第二十三話 名前を並べて(2)
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春休みは、気づけばあっという間に過ぎていた。毎日のようにカナデと楽器を練習して、笑って、音を合わせて……そんな時間が、当たり前みたいに流れていった。だけど、今――二年生が始まるこの朝は、少しだけ怖い。いつも通り駅の改札でカナデと落ち合って、一緒にバスに乗り込む。そして、心の中で何度も祈る。
どうか、カナデと同じクラスになれますように。もしなれなかったとしても……若葉か日菜子がいてくれますように。不安ばかりが増えていって、胸の奥がじわじわと重くなっていく。
「ミナ、また顔死んでるよ? ……緊張してるの?」
二人掛けの席に並びながら、隣から声がする。カナデは茶化すように言いながらも、その頬はいつもより少しだけ強張っていて、無理に笑みを作っているのが分かった。指先でカナデの頬を突いてみると、ふっと笑われて強張っていた表情が和らいだ。つられるように、わたしもちょっとだけ笑ってしまう。
「……わたし、すっごく人見知りで。クラス替えとか……苦手」
「そうだろうね、そんな感じするよ。ミナ、去年どうやって轟……じゃない、日菜子と若葉と仲良くなったの?」
問いかけられて、わたしは視線をふわりと宙へ投げた。一年前のあの春――あの頃の自分を思い出す。性格のせいもあって、わたしは吐きそうなくらいに緊張していた。受け取った名簿でクラスを確認して、自分の座席に着いたとき……そうだ、四方を男子に囲われてたんだ。当然、男子と話せるわけもないから初日は誰とも話せないまま、椅子にくっついていただけだった。それからしばらく、朝は誰よりも遅く登校して、休み時間になった途端に教室から出て行って、一人になれる場所を探していた。だって、教室に一人ぼっちだと、なんだか惨めな気がしたから。
「……最初の頃は、全然馴染めなくて……ずっとクラスから逃げてたなあ……。でもね、ある日、若葉ちゃんと日菜子ちゃんが突然やって来て……無理やりグループに入れられたの」
思い出しながら、つい苦笑する。あのときの若葉は、今とまったく同じ。突拍子もなくて、でも真っ直ぐで。そして、日菜子の眼差しは、あのときからずっと――わたしを、ちゃんと見てくれていた。
『ねえ、春日さん! ……よかったらさ、うちらと一緒にお昼食べない?』
声をかけられたときのことを、今でもはっきりと覚えている。どうして、あのとき二人がわたしに声をかけてくれたのか、その理由は分からない。哀れに見えたのか、なんとなく気まぐれだったのか、――でも、どんな理由であれ、わたしはあの瞬間……確かに救われたんだと思う。
「……こんなに仲良くなれるなんて、思わなかったな。全部……カナデのおかげ」
気付けば、ぽつりと呟いていた。その言葉に、カナデが少しだけ目を見開き、それから小さく微笑んだ。
「いや、私は別に何もしてないから。ミナがあの二人に心を開いたからだよ。……でも、そっか。確かにミナ、最初はよそよそしかったもんね」
軽く息を吐いたカナデを、横目で見る。一年前、ひとりぼっちだったわたしの隣に、今こうしてカナデがいる。……ただそれだけのことが、奇跡のように思えた。あの頃のわたしがこの景色を見たら、どんな顔をするだろう。バスに、真新しい制服を着た後輩たちが乗り込んでくる。春の光を受けたその姿が、眩しくて懐かしい。
「……クラス替えもさ、きっと大丈夫だよ。もし離れたとしても、今まで通り一緒にいよう」
そう言って、カナデの指がわたしの手にそっと重なる。冷えた掌が、わたしの手をしっかりと包み込んでくる。その手は、誰にも見えないように、わたしたちのスカートの中に隠れていた。
――でも、確かに繋がっている。このぬくもりは、きっとただの慰めじゃない。たとえクラスが離れても、環境が変わっても……わたしたちの“隣”は変わらない。そう信じられる何かが、今、この掌の中にあった。春の賑やかな喧騒に包まれたバスの中、見えない場所で触れ合ったぬくもりを、わたしは胸の奥で確かめる。それだけで、ちょっとだけ勇気を貰える気がした。