第三十話 トランペットの光(3)
舞台の明るい照明が、わたしを照らしている。眩しくて、きらきらしていて、まるで太陽みたいに身体が温かくなる。心臓がどきどきうるさくて、わたしは両手で楽器を握りしめた。カナデが貸してくれている、トランペット。この楽器も、もう一年以上借りちゃってるな。カナデのものなのに……すっかり、わたしの拙い音色に染まってしまった。
『大丈夫、ミナならできるよ』
薄暗い舞台袖で、カナデがこっそり額をぶつけて、わたしに囁いた。カナデと出会ってから、ずっとわたしを引っ張ってくれる、優しくて、大好きな声。その言葉を、何度も胸の中で思い出す。そのたびに、身体の奥がじんわりと温かくなって、満たされていく。
眩しさに目を細めていたら、開演を告げるベルの音と同時に指揮者の先生が足音を響かせてステージを歩いてきた。深海みたいに真っ暗な客席から、溢れんばかりの拍手が波のようにわたしを飲み込んだ。つい身を引いてしまいそうになって、ぐっと堪えるように唾を飲み込む。
カナデ……。わたしの隣にはほのかが座っていて、カナデの席は少しだけ遠い。カナデの顔が見たかった。いつもみたいに笑いかけて、わたしを安心させてほしかった。でも、今、それはできない。
指揮台に上がった先生が、端から端まで、団員の顔を一人ずつ眺め見る。小さく頷き、指揮棒が上がると同時に、空気が張り詰めた。わたしは震える手で楽器を持ち、深く息を吸い込む。
――音楽が、始まる。
定期演奏会最初の曲は、カナデが選んだアルヴァマー序曲。軽快で明るく、まるで冒険の始まりを告げるような音楽。わたしの胸の奥まで跳ねるようなリズムが届いて、自然と息が楽器に乗る。あの日、カナデがわたしに手を差し伸べてくれたことを思い出した。あれが、すべての始まりだった。
何も知らないまま踏み出した、わたしの一歩。それはカナデとの出会いであり、音楽との出会いであり、新しいわたし自身との出会いでもあった。最初は怖かった。でも、気が付けば夢中になっていた。トランペットにも……カナデにも。毎日がどきどきとわくわくの連続で、世界が一気に色付いた。
――曲がやがて、静かに揺らめくような表情へと変わる。
木管の優しい旋律が重なり合い、世界が一瞬だけやわらかく包まれる。その音はまるで、過去のわたしの心そのものだった。カナデのことが好きだと気付いて、すれ違って、不安で、何度も迷って……それでもあきらめきれなかった気持ち。泣きたい夜も、悩んだ日も、全部この音に乗っているような気がする。でも……そんな日々を超えて、わたしは今、ここにいる。
わたしの音はまだ未熟だけど、それでも届けたい想いがある。舞台の上にいるこの瞬間、音楽の中に確かにカナデの存在を感じる。隣にいなくても、一緒の音を奏でていなくても、わたしの音の中に、カナデがいる。
旋律が少しずつ、確信に満ちた強さを帯びていく。テンポは速まり、金管が力強く重なっていく。演奏は中盤を越え、クライマックスに向かって加速していく。
――そう、わたしはもう迷わない。
カナデと出会って、わたしの世界はこんなにも広く、美しくなった。誰かのために音を届けたいと思えたのも、カナデがいたから。カナデ、ありがとう。わたしはもう、逃げないよ。
クライマックス目前、音の洪水がわたしを包み込む。全身が熱を持ち、呼吸が速まる。眩しいライトの中、額には汗が滲んでいる。
そして――指揮棒が宙を切る。
わたしは全力で、最後の音に飛び込んだ。
肺が潰れるほどに息を吹き込み、トランペットの音をホールいっぱいに響かせる。カナデへの想い、仲間たちへの感謝、音楽への愛。すべてを込めて、わたしは音を放った。
ラストの音が空気に溶けていく。けれど、わたしの中にはまだ、燃え尽きない光が残っていた。
息が切れて、身体は汗ばんでいる。でも、心は穏やかで、満たされている。わたしは、最後まで音楽を生ききった。
そして、強く思う。
……カナデ。今のわたしは、あなたの隣にきちんと立てているって、信じてもいい?