第二十八話 繋いだ手の未来(2)
今日も腹五分目で夕食を終え、二人で部屋に戻った。わたしは荷物の整理をしつつ、そわそわとしながらカナデの姿を盗み見る。カナデは何てこと無さそうに、スーツケースの中身を漁っていた。
お風呂に入らなきゃ……でも、どうしよう。カナデって、大浴場行くのかな。ていうか、誘って大丈夫なのかな……。わたしもまだ見たことがない、制服の下にある細い身体。……そんなの、絶対、無理だって。
「……うわあ……!」
頭を抱え、つい小さなうめき声が漏れる。本当に無理。見れない。ただのお風呂だって分かってるけど、そんな勇気はわたしにはない。わたしは別に、女の子の身体が好きとか、そういうわけではないと思う。今までだって、何も感じたことはない。大浴場だって普通に行ける。……でも、好きな人と一緒となれば話は別だ。耐えられるわけがない。
「ミナ……何一人で悶えてんの……」
荷物を片付け終えたらしいカナデが、心配そうな顔でわたしを見ていた。その顔に心臓が撃ち抜かれ、身体がぎゅんっと熱を持つ。わたしは、なんてふしだらなことを考えていたのだろう。自分が自分で恥ずかしく、もういっそ今殺してほしかった。
「わたしは……部屋風呂に入ります……」
俯いて呟くと、カナデは「そうなの? 私もそうする予定」と軽く言う。
「えっ、大浴場行かないの?」
「ミナこそ、大浴場行ってくればいいのに。私は……同級生に裸体を見られるのが、なんかヤダ」
照れたように笑ったカナデに、心の中で謝罪をする。そんなカナデの身体を一瞬たりとも想像してしまったわたしを、もう……どうとでもしてほしい。でも、カナデが大浴場に行かないと聞いて、どこかで安心する自分がいた。その身体を、誰にも見せてほしくないな。そんな独占欲丸出しな思考に、自分で呆れ果ててしまう。
カナデに先にお風呂に入ってもらい、シャワーの音を聴きながら、ベッドに座り込む。わたしは、本当に……なんか、色々と大丈夫だろうか。大好きなカナデと付き合えて、浮かれ果てて、このまま死ぬんじゃないだろうか。気を抜くと、つい頬が力を無くして緩んでいく。きっと今わたしが外に出たら、不注意過ぎて一瞬で事故に遭うだろう。両手をぎゅっと握りしめて、かぶりを振った。でも……嬉しすぎて、やっぱり頬はだらしなく重力に引っ張られる。わたしは、完全に浮かれていた。でも、付き合えた今日くらい……浮かれたって、きっとばちは当たらないだろう。
カナデがお風呂から上がった後、その残り香にどきどきしながらシャワーを浴びた。息を漏らすたびに、色々な感情が身体の中から込み上げてくる。わたしは、カナデの、彼女になった。今でも本当に信じられない。明日目が覚めたら全部夢だったとか、そんなオチではないだろうか。でも……確かに触れた、その体温。わたしを真っ直ぐに見つめていた、どこまでも力強い瞳。そういった一つ一つの仕草や出来事が、何度も鮮明に思い出される。その度に、身体はじんじんと締め付けられた。わたしは、もう今日死んだって構わない。
お風呂から上がって髪を乾かし、自分の部屋着で身体を包む。本当はこのままカナデと一緒に寝たいところだったけど、わたしにはもう一つ、やらなければいけないことがあった。支度を整えて、ベッドに座っていたカナデの手を取る。
「じゃあカナデ……行こうか」
手を繋いだまま部屋を出て、静かな廊下を歩いて六階を目指す。昨日も来た部屋の前に、今度はカナデと二人で立っていた。インターホンを鳴らすと、こちらに駆けてくる足音と同時に扉が開く。
「美奈ちゃん……!」
扉を開けた日菜子が、わたしを見るなり勢いよく飛びついてきた。もこもこの部屋着がくすぐったくて、思わず笑ってしまう。わたしは日菜子の名前を呼んで、ありがとうとお礼を言った。
「おーおー、美奈氏と松波奏。聞いたよー。おめでとさん。昨日はどうなるかと思ったけど……美奈氏から連絡もらって、安心したわ」
日菜子の後ろから若葉がひょっこりと顔を覗かせ、輝くような笑顔を見せつける。二人は部屋に入るよう促し、カナデと一緒にその背中を追う。部屋の中では今日もソファーに座った冬子が、散らばったお菓子を前にスマートフォンを弄っていた。わたしたちを見るなり小さく会釈して、「私、ここにいても大丈夫?」と気まずそうな顔をする。
「桜木さん……昨日から迷惑ばっかりかけちゃって、本当ごめんね。わたしたちのことは……気にしないで」
「や……春日さんが大丈夫なら別にいいんだけど。若葉と日菜子から聞いたよ。付き合えたんだってね、おめでとう。それにしても、松波さんが、彼女……」
冬子はソファーの上で脚を抱えながら、カナデを眺め見た。
「松波さんって、人とつるむイメージなかったから、意外かも。若葉が結構面白い人だって言ってたから、去年同じクラスだったし、もっとちゃんと話してみればよかったな」
冬子はちょっとだけ寂しそうな顔をして、カナデに笑いかける。カナデは「面白い人? そうかな」と不服そうな顔をしていた。
「まー松波奏は、不良とか言われてるから……うちらも美奈氏が松波奏と仲良いって知るまでは、なんか取っつきにくいタイプかなーって正直思ってたし。実際そうだったのかもしれないけど……美奈氏の影響じゃん?」
楽しそうに笑って、若葉がカナデに視線を流す。カナデの横顔を眺めると、考え込むような仕草をして静かに頷いた。
「……そうかも、若葉の言う通りだ。ミナと会うまでは、全然、誰とも話さなかったから。最初から、友達とか別にいらないやって思ってたし」
カナデの瞳が、優しくわたしを見つめてくれる。それだけで、どんどん身体が満たされていく。様子を見ていた日菜子が口元を隠し、声にならない悲鳴を上げていた。
「それが今では彼女まで作って……おいおい松波奏! やるなあ!」
にやにやと笑いながら若葉がカナデの身体を突くと、何すんのと言ってカナデが突き返している。こうやって誰かとじゃれているカナデを見るのは珍しくて、なんだか可愛い。カナデは、若葉と日菜子にはだいぶ心を許しているみたいだった。でも、あの三人には……彩芽はともかく……他二人は難しいかな。凪と澪音は、カナデの地雷を踏み抜く天才だから。
「おっと! あんまりやると、美奈氏に妬かれるからな。これくらいにしておこう」
両手を上げて、おどけたように若葉が笑う。カナデも「そうだね」と調子に乗って、悪戯っぽくわたしを見ていた。
「……もう! 二人して、からかわないでよ!」
修学旅行最終日の夜、わたしは笑い声に包まれながら、誰よりも幸せだった。