終わりの灯火
ライトグリーンのカーテンを閉める。気がつけばもう夜になっていた。
美月は予想よりも長くまだ眠ったままの兄、弓弦の顔を覗き込むと満足そうに微笑み、今座っていた丸椅子に座った。
スマホを開く。SNSは今日も、政治やアニメ、ドラマ、芸能など様々な話題が行き交っている。その中に白無垢の女の話題はなくなっていた。
もちろん検索をかければ出てくるだろうが、パッと目に付くところにはもうワードは挙げられていない。他の全ての事象と同様に次から次へと湯水のように溢れ出てくる話題に呑まれて消えていったのだろう。
(それでいい……これが一番いいんだ)
白無垢の女が消えてからおよそ2日が経った。美月が乃愛とともに病院へ運ばれて治療を受けたあと、警察からの事情聴取を受けて丸一日泥のように眠った。
警察には真実を伝えたが、どう受け止められたのかはわからない。美月が白無垢の女の話題を出すと、「ああ、例の……」と知っている素振りを見せていたが、信じているかどうかはわからない。それに、とにかくもう怪異は終わったのだ。事件は永遠に闇の中だ。
「兄さん」
美月は布団から出ている弓弦の手を握った。前のときのように過去の映像を見せられることはなかった。
兄は動かない。栄養は点滴から取れてはいるが、体は少し痩せてしまっている。
看護師にはすぐに目覚めると言われていたが、起きる気配はない。体が疲れ切ってしまっているのか、心が目覚めを拒否しているのか。どちらにしても美月は、もう一度呼びかける。
「兄さん、もう終わったよ」
終わったのだ。本当に。どれくらいの犠牲者が出たのかわからなかったが、白無垢の呪いはなくなり、やがて世間からは忘れられていく。そして、誰も思い出せなくなり、呪いも古塚家の闇もひっそりと過去のものへと変わっていく。
美月は一度ぎゅっと弓弦の手を強く握ると、手を離した。
「……乃愛は、まだわからないんだ。処置は終わったけど、助かるかどうかわからない……」
傷が深すぎた。そして、処置が遅すぎた。血が、流れすぎた。
あのとき、二俣が襲って来なければと思う。二俣の正体を見抜けていれば乃愛はこんな目に遭わずにすんだのかもしれない。
美月は額に拳を当てると何度か軽く額を叩き、大きなため息を吐き出した。
ほぼ無意識にスマホの画面を開いて、自分の名前を検索する。十数件の投稿が並び、自分と思われる名前が句の中に入っているのを見つける。
二俣が白無垢の恋唄を試したにも関わらず、美月が好意を抱かなかったのは同じような時間帯に複数の投稿があったからなのかもしれない。
(そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない)
原因ははっきりしない。でも、もう真相がわかることはない。今となってはもうどうでもいいことだった。──だが、心残りのこともある。
美月のほっそりとした指が素早く画面をタッチし、SNSを閉じてメッセージアプリを開いた。
母からのメッセージは結局何も来ていなかった。やり取りが何もない空白の画面だけが表示されている。
(でも……)
今度は弓弦とのメッセージを開く。最後に送られたメッセージは、白無垢の女が現れたことを告げる〈美月、白無垢の女が 助けて〉という言葉のみ。
指で画面を拭いて顔にスマホを近付けると、画面を凝視する。極小のピクセルで作られた機械的な画面に無機質な文字の羅列には、何の違和感も感じられない。
(でも、これは本当に兄さんが送ったものなんだろうか)
本当に切羽詰まった状態で電話ではなくメッセージを送るのだろうか。そして、弓弦は助けを求められるような精神状態だったのか。という二つの疑問が美月の頭をもたげていた。
(兄さんもあの過去を見たはずだ。咎人の儀式はそういうもののはず。何度も何度も白無垢の女の過去を見せられて、体験し、心が闇に染まっていく)
助けを呼ぶことすらできないはず。いや、そういう発想は浮かぶことすらなくなる。逃げようと思う心があれば、それはまだ心が残っている証拠。
だとしたらやっぱり──。
(このメッセージは、母さんが……?)
美月は警察から、地下のあの部屋から二人の焼死体が見つかったと聞かされていた。全身黒焦げで男女の区別もつかないような状態だったと言うが、母であることは間違いない。
『……今までもこれからも、ごめんね、美月……そしてありがとう』
それだけを言い残して母は死んだ。二俣から美月を守り、微笑んで。
美月は画面を消してスマホをベッドの上に置いた。
「……兄さん、それと、母さんが……亡くなったよ。私を助けてくれて、あの祠の中で……自ら火を付けて」




