第三十話 トランペットの光(1)
定期演奏会のリハーサルを終え、わたしは緊張した面持ちでロビーの椅子に座っていた。掌がじんわり汗ばみ、身体が小さく震える。ステージから見た千人収容のホールは圧巻で、照明の眩しさに目が眩みそうだった。
「……ミナったら、また緊張してるの? 本当本番に弱いなあ。いつも通りやれば平気だって」
声に顔を上げると、カナデがペットボトルを手にわたしを見ていた。冷たいミネラルウォーターを差し出され、ありがたく受け取ると、ひんやりとした感触が指に沁みた。
「カナデの衣装、かっこいい……」
思わず口に出してしまい、慌ててペットボトルを両手で抱えた。真っ白なシャツにスラックス――カナデはわたしの横にただ座っているだけなのに、心臓がばくばくする。本番前の緊張と、恋人の見た目の良さのせいで落ち着かない。
「そう? 別に普通だけど……そういうミナも似合ってるよ。でも、そんなに長いスカートで……転ばないようにね」
カナデはわたしが着ているブラウスとロングスカートを見て、「私には絶対着こなせないな」と軽く笑った。美人なんだし、絶対そんなことないと思うけど。スカートの中に隠れた脚に力を入れ、身体をぎゅっと縮こませる。そうでもしないと、喉元から色々な感情が溢れてきてしまいそうだった。
「えーと……私とミナは、この後、ロビーで受付の手伝いをすればいいんだよね?」
「うん。あと、十分くらいで開場だから……。ああ……どうしよう……」
身体を屈ませて、カナデがくれたペットボトルを両手で握りしめる。水滴で掌は湿り、ふやけている。唇の隙間からは、声にならない声が溜息と共にどんどん落ちていった。
「本当、ミナは緊張し過ぎ」
「だ、だって……!」
言葉を繋ぎかけた瞬間、カナデの手が背中に回り、「しょうがないな」と呟いて優しく抱きしめられる。
「か、カナデ⁉」
こんな公衆の面前で! と思ったと同時に、その掌は流れるように身体を撫で、わたしの両脇腹を擽った。驚いて、身体が跳ねる。そして、悲鳴ともとれない変な声が口から漏れた。
「やっ……やだ、あはは……ちょっと、ふふ……やめてよ……!」
涙目で懇願すると、カナデはぱっと手を離し、「気が紛れた?」と悪戯っぽく笑う。そんなわたしたちを知らない間に柚希が眺めていて、「ほんっと仲良いな……若くて羨ましいわ」と声を上げて笑っていた。