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第四十一話 この時間が終わるまで(1)

 頭上から、勢いよくシャワーの水が打ち付ける。俯いたまま、わたしはその冷たさも熱さも曖昧に感じていた。意を決して備え付けのシャンプーのポンプを押すと、上品な花の香りが辺りに漂う。先ほどカナデが放っていた香りと、同じ香りだ。先にシャワーを浴びてもらい、白いふかふかのバスローブ姿で部屋に戻って来たカナデはどこか大人っぽい、なんだかどきどきしてしまうような……良い香りをしていた。指摘すると「そうかな。置いてあったものを使っただけなんだけど」と、照れたように笑っていた。


 気が付くとポンプを押し続けていたようで、掌からシャンプーの液体が零れていた。慌てて髪の毛に付けて揉んでみると、すごい勢いで泡立ち始める。頭全体が泡で包まれて、もこもこになった様子がなんだか面白い。カナデにも見せたいなと思ったけれど、それは流石に自重する。お風呂の中から「カナデー! すっごい泡だったから見てみて!」なんて叫ぶ勇気は、わたしにはない。意味もなく、いつもより丁重に洗いこんでしまうけれど……別に、わたしは何も考えてないし、何も期待していない。


 脱衣所に戻って、わたしもカナデとお揃いにして身を包んでみる。鏡に視線を向けると、ぱっとしないわたしの姿が映っていた。もうすぐ大学生になるというのに、相変わらず子供っぽい。なんだか、着られている気がする。さっき見たカナデの姿は少しだけ色っぽくて、ワイングラスなんて持っていたらすごく絵になる気がしたけれど……同じものを着ているのに、どうしてこんなに違うんだろう。


 肩を落としつつ部屋に戻ると、椅子に座って本を読んでいたカナデが顔を上げた。表紙には英語が並んでいて、また何か難しい本を読んでいるみたいだった。「ミナ、お帰り」と顔を綻ばせ、机の上に置いてあったドライヤーを手に取る。


「髪の毛乾かしてあげる。おいで」


 コードを伸ばし、カナデはダブルベッドの上に身体を移した。隣を叩いて、わたしのことを誘っている。髪の毛くらい、自分で乾かせるのに。でも、断る理由もなかったから……わたしは視線を外しつつ、カナデの横に座り込んだ。ドライヤーの轟音が響き、温風がわたしの髪を揺らし始める。カナデの細い指先が湿ったままの頭皮に触れて、わたしはぎゅっと口元を引き締めた。


「ミナの髪の毛、いいよね。ふんわりしてて、可愛い。好きだな」


 髪を手櫛で梳きながら、ドライヤーの音に紛れてこんな声が聞こえてきた。わたしは何も言えなくて、ただ目を閉じて俯くだけだった。こんなに甘やかされてしまって、わたしって、本当……。ふやけた両手を膝の上で握りしめて、こみ上げてくるものをぐっと堪える。気が付けば温風は冷風に変わっていて、軽くなった髪の毛の間をカナデの指が梳いていた。


「はい、できたよ。たぶん、大丈夫だと思う」


 かちり、というスイッチの音とともに部屋に静寂が戻ってきて、わたしは瞼を開ける。目を合わせられないまま、「ありがとう……」と呟いた。


 乾かし終わったはずなのに、カナデの片手はわたしの髪に触れたまま、さらさらと梳いていたと思ったら、束にして指先にくるくると巻き付けたり、掬ってみたり。カナデはわたしの髪で遊びながら、何も言わない。いつもは気にならない沈黙が、今はなんだかすごく気になってしまって。いたたまれなくなって、わたしは「もう……やめてよ」と声を上げてしまう。


「いや……ミナが悪いんだからね? さっきから……めちゃめちゃ緊張してるじゃん。顔が、すごい……ふっ……」


 カナデはわたしの顔をじっくりと眺め、息を吹き出したと思ったら、俯いて肩を震わせ始めた。えっ、わたしの顔? 慌てて片手を頬に添え、固まったままの肉を摘まんでみた。指先からはじんわりとした熱が伝わってきて、たぶん、今のわたしの顔、すごく赤い。


「あはは……本当、ミナって……」


「ちょ、ちょっと。ひどい。そんなに笑うことないでしょう? だって、しょうがないじゃない……」


 そう言いながらも、わたしは戸惑っていた。しょうがないって、なんで? わたしは一体何に、そんなに緊張しているんだろう。今までだって、カナデと泊まる機会はあった。修学旅行の部屋は二人きりだったし、お互いの家に泊まったこともある。その度に一緒のベッドで眠っているのに、何を今更……。


「はー……ははっ……ミナは可愛いよね……そんな照れなくてもいいじゃん。大丈夫だよ。何もしないって」


 カナデは身体を固まらせたままのわたしを笑いながら、目元に溜まった涙を拭う。そんな、泣くほど笑わなくてもいいのに。わたしとは違って余裕のあるカナデの姿を見て、少し悔しくなってしまう。やっぱりわたしって、魅力ないのかな……。


 バスローブに包まれた身体を見下ろして、ちょっとだけ考える。身体の内側では心臓がばくばくと音を立てていて、必死に血液を循環させていた。だけど、わたしの呼吸はどんどん浅くなってきて、頭に血が上らない。酸欠状態の頭では、まともに思考が働かなかった。


「……何もしてくれないの?」


 気が付けば、わたしの口からこんな言葉が飛び出していた。指先は知らない間にカナデの手に触れていて、震えながらもその指をきゅっと掴んでいた。息を呑む音がする。おずおずと視線を上げると、カナデが目を見開いて固まっていた。いつかのわたしのプリクラみたいな、鳩が豆鉄砲を食ったような表情で、今度はわたしが笑ってしまう。


「ふふっ……やだ、カナデったら……何その顔。もう……かわいすぎでしょ。……冗談、だから、ね」


 手を離してくすくすと笑うと、やっと肺に空気が入って来る。固まったままだった頬の肉が解れ、強張っていた身体の力が抜けていった。カナデの珍しい顔があまりにも可愛くて、今手元にカメラがあったなら、絶対にシャッターを押してしまっていたと思う。


「……ミナ。笑い過ぎじゃない? ねえ。そのカウンターは、ずるいでしょ」


 顔をしかめたカナデが、両手をわたしの脇腹に伸ばす。動く指先がくすぐったくて、わたしは余計に笑ってしまう。


「あはは! ごめんって……やめてよ……! あははっ……カナデ……やだ、もう、ギブ……」


「やめない。ミナったら、一体どこでそんなことを覚えてきたの? ずる過ぎるよ」


 口からは悲鳴に似た笑い声が漏れ続けて、わたしは身を悶えさす。カナデから逃れるために身体を傾け、そのままベッドに倒れ込んだ。わたしを追ったカナデも一緒にマットレスに寝ころんで、やっと両手を離してくれる。


「はー……本当……私たち、何やってんの。馬鹿じゃないの……」


 カナデは息を整えながら、天井を仰いで目元を隠した。わたしはカナデに身体を向ける。その横顔を見つめながら、静かに肩を震わせていた。


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