噂
体が大きく揺れて、美月は驚いて立ち上がろうとした。それをシートベルトが阻止したことで車の中にいたことを思い出す。
気付けば眠っていた。人形を手に入れたことで張り詰めていた糸が急に切れて脳が休憩を欲したのかもしれない。
「先生、すみません。寝てしまっていたみたいで」
昨日から二俣とはずっと一緒に行動している。運転もさせてしまっているから、自分以上に疲れているはずだった。
「いや、そんなちょっとの時間だよ。なんならまだ寝ていても……今のところは妙なことは起きていないし」
「いえ、すみません、本当に」
いつまた白無垢の女が姿を現すのかわからない。全てが終わるまでのんびりと休んでいるわけにはいかなかった。
「まあまあ、気にしないで。運転するよりも以外に座っているだけの方が疲れるとも言うし」
「はい、ありがとうございます……」
SNSの状況が気になって美月はスマホを両手で持った。
(……ウソ……)
時間はとっくに午前2時を過ぎていた。寝落ちする前に見たのが0時だったからもう2時間近くは眠ってしまっていたことになる。
思わず美月は二俣の横顔を見た。なんでもないような顔をして運転しているが、絶対に疲れているはずだ。
「先生、一旦どこかで車を止めて休憩した方がいいです」
「大丈夫、大丈夫。ほら、体力には意外と自信があるって言ったでしょ」
「そんな無理ですよっ。すみません、私が焦っていて無理を言いました。本当に無理しないでいいですからっ!」
「大丈夫だって。それにこの辺りには何もない。車を止めて休んでなんていたらまたいつ襲われるかわからないでしょ」
「それは──」
確かにそうだ。今まさに美月自身が休んでいるわけにはいかないと思ったばかりであって、なるべく急いで祠へ辿り着かなければならない状況だった。廃村では命からがら逃げ出したようなものだったし、もし今ここで白無垢の女に襲われたなら生きられる保障は何もなかった。
「僕のことは気にしなくても大丈夫だよ。それより古塚さん、君はもっと自分のことを大切にした方がいい」
二俣は眼鏡を上げた。わずかに顔を美月の方へ傾けると微笑む。
「ずっと気に掛かってはいたんだ。部活でもみんな──特に同じ女子生徒には避けられているようだったし、君目当てにやってくる、まあ、この際あえて言うとバカな男子生徒もいて。そんな中で気丈にも休むことなく学校にも部活にも来て。もちろん頑張るのも大切なことだけど、時には休むことも必要なんじゃないかってずっと思っていた」
二俣は後頭部を搔くと自虐的に笑った。
「教師がこんなことを言ったらマズいな。まあ、今のは教師の立場じゃない言葉としてね。僕ももっと上手く立ち回って今の状況にならないように配慮しなきゃいけなかったんだけど」
「……いえ」
何と返していいかわからなかった。自分を大切にしろ──などと人にあまり言われたことなどなく、なんとも言えない気持ちになる。それに何か、うまく自覚することのできない妙な違和感が胸の辺りをざわめつかせている。魚の小骨が喉につかえているというのはよく使われる言い回しではあるが、それよりも口に入れた物が噛み切れずになかなか飲み込めない──ちょうどそんな感じだった。
美月は無理をしているつもりはなかった。ずっとそうして生きてきたし、何でも一人で解決した。一人でいるのは当たり前だったし、周りに合わせるために自分の意志を曲げるなんてことはごめんだった。自分はただ、自分を生きているだけ。周りが勝手に騒ぎ立て噂を立てて離れているだけだ。
噂──白無垢の恋唄も同じようなものなのかもしれない、と美月は思う。自分の知らないところで恋が成就する呪いとして噂され、知らない間に拡散している。だから、白無垢の女は噂を流した人間一人ひとりを死に至らしているのではないか、と。
あの人は、ただ望んだけだった。どんな不条理に巻き込まれようとも、想い人と最後に結ばれることを望んだけだった。それが結果として呪いに結実してしまっただけなのかもしれない。
そこまで思いを巡らせた上で、ひとまず美月は「ありがとうございます」と軽く頭を下げた。会話を終わらせる意味と、それ以上踏み込むなという意味をさりげなく込めて。
二俣は「何でも言って。いつでも相談に乗るから」とまた笑顔を向けた。美月は「はい」と何の気はなしに返事をすると、スマホに視線を落とす。
深夜だと言うのに騒動はさらに大きくなっていた。動画サイトでも何件か白無垢の女を撮った動画が上がっており、それが瞬間的に爆発的に人々の間に広がり続けている。そして、これだけ広がっているにも関わらずまだ白無垢の恋唄の投稿は減ることなくむしろ増える勢いで続いていた。
(なんでだろう。恋唄を投稿してしまえば自分だけじゃなく想い人の命まで危険に曝されるというのに──)
好奇心、興味本位、話題作り──いろいろな理由が頭に浮かぶが、美月の疑問に対する答えの一つは意外なところにあった。
「死んだっていい。
一瞬でも付き合えるなら死んだっていい」
「好きな人と一緒に死ねるんでしょ?
逆にいいじゃん」
「これでやっと裏切られなくてすむ」
「まじで一生一緒」
投稿を辿るとたまに出てくる思いの丈を凝縮したような言葉の数々に指が震える。それでも、画面をスクロールする手は止まらなかった。
白無垢の恋唄とともにツーショットの写真を上げている投稿もあれば、互いに恋唄を載せている投稿もある。中には白無垢の女に感謝している投稿まで見つけてしまった。
美月が見つけたのはほんの一部に過ぎず、広大なネットワークの中では同様の思いはさらに吐き出され続けていることだろう。
(これは何? ……これが愛なの? それとも──)
「よし、着いたよ」
二俣の声は明らかにトーンが落ちていた。夢中になっていて気が付かなかったが、いつの間にか美月は再び、故郷へ辿り着いていた。
呪いの始まった地へ。




