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理論は証明されなければ仮説である

研究者たちが、色々な理論を提唱するが、それでは証明にはならない。


いい例が、ガロア理論である。トレース性という意味では正しいとわかっていても、それが真実かは他者にはわからなっかた。そのため、後世の学者たちが、真実だと証明することで、理論が認められたわけである。


いってみれば、ガロアは発見者であり、証明者ではないのである。


コラッツ演算についても、色々な理論を並べても、それは仮説にしかすぎない。数式と理論がリンクすることを実験的ではなく、論理的に説明できなければならない。


自然界の多くの現象が数式で表されている。しかし、それは結果的産物であって、理由にはなっていない。

今の物理学は、結果があっていれば正しいとして応用する。ただし、真の学者は、理由がわからなければ、あくまで仮定としてしか扱わない。


多くの研究者たちが証明したといってきたものは、実験的に求められた理論という仮説の上に立っているものである。その限りにおいては、数学者たちは証明されたとは言わない。それを検証するのは彼らの役目ではない。提唱者本人である。


理論は定理では無い。理論を証明するか、理論を使わないか。いづれにしても、実験的仮説を使う限り、証明とは呼ばれないのである。

数学ではトレース性はさほど重要視されない。

その例が、自然数和が-1/12に収束することである。

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