第四十二話 君への誓い(5)
カナデの姿が見えなくなった瞬間、館内のアナウンスも、人々の話し声も、すべてが遠ざかっていく気がした。やっと……わたしは強がらずに、泣けるんだ。張り詰めていた糸がぷつりと切れて、両目から大粒の涙が零れ落ちる。
「美奈ちゃん……大丈夫、大丈夫だよ。美奈ちゃんは偉いよ……よく頑張ったね」
気付いた日菜子がぎゅっとわたしを抱きしめて、柔らかい身体で包んでくれた。わたしは嗚咽まみれの声でお礼を言って、日菜子の服を濡らしてしまう。若葉は大きな溜息を一つ吐いて、「松波奏ってマジで……本当破壊力やっばいな。相変わらずネタが尽きないヤツ……」と呆れたように笑っていた。その横で冬子は立ち尽くして、「松波さんって、ああいうタイプだったんだ……」と頬を少しだけ染めている。二人の反応が面白くて、わたしは日菜子の腕の中で笑ってしまった。人前であんなことするなんて……本当、カナデってきざなんだから。
「おっ、美奈氏。落ち着いたらアイス食べに行こうぜー。仕方なく私が奢ってやるよ」
わたしの腕を引っ張って、若葉が笑う。わたしは日菜子からそっと身体を離し、涙を拭った。呑気な提案に頷いて、「……じゃあ、とびきり高級なアイスが食べたいな」と掠れた声で言ってしまう。まだ涙の跡は残っているけれど、心に少しだけ風が吹いた気がした。わたしは小さく笑って、三人と一緒に歩き出す。
アイスを食べ終わったあと、空港の展望デッキで風に吹かれながら、わたしは滑走路を見つめていた。銀色の機体が遠くで地響きを立て、次々に空へと吸い込まれていく。あのどれかが、カナデの乗った飛行機だ。
「ほんと、松波奏って律儀で不器用だよな……。こないだ、突然松波奏からメッセージが来てさ。三年間ありがとうって……それと、美奈氏を頼むって。別に、頼まれなくても仲良くするのにな」
ははっと乾いた笑いが飛行機の轟音にかき消されるように響き、わたしは若葉を見つめてしまう。カナデがそんなことをしていたなんて、知らなかった。唖然としていると、日菜子と冬子も頷いている。
「私も、美奈ちゃんをよろしくって。奏ちゃん、本当心配性なんだね」
「私にも。松波さん……私のことも多少頼ってくれてるみたいで、ちょっと嬉しかった」
二人は控えめに笑って、飛び立つ飛行機を見つめている。若葉がスマートフォン片手に手を伸ばし、指をさした。
「松波奏の飛行機、たぶんあれじゃね? 一応手でも振ってみっか」
機体をゆっくりと旋回させている飛行機に向かって、四人で手を振ってみる。きっと見えないはずなのに……あの窓の向こうで、カナデもこちらに手を振っている気がした。そのまま機体は徐々にスピードを上げていき……ふわりと、空に浮かんで行った。その姿はどんどん小さくなって、わたしの前から消えていく。
「……カナデ、行ってらっしゃい」
右手をぎゅっと握りしめて、わたしは空を見つめていた。そのまま、ただ静かに、立ち尽くしていた。
三人と一緒に地元に戻り、静かな家に帰ってきた。今日から、カナデのいない日常が始まる。部屋の中にあふれたカナデとの思い出のものひとつひとつに手を伸ばし、そっと撫でる。窓からは西日が差し込んでいて、部屋の埃がきらきらと舞っていた。右手の指輪を光に掲げて見せると、カナデの選んだ青い石が静かに輝きを放っている。
鞄の中のスマートフォンが震えた気配を感じて、わたしの意識が呼び戻された。取り出して画面を見てみると、わたしとお揃いのカナデのアイコンが浮かんでいる。
『美奈へ 伝えたいことはたくさんあるはずなのに、いざ言葉にしようと思うと難しいね。何から書けばいいのかな。まずは三年間、私と一緒にいてくれてありがとう。美奈のおかげで、とても楽しかった。あの日、私を見つけてくれて、私と出会ってくれてありがとう。
美奈は私に、いろんなことを教えてくれたね。何度も何度も、傷つけてしまって本当にごめん。私は最後まで、美奈のことを大切にすると誓ったのに……美奈を悲しませてばっかりだ。
美奈はいつも、私の我儘を受け入れてくれて、そのたびに私は美奈の優しさに甘えて……本当に、弱いよ。美奈はきっと、「弱くても、甘えてもいい」って言うだろうね。だけど……私は、強くなりたい。美奈の恋人として、胸を張れる自分でありたいんだ。
だから私は、この四年で強くなれるように頑張るよ。離れている間、私は美奈に甘えたくない。美奈を置いて、自分の夢を選んだからこそ……私は美奈に逃げないよ。四年後、堂々と格好良い姿で、美奈を迎えに行けるように。
大好きだよ、美奈。美奈のことを信じている。だから美奈も、どうか私を信じていて。手のかかる恋人で、本当に、ごめん。』
そして、そのメッセージを最後に、四年間——カナデから言葉が届くことは、もうなかった。