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第三十五話 君へ続く音(3)

「大丈夫。大丈夫だよ、カナデ……。離れていても、カナデはずっとわたしの隣にいてくれるでしょ? だからね、わたしは……」


 大丈夫だよ、と言おうと思ったのに、言葉の代わりに漏れてきたのは嗚咽だった。歯を食いしばって、カナデの肩に顔を埋める。これ以上泣いたらだめ。絶対に、嫌だなんて言っちゃいけない。それでも一度意識をしてしまったら、身体の震えは止まらなくて。瞑ったままの瞼から流れる涙が、少しずつカナデのコートを濡らしていった。もう心は決まっていたはずなのに……どうしても身体が、泣いてしまう。染みになっていくその色を、目を開けて見ていた。ひとつ、またひとつと涙の染みがコートに広がり、闇の色へと溶けていく。それが、どこか別れの証みたいだった。


 カナデは震える両手でわたしの頬を包み、もう一回唇を寄せる。さっきよりも塩辛くて、だけど、まるで何かを確かめるような、少しだけ力強い口付けだった。わたしとカナデの涙が溶け合って、じんわりと舌先に広がる。その味がどこまでも愛おしくて、優しかった。


「……ふふ、しょっぱ」


 顔を離したカナデが涙声のまま困ったように笑い、両手をだらんと落としてわたしの肩に顎を乗せる。瞼を下ろして、「人前でこんなに泣いたの、初めてだよ」と恥ずかしそうに俯いた。そんなカナデが可愛くて笑ってしまうと、その拍子に溜まった涙が零れ落ちる。


「……ミナ、今まで隠していて、本当にごめん。まだ……迷っているんだ。それに、誘われているからと言って、受かる保証もない。だから、しばらくは……中途半端かもしれないけど、音大も医学部も、どっちもやってみようと思ってる。……ダメだったら、浪人してまた考えるよ」


 重力に引っ張られていたカナデの両手が、わたしの右手を包み込む。冬の夜風に体温を奪われて冷たくなった指が、宝物を触るみたいに、薬指の指輪を撫でた。


「だから、ミナ……こんな私は……ミナと付き合う資格が、無いのかもしれない。でも……私……」


 カナデは考え込むようにして、ぽつりぽつりと声を漏らす。カナデが言葉を繋げようとした瞬間、わたしの空いていた片手の人差し指で、その冷たい唇にそっと触れる。何も言わない沈黙が、かすかに揺れる吐息になって、わたしの指先に残った。


「……カナデったら、何言ってるの? わたしは……そんなカナデだから、好きになったの。あ、愛してる……って言っても、過言じゃない。だからね……絶対、離さないよ。カナデも……わたしのこと、離さないでいてくれるんじゃ……なかったの?」


 言ってるそばから恥ずかしくなって、今度はわたしが俯いてしまう。愛してるなんて、口にしたのは初めてで。でも……わたしの気持ちを、思いを、真っ直ぐカナデにぶつけたかった。付き合う資格なんて、そんなのいらない。わたしは、どんなカナデでも大好きだから。ずっとずっと、そばにいてほしい。離れ離れになったとしても……いつかカナデが帰って来てくれる場所が、わたしであってほしい。わたしはカナデの恋人として、あなたの幸せを誰よりも願いたい。だから、わたしは……カナデの気持ちを、選択を、どんなものだって尊重する。


「ミナ、ありがとう……。私もミナのことを、離すつもりはないよ。ずっと……私のことを、好きでいてね」


「もう、そんなの……当たり前でしょ……」


 身体を離したカナデが、優しい顔をしてわたしを見た。その顔に、もう涙は流れていない。どこか吹っ切れたようなすがすがしい表情で、心がふっと軽くなる。わたしの大好きな、カナデの笑顔だった。


「……愛してるよ、ミナ」


 街頭に照らされた二人の影が、また一つになる。お互いの呼吸の音と、今にも張り裂けそうな鼓動の音、そして呑気に流れ続けるクリスマスソング。イルミネーションの下で誓ってくれたその言葉を、わたしはいつまでも信じていたい。そしてカナデも、わたしのことを信じてくれるといいなと思う。


 カナデへの言葉は、ありがとうだけじゃ足りない。だけど、今はそれ以上の言葉が見つからなかった。「愛してるよ」と言ってくれたその声を、きっと、何度も思い出すのだろう。たとえ、わたしの言葉が届かない場所にいつかカナデが行ったとしても――わたしの中では、ずっと、響き続けるんだ。


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