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第二十六話 修学旅行と恋の魔法(4)

***


 “修学旅行マジック”という言葉があるらしい。クラスの誰かが教室で大声で話していて、わたしはそのとき初めて耳にした。曰く、「修学旅行ってテンションが上がるから、つい勢いで告白しちゃう人がいる」そうだ。「マジかよ」「ありそう〜」と笑い合う声が飛び交っていたけれど、遠くでこっそり聞いていたわたしの背筋には、ひやりとしたものが走っていた。だって、わたしは多分……そういう空気に呑まれやすい人間だ。これまでだって、何度も、何度も――カナデに「好きだ」って言いかけてきた。


 カナデは大切な友達だし、わたしにはこの修学旅行をカナデに楽しんでもらうという使命がある。一時の感情に流されて、カナデにわたしの気持ちを知られるわけにはいかない。――修学旅行マジックなんて、絶対に起こさない。そう決心して、修学旅行の日の朝、わたしはスーツケースを引いて家を出た。


 カナデと同じ電車に乗り合わせて、空港へ向かう。いつも通り眠そうなカナデは、電車の揺れに身を任せてうとうとしていた。ふと気付くと、カナデの肩がわたしにもたれかかってきて――ああ、だめだって分かっているのに。息を呑んだ瞬間、心臓がまた大きく跳ねる。


 このまま、どこか誰も知らない場所へ、二人きりで逃げ出せたら。なんて……そんなこと、できるわけないのに。寄りかかる体温が愛しくて、わたしはそっと、握った手に力を込めた。


 空港の集合場所に集まり、そわそわしながら保安検査場を通り抜ける。非日常感に、わたしは早速浮かれていた。見るものすべてが真新しくて新鮮で、お上りさんのように辺りをきょろきょろと見まわしてしまう。隣のカナデは平然と立っていて、時折「はしゃぎすぎじゃない?」と言って苦笑した。


 クラスで浮いている二人組のわたしたちは、飛行機の三列シートに、新町先生と一緒に並んで座る。離陸前、わたしはどきどきしながら窓からの景色を眺めていた。


「飛行機って、滅多に乗らないから緊張する……ねえ、カナデ、落ちないよね?」


 エンジンが唸りを上げて、わたしたちを空へ持ち上げようとしている。つい怯えてカナデを見ると、「何、怖いの?」と言ってわたしの手にそっと触れた。


「うわっ、手、冷た……」


 からかうような口調で笑いながら、カナデはわたしの手を握った。ただそれだけのことなのに、冷たくなった指先に、じんわりと熱が満ちていく。何でもない顔をしているくせに、カナデはずっとそのまま手を離さない。


 エンジンの音が響いて、飛行機が滑走路を走り出す。ぐんと身体が押し付けられて、ふわりと空へ浮かんでいく。


 ――このまま、どこまでも飛んでいけたらいいのに。


 本気でそう、思ってしまった。新町先生は隣であくびをしていて、誰もこの手のことなんて気にしていない。でも、わたしの心臓だけが、どうしようもなく騒いでいた。


***


「ちっ……なんでこのメンバーで、写真なんて撮らなきゃいけないわけ? マジ無理なんですけど」


「ミナ、私も嫌なんだけど」


「カナデ! そんなこと言わないでちゃんと写って。班行動の証明用なんだから」


「松風さん、美奈ちゃんが困ってるよ? 美奈ちゃん、もうこんな人やめときなよ。私の方が、よっぽど楽しませてあげられるのに」


「凪ちゃん! 春日さんの肩に手を回さない! もう……撮るよ? はい、チーズ」


 協調性のかけらもないわたしたち五人組は、彩芽の掛け声と共に集合写真を撮影した。例年班行動をしない生徒が何人かいるようで、旅行中は班で行くスポットごとに集合写真を撮る必要がある。彩芽に共有してもらった写真は、それぞれが不貞腐れていたり苦笑していたり笑っていたり。わたしたちらしい、まとまりのない一枚だった。でもまあ……これもいい思い出なのかな。


 最近はもう澪音の悪口にも凪の口説き文句にも慣れてしまって、もうこれでいいかと思い始めてしまっていた。きっと彩芽も、とうの昔にこの境地にたどり着いているのだろう。


「集合写真さえ撮れば、あとは時間まで自由でいいのよね? あたしは一人で回るから」


 ポニーテールを揺らして、澪音はそっけなく歩き出す。その背中に、彩芽が慌てて声をかけるけれど、振り返りもしない。


「全く……澪音ちゃんったら……しょうがないから四人で行こうか」


 早速溜息を漏らす彩芽に同情しつつ、頷く。すると、凪がふいにわたしの背中にそっと手を回し、耳元で囁いた。


「……美奈ちゃん、私たちもさ、二人で回らない? 子供の松風さんなんて、放っておきなよ」


 その声音は甘やかで、でもどこか意図的に刺してくるものがあった。悪戯っぽく笑う凪に、彩芽が目を見開く。


「もう! 凪ちゃん、いい加減にしなさい!」


彩芽が怒鳴ると同時に、凪の手をぐっと引っ張る。だけど凪は動じずに、ただ笑っていた。その笑顔の奥に、少しだけ本気が混じっているように感じてしまって……胸の奥がざわつく。わたしが凪の手を振りほどこうとした、その瞬間――カナデは無言で、くるりと背を向けて歩き出していた。


「ちょ、ちょっと、カナデ……!」


 肩を抱く凪の力が強くなる。呼び止める声にも振り返らず、遠ざかる背中。その姿に、凪の腕を振りほどくより先に、足が勝手に動いていた。


「ごめん、浜野さん! わたし、カナデと一緒にいたいの。村田さん……ごめんね、わたし、カナデを追ってくる」


 駆け出しながらそう言って、彩芽にも頭を下げる。本当は、引っ張ってほしかった。わたしの手を。名前を。なのに、なんで離れていっちゃうの。だったら、わたしから追いかけるしかないじゃない。どんどん遠くなるカナデの背中を、わたしは走って追いかけた。

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