人形を手に
「みーちゃんっ!!」
乃愛の呼ぶ声に目を覚ますと、美月は反射的に後ろを振り向いた。目の前に白無垢の姿がある。
息が止まった。
乱れた黒髪の隙間から蟲が這い出てくる。鼻先に近付いた顔には無数の蟲がまるで獲物を見つけたように蠢いていた。
体が金縛りにあったように動けない。白無垢の女の体が左右に揺れる度に蟲がボタボタと散らばり美月の顔にも張り付いた。
蟲の奥に見える二つの穴に光が宿った。闇の底に通ずるような虚の瞳だ。蟲達が一斉に移動すると刃物のような大きな口が開かれた。
美月は強く目を瞑った。それは、死の直前まで足掻こうとする生き物の本能だったのかもしれない。だが、いくら待っても美月の体に痛みは走らなかった。
「逃げてっ! みーちゃん!!」
乃愛の声に目を開けると、体が反応し手と足が動き出す。美月は声のした方へ駆け下りていくと、待っていた乃愛の手を取って全速力で走り始めた。
「古塚さんこっちへ! 急いで!」
二俣が大きく手を振っていた。すぐに追い付くと後ろを振り返る。
「待ってください!」
白無垢の女の姿は消えていた。感触は残っているものの顔についていたはずの蟲も消えている。
「先生、ライトは?」
「あ、ああ」
二俣が手に持っていた懐中電灯を操作すると、パッと円状の灯りがついた。
「おかしいな、今の今までまたつかなかったのに」
(消えた? なんで? それに絶対にダメだと思ったのに)
「みーちゃん」
「乃愛」
隣で微笑む乃愛の瞳にいつもの色が戻ってきていた。肩で息をしながら美月は「ありがとう」とお礼の言葉を述べた。
「みーちゃん、だから一人になったらダメだって言ってるでしょ」
「そうだった。……ごめん」
二人で目を合わせると笑い合う。美月は呼吸を落ち着かせるために大きく息を吐くと、二俣にも頭を下げた。
「先生も、ありがとうございます」
「いや、それよりその手に持っているものはなんだい?」
「これ──」
掴んでいたものを改めて見つめた。白無垢の人形と──。
「あれ?」
白無垢の人形とともに美月はもう一つ人形を手にしていた。ライトの光が当てられて人形の正体が露わになる。
年月が経ち過ぎたのだろう、顔の部分はほとんど判別できないが紺の袴を着ていることだけはわかった。
(これは──)
「──想い人の人形。白無垢の人形と紋付袴の人形だ」
人形を上から照らすライトの光が小刻みに揺れていた。
「先生、これは死後婚で使われた物で間違いないですか?」
「……これは、どこから見つけたんだい?」
「お寺の廃墟です。屋根の下に偶然見つけて……でも、私が拾ったのは白無垢の人形だけだった気がするんですが……」
想い人の人形も一緒に拾っていたのだろうか。思い出そうとしても上手くできなかった。人形を拾った途端に過去の記憶へと飛ばされてしまったからだ。
「……とりあえず、車に戻ろう。またいつ現れるかわからない」
美月は何気なく二俣の顔を見つめた。二俣は軽く微笑むと懐中電灯を前方に向け車に向かって歩き始める。
「どうしたの? みーちゃん」
「いや、何か……先生疲れてるなって」
「みーちゃん何言ってるの!? こんな目に遭ったら誰だって疲れるよ! これから運転もしないといけないんだし。ほら、行こ!」
ここへ来たときとは反対に乃愛が美月の手を引っ張っていく。助けてくれたことといい、騒がしいほど喋ることといい、いつもの乃愛に戻っている気がして美月の声は弾んだ。
「ちょっと! 乃愛、引っ張んないで!」
車に戻るとエンジンがかけられる。車のライトがパッとついた。
二俣はルームライトを点灯させると、美月から人形を受け取り、回転させたり裏返したりしながら人形の状態を確認した。
「こっちの紋付袴の人形はよくわからないけど、この白無垢の人形が白無垢の女を形どっているのだとしたら特徴はよく捉えている気がする。黒髪の部分がやけにリアルと言うか」
ルームライトを消して、二俣は人形を助手席に座る美月に返した。
「でも、この後はどうしたら……死後婚が行われたとしても、人形の状態を見ればかなり昔の話だろうし」
「もう一度、祠に向かいます。あの人はきっとまだそこにいると思うから」
自分の指を噛み切り、その血で壁に言葉を残すくらいだ。それに今に至るまで儀式はあの祠で行われてきた。白無垢の女はきっとまだ牢に閉じ込められたままなのだろう。
「先生、お疲れだと思うんですが、このまま古塚家へ向かうことはできますか?」
「ああ、大丈夫。これでも昔鍛えた体力には自身があるからね」
二俣は柔らかい笑顔を美月に向けるとシートベルトをしてアクセルを踏んだ。美月もシートベルトをすると、白無垢の人形の顔を撫でる。表情の消えた顔がどこか物悲しげだった。
ふと、後部座席を見れば、疲れ切ったのかすでに乃愛が横になって眠りについていた。
(……乃愛、疲れてるのは自分の方だったね)
車がゆっくりと回転し、今来た道を戻っていく。スマホを開けば、もう時刻は深夜0時を過ぎていた。




