第四十話 星空のデュエット(2)
三年生の冬は、受験に集中するために学校はしばらく休みになる。冬前にアメリカ行きの切符を勝ち取ったカナデと、二月前半に第一志望の女子大に合格したわたしは、ちょっと早めの春休みを満喫していた。
「休みの間さ、卒業旅行に行こうよ」というカナデの提案で、わたしたちはふたりきりで二泊三日の旅行に行くことにした。カナデが「修学旅行は北だったから、今度は南がいいな。人のいない場所で、ミナとゆっくり過ごしたい」と言うものだから、その言葉に頷いて、わたしたちはオフシーズンの南の離島を選んだ。まだ海に入れる時期じゃないし、あんまり女子高生っぽくない行先かもしれないけど……わたしも人目を気にせずカナデとふたりきりでいたかったから、ちょうど良かった。
わたしたちは手を繋いだまま空港行きのバスに乗り込み、空港に着いてからはお土産品を物色し、搭乗口では売店で買ったソフトクリームを食べていた。
「ねえ、ミナったら。まだ着いてないんだよ。ここ、東京だからね? 今からそんなにはしゃいで……どうすんの?」
カナデは溜息を吐きながらも、わたしと一緒にソフトクリームを食べてくれる。カナデの言う通り、まだ家を出てから数時間しか経っていないのに、わたしはもうこの時点で、完全に旅行を満喫していた。全てが楽しくて、何でも笑っちゃって、足元がふわふわとおぼつかない。まるで、夢の中にいるみたいだった。夢がいつか覚めることは、分かっている。カナデはもうすぐ、わたしの前からいなくなる。分かってるよ。だからせめて、今だけは……この夢に溺れていたかった。
「……カナデと一緒に過ごせるのが、幸せで。すごく……うれしいの」
「何それ。そんなの、私もだけど……突然そういうこと言うのは、反則でしょ」
カナデは照れたように視線を外し、ソフトクリームのコーンを嚙み砕く。何も言わないまましばらく咀嚼して、食べ終えたカナデはわたしの手の甲をそっと撫でた。
飛行機に乗ったわたしは、窓からの景色を眺めていた。機体が旋回するたび、東京の景色がぐるりと表情を変えていく。聳えるビルの群れ、都会のシンボルのようなタワー。春からわたしは、ひとりで東京に通うことになる。本当に大丈夫かなと顔が引きつると、エンジンの音が大きくなった。わたしは唾を飲み込んで、カナデの腕にしがみつく。
「ミナ、やっぱ怖いんだ。でも……大丈夫だよ」
しがみついたわたしの腕を、カナデは優しく撫でてくれる。飛行機に慣れているカナデは涼しい顔をして、窓の向こうに目線を向けていた。轟音が響き、機体は加速を続けていく。身体が押しつぶされるような感覚を感じながらも、重力に逆らって、ぐっと空に浮かんで行った。すっかり冷たくなったわたしの手に触れながら、カナデは苦笑する。
「……ほんと、緊張し過ぎだって。外見てみなよ。景色、綺麗だよ」
カナデに促されて窓の向こうを覗き込むと、さっきまで見ていた景色がジオラマみたいに広がっている。飛行機は周回し、東京湾の端に見慣れた街並みが見えた。
「あっ……あれ、いつもの防波堤じゃない? ということは、高校はあの辺で、わたしの家は……わあ……」
小さくなった地元の景色を、息を呑みながら見つめてしまう。顔をぴったり窓に押しつけたまま、わたしはいつまでも外を眺めていた。隣でカナデが息を吐き、「ほら、もう大丈夫でしょ」と笑っている。その声だけで、わたしは本当に大丈夫な気がした。
飛行機はどんどん南に向かって進んでいき、わたしたちはガイドブックを広げながら行きたい場所を相談したり、窓からの景色を眺めたりして過ごしていた。次第に海の色が変わってきて、鮮やかなエメラルドグリーンの海の中に、サンゴ礁の群れのようなものが広がっている。初めて見る南の海はあまりにも綺麗で、わたしは何度も「ねえ、カナデ! すごい……」と声を漏らしてしまう。お嬢様でハワイの海にも見慣れているはずのカナデは一緒に窓を覗き込んで、「本当、綺麗だね」と言って笑っていた。
小さな空港の自動ドアをカナデと一緒に潜り抜けると、ご機嫌な南の島の太陽と、柔らかな潮風がわたしたちを出迎えてくれた。まだ時期的には冬なのに、辺りには既に夏の気配が漂っている。小型バスに乗り込んで、到着したと同時にカナデはカウンターに進んでいく。
「……お待たせ。車、借りれたよ」
カナデはどこか得意げな顔をして、指先でレンタカーの鍵をくるくると回す。知らない間にカナデは教習所に通っていて、車の免許を取っていた。免許をわたしに見せつけてきた日、「ミナをびっくりさせたくて。ミナが受験勉強してる間、取ってたんだ」と、悪戯っぽく笑っていた。免許なんて、アメリカに行ったら使わないだろうに……何でも器用にこなしてしまうカナデに驚きつつ、そんな心遣いがうれしかった。カナデの運転する車に乗るのは初めてで……どきどきしながら、荷台にスーツケースを詰め込んだ。
「兄貴に付き添ってもらって、練習してたんだ。兄貴は別にどうなっても構わないけど、今日はミナを乗せてるからね。ちゃんと安全運転するよ」
カナデは穏やかに微笑んで、車のエンジンをかける。助手席から見る横顔は、いつもよりずっと大人っぽく見えてしまって……わたしの胸は高鳴るばかりだった。ハンドルを握るその姿があまりにも格好良くて、わたしはまたカナデに惚れ直してしまう。
車を少しだけ走らせると、途端にさとうきび畑が辺り一面に広がっていた。背の高いさとうきびに視界が遮られ、カナデはそろりそろりと交差点を抜ける。オフシーズンだからか、人や車の姿はほとんどない。
車内では、カナデの携帯に入っている音楽がランダムに流れていた。カナデが好きだと言っていたアーティストの曲だったり、吹奏楽の曲だったり、渋いジャズの曲だったり。知らない曲が流れるたびに、わたしは「これって何の曲なの?」と聞いてしまう。そのたびに、カナデはいちいち教えてくれていたけれど、途中で「……そんなに気になる? それなら、あとで私が聴いているアルバムの一覧を送ってあげるよ」と、困ったように笑っていた。