第二十七話 恋を教えて(3)
携帯も、何もかも、部屋に置いてきてしまっていた。持っているのは、さっきカナデがわたしに託したルームキーだけ。今が何時なのかも分からないし、これからわたしはどうしたらいいのか。うずくまったまま、一人ぼっちで考えていた。きっと先生に見つかったら、事情を聞かれるより先に、無理やり部屋に戻されてしまう。それだけは、今のわたしには耐えられなかった。
ふと、若葉と日菜子が頭に浮かぶ。わたしには、もうあの二人しか頼れる人がいない。二人の部屋は……夕食前に見た、若葉のメッセージを思い出す。ムサシ。634号室だ。
階段を下りて六階に向かい、部屋の前に立つ。カナデは今、何をしているんだろう。もしかしたら、わたしを探してくれているのかもしれない。でも……わたしはもう、どんな顔をしてカナデに会えば良いのか、分からなかった。
インターホンを鳴らしてしばらくすると、部屋着を着た若葉が扉を開けた。わたしの顔を見るなり目を真ん丸に見開いて、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「……美奈氏、どうした……?」
唖然とした表情の若葉から、わたしはそんなにもひどい顔をしているのかと初めて気付く。後ろからは可愛い部屋着に身を包んだ日菜子が顔を覗かせて、同じく目を見開いた。
「美奈ちゃん……大丈夫? とりあえず、入って……!」
部屋に入ると、テーブルの上には大量のお菓子が散乱していて、ソファーでは冬子がスマートフォンを弄っていた。わたしを見るなり、気まずそうな顔をして会釈する。
「美奈ちゃん……」
今にも泣きそうな顔をした日菜子が、わたしにそっと手を伸ばす。もこもこの部屋着が、わたしの身体を包み込んだ。
「無理して何があったか言わなくていいよ。好きなだけここにいて。私たちは……美奈ちゃんの、味方だからね」
何も聞かずに、日菜子はただわたしを抱きしめていた。背中を撫でる優しい手が、凍った心を溶かしていく。日菜子の腕の中で、わたしは静かに涙を流した。
「美奈氏……とりあえず、松波奏には、美奈氏保護してるって連絡しておいてもいい?」
心配そうな顔をしている若葉が、自分のスマートフォンを掲げた。もしかしたら、カナデが二人に連絡を入れているのかもしれない。わたしは頷いて、黙り込む。そんなわたしを、二人は優しく受け入れてくれた。まだあんまり仲良くない冬子も、瞳を伏せて静かにソファーに座っていた。
「部屋着、たくさん持ってきたから、良ければ使って。お風呂も、この部屋の使って大丈夫だからね。これ、洗顔とか、渡しておくね」
そう言って日菜子はわたしに部屋着を託し、お風呂の準備を整えてくれた。一つ一つの優しさが胸に沁みて、何度も涙が出そうになった。
わたしもこんな風に、優しくしてあげられたら良かったのに。どうして……あんなことを言っちゃったんだろう。カナデが傷付くって分かっていたのに、傷付けることを止められなかった。
結局、カナデを守りたいとか、傷付けたくないとか、修学旅行を楽しんでほしいとか。そんな言葉は、全部わたしの偽善だった。わたしは、自分のことしか考えていなかった。ただの我儘で、自分を守ることさえできない、弱虫だった。
大好きなカナデに、あんな顔をさせたかったわけじゃないのに。ほんとうは、わたし――カナデのことが、本当に好きだったのに。
お風呂から上がると、日菜子が「一緒に寝よう」と言ってわたしの腕を取った。若葉は何も聞かず、いいじゃんと笑ってお菓子を食べ続けている。冬子も控えめに笑って、ただ若葉を咎めるだけだった。
暗い部屋の中、日菜子の横で瞼を下ろす。そして、カナデのことを考えた。今ごろ、どんな思いで、一人きりの夜を過ごしているのだろう。
――もし、わたしが何も言わなければ。今もきっと、二人で笑い合えていた。
ごめんね。後悔のたびに、涙がこぼれ落ちていく。小さく嗚咽を漏らすわたしの髪を、日菜子が優しく撫でてくれた。