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永久に先君をば待たん暗闇に花の塵ゆく定めとしても

 焦げた臭いに腐臭、それに加えて蟲達の臭いが混ざり合い、美月は堪えきることができずに胃の内容物を全部吐き出してしまった。


 白無垢の女は、なぜかその様子を見ているかのように微動だにしなかった。手の甲で口を拭うと石段に手をついて美月はよろよろと立ち上がった。


 時が静止したように白無垢の女は動きを止めているが、蟲は変わらずに蠢いている。まるでいつでも常闇の底に引きずり込めると主張しているかのように。


 迷っているのだろうか。乃愛を襲う前もそうだった。廃寺でもやはり襲う直前で突如動きを止めた。人形を持っているからなのか、それとも狙う順番を図っているのか。


 意思が宿っているとは到底思えない。あの人の面影はもうどこにもなく。ただ、呪いの儀式のままに動く化物に成り果てている──そうとしか思えなかった。


 なのに迷う。惑う。目の前の白無垢姿を見ていると、美月にはどうしても躊躇っているように見えてしまう。


 美月は手元の人形に視線を落とした。白無垢と想い人の紋付袴の人形だ。年月は経ち顔も判別できないほどに色褪せてはいるが、二人の死後婚のために作られた人形。二人が、おそらくは命を落とすその間際まで互いに想い合っていたことが具象化された人形。


 認識しているのだろうか。いや、認識とまではっきりとしたものでなくてもいい、ほんの微かにでも反応するものがあれば。


「永久に先君をば待たん暗闇に花の塵ゆく定めとしても」


 美月は無意識に唄を口ずさんだ。いつからか白無垢の恋唄と名付けられた短歌は、祝福と呪い、相反する想いを込めた唄。


(だけど、本当にそうなのだろうか)


 SNSでは、死ぬとわかっていてもまじないを実行する人達がいた。それはきっと死ぬことによって永久の愛が叶うからだ。祝福はのろいに変わり、またのろいは祝福に転じる。


 ──けれど、白無垢の女の想いは叶わない。叶わないこそ呪う。どこまで堕ちても呪い続ける。それこそ、永久に。


 人形を掲げた。二体の人形が寄り添うようにピッタリと重ねて。


(あの人の願いはとっくの昔に叶えられていた。知らなかっただけで、私達のせいで知らされなかっただけで)


 蟲達の動きがピタリと止まる。しかし、束の間の間だけですぐにまた動き始めた。蟲の蠕動に合わせて白無垢の女もまた動き始める。


 左右に体を揺らし、指先からは血を垂らしてにじり寄ってくる。美月にはその動きが求めているようにしか見えなかった。美月の持っている人形を、そして想い人の姿を。


 美月は限界の体を押して走り出した。襲い掛かってくる白無垢の女の腕を、纏わりつく蟲を追い払い、牢の中へと駆け込んだ。


 牢の一番奥、過去の記憶の中で白無垢の女が暗闇に消えていった辺りに人形を並べておく。後ろを振り返る間もなく蟲達が美月の体中を包み込み、首筋に激痛が走った。


 意識が遠のいていく。暗闇に引きずり込まれていく。全身へと群がる蟲が顔を包み込み、やがて瞳を黒く塗りつぶした。


 過去の記憶が流れ込む。突如、村から攫われ、牢に閉じ込められて来る日も来る日も男どもに襲われる地獄のような毎日──場面は変わり、出産を迎えたときには生まれた我が子の首を締め手に掛けようとした。


 憎しみが募り、怒りが蓄積し、呪いが溜め込まれていく──。


 美月は、指を噛み切った。痺れる痛みだけが地獄の底にいることを忘れさせてくれた。体の中から溢れ出てくる恍惚に身を委ねて、指を壁に擦り付けて文字を刻む。


 暗闇に囚われた心は、白無垢の女と同化していた。美月は白無垢の女として想い人に心を馳せ、そしてまた運命に呪いを施す。


 美月は、自分を汚した男どもを、無理矢理産まされた子ども達を、そして運命に巻き込まれた自分自身を呪い続ける。──何よりも誰よりも呪いたいのは、汚れたこの体、この心だ。


 血が垂れ落ち、木板が吸った。一心不乱に文字を書き綴っていた美月は荒い息を吐きながら格子の前に座り込む。


 目を瞑る。色褪せることのない想い人の顔が瞼の裏に蘇り、美月は呻き声を上げながら腕を伸ばした。何もない空だ。匂いも手触りも声も何も感じない。


 いつもはそのはずだった。どんなに求めても叶うことはなく、血と皺だらけの手は何も掴むことができないはずだった。


 手に何かが当たる。不思議に思ってそれを掴み、目を開いた。2体の人形が手のひらの中にある。白無垢の人形ともう1体は──。


 声が上がった。終ぞ出したことのなかった大声だ。しわがれた声が喉を鳴らし、白無垢の女は人形に頬ずりをした。愛しいものへそうするように。


 美月は目を見開いた。蟲達が体から離れていき、目の前にいた白無垢の女の顔へと集まり、そして空気に溶けるように消えていく。


 蟲が消えた顔は、とても美しい顔だった。汚れも呪いも憎しみも知らぬような無垢な真白な顔が、人形を頬に寄せて微笑んでいる。


「ようやく、見つけた。見つけた。見つけた」


 それだけ言うと、白無垢の女は姿を消した。2体の人形が仲睦まじく共に転がっていく。

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