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第三十四話 指輪の涙(4)

 結局、わたしとカナデは店員さんが勧めてくれた、シンプルな指輪を購入した。それぞれ小箱の入った紙袋を持って、店を出る。


「カナデ、ごめんね……」


 外に出るなり、溜息と共に謝罪が漏れる。わたしにもっと勇気があったなら、この関係を堂々と伝えられるのに。おずおずと手を伸ばして、自分の中の罪悪感を誤魔化すように、そっと指を絡ませる。カナデは手を繋ぎ返して、コートのポケットに突っ込んだ。


「別に、大丈夫だよ。無理に関係を大っぴらにする必要はないし……本当のことは、私たちさえ知っていれば良くない? まあ、こないだ兄貴にバレちゃったけどさ」


 ほんのりと温かいポケットの中で、五本の指がわたしの掌をなぞる。指が伝うたびに、身体が飛び上がりそうだった。「もう、くすぐったいからやめてよ!」と言ってその指を握りしめると、楽しそうに笑い飛ばされた。明るい声に、わたしもつい笑顔になってしまう。カナデはいつもわたしの不安に気付いて、受け止めて、笑わせてくれるんだから……そういうところが本当に……好きで好きでたまらない。


「カナデったら……。本当はね、わたし……わたしの恋人はこんなに素敵な人なんですって、全世界に自慢したいと思ってるの」


「ははっ、何それ? ミナはほんと……大げさじゃない? 照れるんだけど。でも、ありがとね」


 見えない場所でそっと重なった掌が、鼓動を通して静かに語りかけてくる。たったそれだけの温もりなのに、涙が出そうになってしまった。……わたしは今、こんなにも愛されている。


 その後、モール内のお店を流し見し、空が少しだけ暗んできたころに地元に戻る。去年もカナデと見た海辺のタワーのイルミネーションを、今度は恋人として一緒に見たいと思ったのだ。わたしの提案を聞いたカナデは「それでいいの?」と笑っていたけれど、カナデとの思い出の詰まった場所が、わたしにとっては何よりも特別だった。


 電車を降りて、すっかり暗くなった海辺の道を手を繋いで歩く。夜の光に照らされたカナデの横顔を見つめながら、頬が緩むのを感じていた。あんなに大好きだったカナデが、今ではわたしの恋人なんて。本当に信じられないな。わたしはなんて幸せ者なんだろう。ふとカナデの視線がわたしと交わり、カナデは呆れたように目を細めた。


「……ミナ、何ニヤけてるの?」


「ふふっ……カナデのことが、好きだなあって思って」


「何言ってんの。さっきから……そうやって突然告白してくるの、ずるいよ」


 カナデは片手を口元に持っていき、視線を外した。照れたようなその仕草が可愛くて、わたしは腕に抱き着いてしまう。吸い込まれそうな闇に染まった空の中に、わたしの笑い声だけが、魔法みたいに弾けている。人気がないのを良いことにじゃれ合っていたら、あっという間にタワーの下にたどり着いた。去年も見上げたイルミネーションを、今年のわたしが見上げている。


「……これ、去年と同じじゃない?」


「もう、カナデったら! 去年と同じでも別にいいの」


 タワーの側面に施されたツリーの装飾は、相変わらずクリスマスソングに合わせて陽気に点滅を繰り返している。去年と同じ場所、同じ景色。でも、隣にいるカナデの手の温かさが、まるで違っていた。近くのベンチに並んで座って、膝の上に指輪の入った紙袋をそっと置いた。


「……ミナ、じゃあ、ええと……指輪の交換でもする?」


 ぽつりと呟いたカナデの言葉に、心臓が跳ねた。まるで映画の中に迷い込んだみたいに、現実感がふわりと遠のく。冷たい夜気に包まれているはずなのに、頬だけが火照って、熱い。街灯とイルミネーションの光が揺れる中、カナデが小さな箱を取り出して、リボンをほどく。その仕草さえ、まるでスローモーションのようだった。ジュエリーケースの蓋をそっと開けると、わたしが選んだピンクの石がひとつ、淡く光っている。


 わたしも胸をどきどきさせながら、自分の箱を手に取り、静かに蓋を開けた。夜にとけるような青い石が、深く静かに輝いていた。


「……ミナ。手、出して」


 カナデの声が、思ったよりも近くて優しい。真剣な瞳に射抜かれ、わたしはそっと右手を差し出す。左手は、もっと大人になった時のために取っておくから、今回は右手。カナデの指が、少しだけ震えながらも、わたしの薬指に指輪をはめた。ひんやりとした銀の輪が触れた瞬間、心の奥でふわりと何かが灯った。世界が、優しさと光で満ちていくようだった。これが、幸せというものなのかもしれない――そう思っただけで、胸がいっぱいになって、涙が零れそうになる。


「カナデも……」


 俯いたカナデが、少し照れたように右手を差し出す。その無防備な仕草に、胸がきゅっと締め付けられた。わたしは慎重に指輪を取り出し、その手をそっと包み込んで、細い指にゆっくりと輪を通していく。


 指輪がぴたりと馴染むと、まるでこの世界で、ようやく自分の居場所を見つけたような気がした。静かで、あたたかくて、どこにも行きたくなくて……このまま時間が止まればいいと、本気で思った。


「カナデ……」


 嬉しくてたまらなくて、思わず名前を呼ぶ。けれどカナデは、顔を上げない。ずっと俯いたまま、静かに唇を結んでいた。


「カナデ……?」


 胸に小さなざわめきが生まれる。わたしはそっと頬に手を伸ばし、その顔を覗き込んだ。月明かりとイルミネーションの狭間で、カナデの黒い瞳だけが、静かに揺れていた。


「ミナ……」


 震える唇が、わたしの名前をかすかに呼んだ。その声と同時に、カナデの片眼から、一筋の涙が落ちる。震える両手でわたしの右手を包み込んで、カナデは銀色の輪に唇を落とした。


「……ミナ……ごめんね……」


 その囁きは、どこか遠いところから届いたようで。現実の輪郭が、ふと滲んで見えた。背筋に、冷たい夜風がひとすじ、そっと忍び込む。まだカナデの両手はわたしの掌に重なっている。温もりは確かにそこにあるのに――カナデの涙が、それとは違う何かを告げている気がした。


 今、確かに幸せだったはずなのに。それなのに、どうしてだろう。この瞬間が、永遠には続かない気がして、怖くなった。


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