第三十六話 傍観者の道化師(3)
「応援してるよ、松波奏。それにしても、なんかこうしてると……動物に餌をやっている気持ちになるなー」
「いや……本当何なの……やめてよ……。ミナにバレたら怒られるって」
「ははっ、確かにそうだな! 美奈氏、めちゃめちゃ嫉妬深いもんなー。気をつけよう」
Lサイズのポテトはすっかり底をつき、若葉は油でべとべとになった指先をナプキンで拭う。奏は静かに、窓の向こうを眺めながらカフェラテを啜っていた。何も見ていないような瞳がふいに細められ、若葉に向けられる。
「……若葉と日菜子がいてくれて、良かったよ」
「何言ってんだ突然。一応松波奏より、うちらの方が美奈氏との付き合いは長いんだからな? ま、最初は全然心開いてくれなくて、どうしようかと思ったけどね。……松波奏がいなかったら、こんなに仲良くはしてもらえなかっただろうな」
「そうかな。……なんだかんだ言って、ミナは強いよ。普段は可愛くて守ってあげたい感じなのに、時々かっこよくて。そういうとこ、好きだし尊敬してる」
「おい、ナチュラルに惚気るのやめろよ。口元ニヤけてんぞー。本当に、松波奏は……」
シェイクに突き刺さったストローを歯で潰し、若葉は背中を丸めて頬杖を付く。すっかり真っ暗になった冬の街を、魚の群れのように行き交う人々。ぼやけるネオン。そしてガラスを隔てて、眺めているだけの自分。
「……恋愛って、そんなにいいもんか?」
つい呟くと、奏が抱えていたカップをテーブルに置く音がした。横を見ると、驚いたような顔をして若葉のことを見つめている。何だよその顔。私がこんなことを言うのが、そんなに意外だっていうのか?
「……私も、恋愛ってよく分からなかったけど。ミナはいつも真っ直ぐに好きだと言ってくれて、私をすごく大切にしてくれて……気づいたら、ミナのことを恋愛として好きになってた。これからのことも……ミナとなら、きっと大丈夫な気がするんだ」
「ひゅー、熱いな。聞いてるこっちが照れそうだよ。でも、ふーん……そうかい。それは良かった。美奈氏の恋を、応援してやったかいがあるってもんだ」
中身のない紙コップを持ち上げて、若葉はストローを噛み続ける。先端は、もうすっかり平らになってしまっていた。もう少し何か飲みたいな。さっき、フルーリーじゃなくてシェイクを頼めば良かったなと少し後悔をする。
どんなに甘いもので胃の中を満たしてみても、まだ足りない。いつか自分にもこの甘さが分かる日が、来るのだろうか。それとも、一生来ないままなのだろうか。でも、それでも私は、流れに身を任せるだけだ。
甘さなんて分からなくてもいい。ただ、この場所から友人二人の未来を見守っていたいだけなんだ。それに、こうやって話を聞くだけで、人間って面白いなと思えるから、それだけで十分だ。そして、もし誰かが、自分のことをあんなふうに信じて見つめてくれるなら……ちょっとだけ、信じてみたくなるじゃんか。
「……若葉ってさ……意外と、真面目だよね」
突然真剣な声が耳に飛び込んできたものだから、若葉は驚いたように身を引く。顔を向けると、奏の黒々とした瞳が若葉のことを貫いていた。うわっ。これは……なるほど。確かにこの整った顔立ちで真摯に見つめられたら、美奈氏がどきりとする気持ちも少しだけ分かるかもしれない。奏の力強い視線は、まるで漫画の主人公みたいだった。
「な……なんだよ。私はいつだって真面目だろう?」
「いや。いつもそうやっておちゃらけて、空気読めてないような感じがするけれど……本当は誰よりも人を見てて……。私もミナも、きっと何度も若葉に助けられてきたんだろうね」
「は、はあ……? 何言ってんだよ……」
つい息が止まって、若葉は奏から視線を外す。ずるいな、松波奏は。人付き合いは苦手なのかと思ってたけど、違う。こいつはたぶん、いつだって真っ直ぐなだけだ。夢も、将来も、楽器も、恋愛も、そして友人関係も。嘘がなくて、真面目で、誠実だ。だからこそ、まるで人たらしみたいで……それが何度も、美奈氏を苦しめたんだろうけど。ウケるな。
「なーんか松波奏の前だと……調子狂うな。ま、ありがとさん。そう思ってくれてんなら、シェイク奢ってよん」
「……調子乗り過ぎじゃない? っていうか、食べ飲みし過ぎでしょ」
呆れたような奏の声が、店内のBGMに交じって溶けていく。奏の細い指にはめられた指輪に一瞬だけ視線を向け、若葉は笑う。松波奏、面白くて良いやつだな。しょうがない。大切な友人二人のために、これからも私は傍観者の道化師を続けよう。それで二人が幸せになるのなら、喜んで引き受けてやる。
これから離れ離れになるかもしれない二人は、一体どうなっていくのだろう。二人が信じる愛の力とやらは、本当に物理的距離を超えられるのか? この恋を最初から見守っている私に、物語の結末を見せてくれ。恋愛が分からない私に、恋愛のことを教えてくれよ。
書きかけの恋愛小説は、まだスマートフォンの中で眠ったままだ。続きを書けるようになる日は、来るのだろうか。私にも、分かる日が来るのだろうか。甘さの意味も、愛の形も。
それでも私は、今日もこの場所から見守っている。誰かの恋が、誰かの未来を変えていく、その瞬間を。私はきっと、この気持ちの続きを、言葉にする。いつか自分の物語として。