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第二十二話 教える手、教わる手(5)

「……ミナが私のことを好きでいてくれて、嬉しいよ。私、そんなに良いかなあ」


 ページをめくる手を止めて、カナデがふとわたしを見つめる。その黒い瞳に、胸がぎゅっと掴まれたようだった。本当は――「そんなの当たり前。わたしはカナデが世界で一番、大好きだよ」と言って、抱きしめたかった。でも、わたしにできたのは――友達としての笑顔を浮かべることだけだった。


「……もちろん。カナデと一緒にいると楽しいし、落ち着くし……カナデのこと、すごく尊敬してる」


「私、そんなにできた人間じゃないけど。でも、そっか。ありがとね。私もミナのこと、同じように思ってるよ。ミナといるとさ、なんか安心するんだよね」


 カナデは照れたように息を吐き出して、アルバムのページをめくる。そこには、相変わらず能天気な顔をして笑っている昔のわたしがいた。「かわいい」とカナデは呟いたけど、そんなの社交辞令に決まっている。


「……わたし、そんなこと……ないから」


 部屋の中に、わたしの声がこぼれ落ちた。しまったと思い顔を上げると、カナデと視線がぶつかった。真っ直ぐな目が、何も言わずにわたしを見ている。気まずくなって、慌てて目を逸らしてしまった。わたしは……なんで、こんな言い方をしちゃうんだろう。自分が嫌になって、枕を抱えてベッドに座り込む。


「ミナってさ、たまに……そういうこと言うよね」


 カナデの声がして、顔を上げるとその距離が近づいていた。ゆっくりと、わたしの逃げ場を塞ぐようにベッドに上がってきて――気付けば、わたしは壁際に追い詰められていた。真剣な瞳が目の前にあって、目が合わせられない。


「か……カナデ……なに……」


 視線を交わすのが怖くて、あちこちに目を泳がせる。なのにカナデの目だけが、真っ直ぐにわたしを捉え続けていた。落ち着かない心臓が鳴り響き、わたしは言葉が見つけられなかった。


「……ふっ。いや……ミナはさ、色々頑張ってて、すごいと思ってるよ」


 穏やかな笑みを浮かべたカナデがそっと手を伸ばし、わたしの腰に触れた。


「えっ? か、カナデ……?」


 そのまま優しく身体が押し倒され、わたしの身体はマットレスに沈んでいく。えっ? 天井を見上げたまま、どきどきと跳ねる鼓動の音だけが、自分の耳に響いていた。カナデはその隣で、静かに瞼を閉じる。カナデ……もしかして、ただ眠いだけ? 心臓を暴れさせながら、わたしはただ息を止めていた。やがて、カナデの片手がわたしの頭を優しく撫で始めた。


「……さっき、ミナのお母さんから色々聞いたけど。ミナと最初に会った時、なんか淡白そうに見えた理由……なんとなく、分かった気がしたよ」


 髪を撫でる手の感触が、柔らかく、心をほどいていく。わたしは目を見開いたまま、静かに固まっていた。


「でも、ミナって……意外と思い切りがよくて……いつも私を引っ張ってくれる。感謝してるし、すごく尊敬してるんだ……」


 ――嘘。そんなふうに、思ってくれてたの? わたしなんかがカナデを引っ張ってるだなんて、信じられない。だってわたしはカナデのペットとか、妹とか言われてるのに。それに、わたしにとってのカナデは――手の届かない、光みたいな人なのに。


「だからさ……私の好きなミナのこと……そんな風に思わないでよ」


 うつらうつらとした声が、素直な言葉を紡いでいく。掌は頭を優しく撫で続け、もう片方の手は静かに身体を包んでくれていた。


「それに、ミナは優しいし……可愛いし……料理もできるし……私のこと、すごく好きでいてくれて……尊敬できるとこしかないでしょ……」


 ぽつぽつと落ちてくる言葉に、胸の奥がじんと熱くなる。言葉が出てこなくて、ただじっと、目を閉じたカナデを見つめていた。


「カナデ……! わかった、わかったから……! もういい……」


「本当に……わかってんの……?」


 うっすら開いた唇が、最後にそう呟いて――ふいに、カナデの手が滑り落ちた。頭に置かれていた手の温もりが消えて、代わりに穏やかな寝息が響く。


「えっ……。うそ、寝ちゃったの?」


 壁際に追い込まれた体勢のまま、わたしはカナデに顔を近付けてみる。そっと覗き込むと、カナデの目はしっかりと閉じられていた。長いまつ毛、整った眉。……なんでこんなに、無防備な顔して寝てるんだろう。思わず頬を突いてみるけれど、まったく反応がない。滑らかな肌が柔らかく、カナデは完全に眠っていた。


「もう……カナデったら……」


 穏やかな寝顔に苦笑し、わたしは起き上がって部屋の電気を落とす。再び布団に戻って、そっと隣に身体を滑り込ませた。


「……カナデ、ありがとね……」


 小さく呟いて、わたしはカナデの背中に腕を回した。何よりも愛おしい体温と寝息に包まれて、目を閉じる。


 翌朝、わたしはカナデの腕の中で目を覚ます。それは、世界一幸せな起床だった。見慣れた光景のはずなのに、カーテンの隙間から差し込む朝日は、いつもよりずっと眩しく感じられた。まだ眠っているカナデの髪を指先ですくい、そっと撫でる。この世の何よりも、愛おしかった。しばらくして寝ぼけ眼のカナデが「ミナ」とわたしの名前を呼び、「おはよう」と微笑んだとき、本気でこの時間が永遠に続いてほしいと願ってしまった。


 カナデは午後の楽団の練習に備えて、午前中には帰っていった。「また後で会えるよ」なんて笑っていたけれど、カナデの気配が消えただけで、同じはずの部屋が、まるで死んでしまったみたいだった。部屋の中で一人――朝までカナデが着ていた、わたしの部屋着を抱きしめる。消えかけたカナデの気配を必死に抱きしめながら、わたしは静かに膝を抱えていた。


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