけど、一蹴されたと嘆いていた。


 ふうん。勉強も出来て、トランペットも上手いんだ。何だよその、チートみたいな設定。そんな奴が、なんでこの高校にいるんだよ。もしかして自分よりレベルの低い人を見て、悦に浸りたいのだろうか。それに……楽器演奏技術が卓越しているのに部活に入らないのは、何かプライドがあるからなのか?


 嫌いだった。顔も知らないくせに、気に入らなかった。たぶん最初から――私の持っていないものを松波奏は全部持っている気がして、悔しかったのかもしれない。


 初めて松波奏と顔を合わせたのは、一年生の頃の梅雨時だったように思う。昼休み、私は友人の村田彩芽と一緒に音楽室へ練習に向かおうとしていた。薄暗い廊下に足音を響かせていると、向こうから歩いてくる女子生徒の姿が視界に入った。彼女は楽器ケースを背中に背負い、昼休みだと言うのに学生鞄を持っていた。おそらく、あのケースの中に入っているのはトランペット。だけど彼女は、吹奏楽部の部員じゃない。それで、ピンときた。あれが、松波奏。


 彼女は不機嫌そうに、早足で廊下を歩いていた。曇天の中黒い短髪が揺れていて、力のある目元が真っ直ぐ前を見据えている。彼女は何も気に留めず、すんと澄ました顔をしていた。何を考えているのか分からない、その仏頂面。なのに、なぜだか惹きつけられる。どうしてそんな顔が、絵になるんだろう。私の顔も悪くないと思うけど、松波奏にはまた違う魅力があるように感じてしまう。気に入らないな。彼女は私と彩芽の横をすっと通り過ぎ、昇降口に向かって行く。


「……今のって、松波さんでしょ? 学校にいるの、珍しいね」


 彩芽が振り返り、松波奏の後姿をじっと見つめる。松波奏はこちらに気付くことなく、楽器ケースを揺らした背中はどんどん遠ざかっていくだけだった。


「ふうん? 彩芽もあの子のこと、知ってるの? そんなに有名人なんだ」


「えっ、凪ちゃん知らないの? なんか、すごい子らしいよ? 頭いいし、トランペットもすっごく上手くて……でも、ほとんど来てないんだって。“不良の松波”って噂だし」


「へえ、不良? そうなんだ。彩芽は、そういう悪っぽい女が好きなの?」


 お道化て笑い、彩芽の三つ編みを掬いあげる。彩芽は眼鏡の向こう側の瞳を見開いて、赤く染まった顔で「何言ってるの?」と私の頭を軽く叩いた。


 あーあ。彩芽は可愛いな、本当。女の子は皆、こんな風に単純で可愛ければいいのにな。先ほど見た、松波奏の真っ黒な瞳を思い出す。何かの意志を宿しているかのような、ただただ強い瞳。何にも関心を持っていなさそうな、クールで涼し気な顔。無意識的なのかは知らないが、確実に一線を引いている。私とあなたたちは、別の世界の住人ですとでも言うのだろうか。やっぱ気に入らないな、松波奏。


 二年生のクラス替えで、私は松波奏と同じクラスになってしまった。同じクラスになった彩芽と澪音の横でどうでもいい雑談を交わしていたら、教室の扉を開けて入って来る松波奏が目に入った。姿を見るのは随分久しぶりだったけれど、相変わらずツンと鼻につくような顔をしている。


 だけど、その後ろに一人の女子生徒の姿があった。彼女はおどおどと背中に隠れていたけれど、時折喜びを滲ませるような笑顔を向けて、松波奏に話しかけていた。それを受けた松波奏も、普段の態度からは想像できないような、穏やかで優しい笑顔を向けている。


 あの二人から、私はただならない気配を感じ取った。あのプライドが高そうで周りを見下していそうな松波奏が、一人の女の子と笑い合っているなんて。あの女の子、一体何者なんだ。緩いウエーブを描いたセミロングの髪を揺らし、照れたように笑う彼女は、いたって普通の女子生徒だった。


 あんな子が、あの松波奏の心を溶かしている? ……冗談みたいだ。何がそんなに良いんだろう。どこにそんな価値があるのか。


 でも――そんな風に人に笑いかける松波奏を、私も一度くらい見てみたかった。私に向けられたら、一体どんな気分になるんだろう。ふんと鼻で笑ってやるさ。


 彼女はまるで従順な犬のように松波奏の後を追い、席に座った松波奏の横に立って笑っていた。何やら話しているみたいだったけど、彼女は少しずつ顔を曇らせていき、突然松波奏の机に両手を置いて大声を出した。


「……全然大丈夫だから、そんなこと言わないで……! わたしは平気。わたし、何があってもカナデと一緒にいるから。カナデさえいてくれたら、それでいいんだから……!」


 柔らかくてか細くも、どこか力強い彼女の声が教室に響く。クラスの喧騒が一瞬止まり、途端に松波奏の明るい笑い声が降って来た。その瞬間、クラスメイトたちは怪訝な顔をして、彼女たちを見ていた。もちろん、その中には私も含まれている。


「……松波さんって、あんな風に笑うんだ。なんか、意外と普通そうだね」


 様子を見ていた彩芽が、二人の姿を見ながら目を細める。椅子に座ったままの澪音は興味なさそうに頬杖を付いて、「だっる」と言いながら欠伸をしていた。私は二人の姿を目に収めながら、ふうんと考え込む。


 松波奏。プライドの塊で気に入らないと思っていたけど、あの子の前ではただの一人の女子生徒だ。なんか、ちょっと面白いな。


 あの子、使えるかも。澄ましたその顔を、崩してやる。そうして、私だけが知っている顔を見せてくれたら――それでもう、十分かもしれない。


 松波奏が、ずっと気に入らなかった。なのに……その存在から、目が離せない。知らない間に、私は松波奏を追いかけていたのかもしれない。癪だなあ。だから少しくらい、意地悪しても……いいだろう?


「……ふふ、面白くなりそうだね」


 私は二人を見据えながら、軽く笑った。隣では彩芽が呆れたような顔をして、「まったく、何考えてるの?」と溜息を吐いていた。


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