第五話 金色と銀色の別れ(5)
中学でも、奏とほのかは吹奏楽部に入り、トランペットを続けていた。けれどその部活は「適当に、楽しくやろう」というようなゆるい空気で、譜割りは実力よりも学年や在籍年数が重視されていた。
本来ならば、誰よりも上手い奏がソロやファーストを任されてもおかしくない。でも、そうはならなかった。一年生の彼女に割り当てられるのは、いつも無難なパート。上級生に気を遣ってのことだった。奏は「別に、吹ければ何でもいい」と興味なさそうに笑っていた。でも、雑談ばかりで緊張感のないパート練習に、徐々に顔を出さなくなった。代わりに、彼女は個人でレッスンに通い始めたようだった。
一方のほのかは毎日部活に出席し、誰とでも分け隔てなく優しく接し、先輩たちの他愛ない話にも笑顔でうなずいた。努力家で、周囲に気を配れる存在だったほのかは、自然と信頼を集めていった。
そして二年生の秋。先輩が引退し、最上級生になったほのかは、部長に推薦された。出席率の悪い奏の代わりにパートリーダーも任されることとなり、責任は倍増した。ほのかは部員間の調整や部長業務に携わりながら、日々のパート練習では後輩たちをまとめようと尽力して――優しくて可愛くて面倒見の良い「ほのか部長」は後輩たちから熱狂的に支持をされ、どこか肩身の狭さを感じていた。
三年生に上がった途端、コンクールの季節が近づく。選ばれた課題曲はトランペットのソロが勝負を左右するような、華やかで技巧的なものだった。その日も、奏はパート練習に来ていなかった。
「ええと……じゃあまず、担当パートを決めようかな」
ほのかが譜面を掲げると、後輩たちが少しざわついた。年功序列の部内ルールに従えば、ソロの譜面は三年生のほのかと奏が最有力。
「……ソロの譜面は、奏に吹いてもらおうかな。だって、私より上手いからね」
くすりと笑いながら、ほのかは呟く。その声に後輩の一人が遠慮がちに、けれどはっきりと手を挙げた。
「……私、ほのか先輩にソロやってほしいです。だって松波先輩って、全然部活来ないし」
奏は個人レッスンに行ってるだけ――そうほのかが反論する前に、もう一人が口を挟んだ。
「私も、ほのか先輩のソロが聴きたいです。ほのか先輩、いつも練習で誰よりも頑張ってるし、私たちのことも見てくれてる。そんな先輩だから、任せたいんです」
ほのかは一瞬、言葉に詰まった。
――違うのに。奏の方が、絶対に上手いのに。
けれど、期待に満ちた瞳を向けてくる後輩たちを前に、強く否定することもできない。
「あはは……ふたりとも、ありがとう。でもね、やっぱりコンクールだから。一番上手な人がソロをやるのが、一番だと思わない?」
後輩を宥めようとしたその言葉――それは、心からの本心だった。だけどそれを聞いた途端、後輩たちの表情はどこか曇った。
「でも、うまいだけじゃ……ダメだと思うんです」
むすっとした顔の後輩が、ぽつりと呟く。
「松波先輩のこと、すごいとは思ってますけど……。合奏なのに協調性が無いっていうか、ひとりで突っ走ってて、空気読めないっていうか。独りよがりの演奏になる気がして……」
その言葉に、ほのかの背筋がぴんと伸びる。そして――とどめの一言が落ちた。
「……それに、あの音……上手すぎて、逆に浮いてるっていうか。正直、レベルが違いすぎますよ」
頭の中で、何かが弾けたような感覚だった。ほのかは思わず、拳を握りしめていた。
奏の音が「浮いてる」なんて、そんなの――あり得ない。だって、あんなにも綺麗で、強くて、真っ直ぐで……誰よりもかっこいい。そんな奏の音を否定されたことが、許せなかった。
けれど、自分は「部長」で、「リーダー」で、「みんなの模範」で――。だから感情的になってはいけないと、必死に自分に言い聞かせる。言葉を探していた、そのときだった。
教室の扉が開いた音が、場の空気を一変させた。金色のトランペットを片手で胸に抱いた奏が、静かに立っていた。ざわめきは一瞬で凍りつき、後輩たちは「やば……」と目を見交わす。ほのかが口を開こうとした、その一瞬前。
「……私も、ソロはほのかが吹いた方が、いいと思うよ」
奏が言い終えた瞬間、トランペットが彼女の胸からすっと下ろされた。金色の楽器が、鋭く光を反射する。奏は淡々と、まるで何も聞いていなかったかのように――だけど確実に全部を聞いていた声で言った。そのままくるりと背中を向け、ぴしゃりと扉が閉まる音だけが残された。何かが、終わったような音だった。ほのかは椅子を蹴るように立ち上がって、奏のあとを追いかけた。後輩たちは黙ったまま、椅子の上で固まっていた。




