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第三十九話 君のための金色の音(1)

 一足先に衣装に着替え、市民会館の裏口で、ひとり夏の風に身を預けていた。薄暗いトラックの搬入口に座り込んで、長いスカートに包まれた両脚をぶらぶらさせる。脚を動かすたびに黒いパンプスに包まれた足先が、裾から覗いていた。


「……“大丈夫、ミナならできるよ”……か」


 小さく呟きながら、右手の薬指の指輪に触れる。カナデと出会ってから、いつもわたしの背中を押してくれた言葉だった。来年のステージに、カナデはいない。再来年も、その次も……カナデと同じ舞台に立てる機会は、もう、ないのかもしれない。いつもわたしを励ましてくれるこの言葉を、きっとわたしは来年も、その次の年も思い出す。いつまでもわたしの中で、魔法みたいに響き続けるんだろう。


 カナデのことを思い浮かべる。相変わらずわたしは上がり症で、何度人前で演奏しても、本番前の緊張に慣れることはできなかった。だけど……わたしは大丈夫。カナデができるよって言ってくれるから、きっと、わたしは大丈夫なんだ。


「……ミナ、こんなところにいたんだ。探したよ」


 声に振り返ると、ステージ衣装に着替えたカナデが立っていた。すらりとした身体のラインがワイシャツとスラックスに包まれていて、相変わらずドキドキさせられてしまう。今年のカナデも、去年と変わらず格好いい。こんなに素敵なカナデがわたしの恋人であり、今では一応婚約者なんだから。人生何があるか分からないなと思いつつ、笑いかける。


「カナデ。最後のソロ練習は……上手くできた?」


「ぼちぼちかな。先生と磯辺さんに見てもらったけど、ステージで吹くとやっぱ違うね」


 カナデはわたしの横に座り込んで、黒いズボンに包まれた細い脚を投げ出す。一度大きく身体をのけ反らせて、わたしの方に向き直った。カナデの黒い綺麗な瞳が、静かにわたしを見つめている。


「ミナはどう? ……緊張してるんじゃない?」


「ううん、去年もやってるし……大丈夫だよ」


 落ち着いたふりをして、口角を上げて見せる。するとカナデは「そう?」とだけ言って、わたしの胸に顔を埋めた。目の前いっぱいにカナデの黒い髪が広がり、微かに良い香りがして胸が高鳴ってしまう。「カナデったら……!」と声を上げ、辺りを見回したけれど人影はない。カナデは焦ったわたしを気にすることなく、そっと両腕を背中に回してきた。


「……ミナは強いね。私は……今日のソロに、ちょっとだけ賭けてるんだ。……今の自分が、どこまで出来るか挑戦したい。それで……自分が上を目指す価値はあるのか、見極めたいと思ってる。全部を捨てて、ミナを置いて、四年間……音楽をやる意味は、本当にあるのかな」


 小さく、途切れ途切れに呟かれた言葉たちが、わたしの胸を締め付ける。わたしはカナデの細い身体に手を回して、勢いよく抱きしめた。あまりに強く抱きしめすぎて、カナデが困ったようにわたしの名前を呼ぶ。そんなカナデに構うことなく、抱きしめ続けた。


「……大丈夫。カナデなら、できるよ。わたしの大好きなカナデなら……絶対できる。世界でいちばん格好いいカナデのトランペットの音を……どうか、響かせて」


「……そうだね。ミナのために……私、誰よりも格好いいソロを吹いてみせるよ。だから……見届けてね。そして……ミナのこと、惚れ直させてみせるから」


 カナデは顔を上げて、悪戯っぽく笑った。白い歯がこぼれ、思わず「きざなんだから……」と呆れてしまう。これ以上、好きになったら困るのに。


「もう……今でも十分惚れてるのに。何言ってるの……?」


 つい顔を背けてしまうと、人気のない裏口にカナデの軽い笑い声が響き渡った。カナデったら、またわたしをからかって遊んでいる。カナデって、いつもずるいよなあ。少しだけむくれてカナデを見ると、優しい笑顔がわたしを射抜く。


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