第三十五話 君へ続く音(1)
クリスマスの夜の凍える海風が、わたしの髪をさらっていく。その中で、カナデの指先が恐る恐る、わたしの頬に触れた。冷たい十本の指。けれど、その冷たささえも愛おしくて、抱きしめてあげたい。
「カナデ……」
名前を呼ぶと、次の瞬間、唇が塞がれる。触れた唇は氷のように冷たくて、潮の味がした。……それは、カナデの涙の味。
顔を離したカナデが、わたしを抱きしめる。小さな嗚咽が、肩口で震えていた。その背中に、そっと手を伸ばして包み込む。細くて儚い、カナデの身体。それは今にも壊れそうなくらいに細くて……何度も抱きしめているはずなのに、こんなにも、カナデは軽かっただろうか。
「……カナデったら……どうしたの……?」
遠くで、どこか明るいクリスマスソングが流れている。でも、この場所だけが別の時間に取り残されたようだった。わたしはただ、冷えた頬を寄せ、カナデの背を撫でることしかできなかった。抱きしめているのに、どんどん熱が奪われていく。こんなに近くにいるのに、指先から、何も伝わってこない。
わたしたちは今、確かに触れ合っているはずなのに――わたしは、まるでただの観客みたいだった。
「……ミナ、好きだよ。好きなんだ……たまらなく、ミナのことが好きなのに……」
耳元に囁かれたその声は、愛の告白のはずだった。でも、それはまるで別れの前の遺言のようで。嫌な予感がして、胸の奥が急激に冷えていく。
「もう……隠せない……ごめん、ごめんね、ミナ」
カナデは、わたしの腕の中からすっと身体を引き剥がした。顔を上げたその表情に、わたしは息を呑む。
あのカナデが……。わたしの知っている、いつもわたしを引っ張ってくれる、太陽みたいに眩しいカナデが、こんなにも泣いているなんて。澄んだ涙が次々と頬を伝い、イルミネーションの光を受けて、宝石みたいに輝いている。
けれどその煌めきは、どこまでも、痛かった。
「……私のトランペットの師匠から、アメリカの音大に進学しないかって誘われてるんだ。でも……受けてしまったら、四年間……ミナと離れ離れになる……!」
その言葉が、まるでガラスの矢のように、鼓膜を貫いた。鈍く、深く、ゆっくりと心の奥へ沈んでいく。
「最初は本当に、兄貴を追って医学部に行こうと思ってたんだ。でも、やっぱり……忙しそうな兄貴の姿を見てると、どこか諦めきれなくて……そんな中で、誘われて……。アメリカに行けば、クラシック以外のジャズやポップス……色んなジャンルの勉強ができる。すごく……惹かれてる。だけど……」
カナデが俯き、唇を噛みしめた。膝の上で握りしめている両手が、微かに震えている。咄嗟に、わたしは手を伸ばした。震える両手をぎゅっと包み込む。それでも、わたしの体温では、カナデをあたためられなかった。まるで、もう……この手が、届かない場所にいるみたいだった。