もう一つの死後婚
「みーちゃん!」
「大丈夫かい? 顔色が優れないみたいだけど……」
病室を出て美月は乃愛と二俣と合流した。抱きついてきた乃愛を優しく抱き締めると、美月は何も言わず二俣の問い掛けに首を振った。
「……そうか……あの、それでこれからどうしようか」
白無垢の女を封じる何か策があるわけではない。二俣の言葉にはそんな戸惑いの響きが含まれていた。
「永久に先君をば待たん暗闇に花の塵ゆく定めとしても」
美月ははっきりと声に出し、白無垢の句を読み上げた。改めて読むと、綺麗な句だと実感する。
愛する人から引き離され、おそらくは毎日毎夜、蛮行に耐え抜いた。その上でなお人を想う気持ちを短歌に認められたのはそれだけ心が真っ直ぐ想い人に向けられていたゆえ。
そして祝福に反するこれだけの呪いを残したのも、その清らかな性根のためだったのかもしれない。
「先生」
美月は勇気を出して目を合わせた。関係ないと知っていても、二俣が男性だと言うだけで今は怖かった。
「死後婚のこと話していましたよね?」
「死後婚? あ、ああ」
二俣は眼鏡のフレームを上げた。
「若くして亡くなってしまった人を亡くなった後に結婚させる。古塚家が行っていたこともその一種だと思うんです」
「確かに……そうかもしれない。添い遂げさせると言っていたから、白無垢の女との死後婚と言ってもいいかもしれないね」
「はい。でもきっともう一つ死後婚が行われていたと思うんです」
「もう一つ……?」
死後婚は若くして亡くなった人間を悼み結婚の契りを結ぶ儀式。もし、結婚間近の人間が急に攫われて帰って来なくなったとしたら。
「白無垢の女が生前、古塚家の元へ攫われる前に暮らしていた場所で死後婚が行われているかもしれません。そしてそれはもしかしたら、想い人同士の結婚だったのかも」
単なる希望かもしれない。思い込みたいだけかもしれない。白無垢の女はずっと待っていたが、想い人も同じ気持ちでいたのかはわからない。
それでも美月は過去の記憶の中で笑い合っていた二人なら、たとえ離れていても結ばれている気がしてならなかった。大切な人を想う気持ちは、たとえ特別な繋がりがなくとも変わらないのではないかと。
「白無垢の女は、最期まで想い人と結ばれることを望み、深い絶望の中で亡くなっていったはずです。だから、いくら古塚家が儀式を続けようともそれは偽物にしか過ぎません。だけどもし、故郷で死後婚が行われていたのなら、想い人と結ばれていることを知ったのなら。そのときこそ呪いは終わり、呪いは解けるかもしれない」
二俣は相槌を挟むこともせず、黙って美月の話を聞いていた。乃愛も同様に美月の顔を見上げている。
「先生、もう一度車を出してくれないですか? おじいちゃんならたぶん、白無垢の女の故郷を知っていると思うんです」
また眼鏡を上げると二俣は言いにくそうに口を開いた。
「……実はまだ話していなかったんですが、古塚さんの──その──おじいさんは、警察の事情聴取のときに『自分が家に火を放った』と言って、まだ警察署で取調べを受けているんです」
「! おじいちゃんが!? でも──」
そんな感じじゃなかった。それに、儀式が失敗するのをわかっていて火を付ける理由がない。
「そうです。おじいさんは火が起きた原因はわからないと言っていました。だから僕も慌てて理由を聞こうとしたら、『弓弦と美月には悪いことをした。弓弦が生きていてホッとした』って言ってて。警察ではそれが自供と捉えられたみたいなんですが、どうもそんな感じはしなくて」
(儀式をしたことの贖罪? でも、今は考えている時間がない)
「先生。とにかくおじいちゃんから話を聞かないと!」
「ええ。では、一度警察署に」
病院の駐車場へ出ると、太陽はもう沈みかけていた。ここからは夜の暗闇の時間帯。不安げに空を見上げた美月の黒い髪の毛にヒラヒラと舞う一枚の桜の花弁が付着した。
*
「よう来たな美月」
机を挟んで向こう側に座る祖父は穏やかな顔をして美月を出迎えてくれた。あまりにも普通に迎えてくれたことで美月は拍子抜けしてしまいすぐに返答できなかった。
「何しに来たかはわかっとる」
そう言うと、祖父は机に顔をつけて頭を下げた。
「すまなかった」
重い言葉が狭い一室の中で静かに響く。たった一言だけではあったが、それだけで何に対しての謝罪なのかが美月にも痛いほど伝わってくる。
留置場に来る前に警察から聞いた話では、自宅への放火だけではなく孫──つまり弓弦の監禁についても自供したらしい。しかし、白無垢の女のことや恋唄など背景にある真実については何も話をしていない。祖父は全ての問題を自分で背負い解決を図ろうとしていた。──事件の裏側にある怪異を除いて。
だから美月はすぐにはそのことに触れずに目的のことをたずねた。
「おじいちゃん、知りたいことがある。白無垢の女の故郷はどこ?」
ゆっくりと顔を上げた祖父が、今度は言葉に詰まったように口をぽかんと開けていた。美月は畳み掛けるように話し続ける。
「おじいちゃんは諦めてしまっているかもしれないけど、この怪異を止める方法はきっとまだある。儀式をしなくても、たとえ噂が際限なく広がっていてもまだ間に合う」
「……まさか。そんなのはない。他の方法があったなら、我々は何百年と苦しみ続ける必要はなかった。もう誰にも止められん。重ねた罪が今、罰として返ってきたんだ」
祖父は「遠い目」をしていた。美月は今まで怯えていたその目を真正面から見つめた。そして、少し哀しげに微笑んだ。
なんのことはない。「遠い目」こそが怯えた瞳だった。ここではないどこかへ心は移り、過去の罪から逃れようとしている瞳だった。
「きっと、今まで誰一人そこへ行ったことはないんだね」
美月は机の上に手をつくとそっと両手を組んだ。
「おじいちゃんだけじゃない。今までの長い歴史の中で誰も白無垢の女を攫った場所へ行ったことがない。自分達で咎人だって言っているけど、本当に罪を償おうとしたことがない」
「違う! 何を! 我々がどんな思いで儀式を引き継いできたのか──」
「だったら、行ったことがあるはずだよ。そうでしょ?」
「そ、それは──」
やはりそうだと美月は確信した。祖父も母も持つこの瞳は、恐れるようなものでもなんでもなかった。罪を背負うことに耐え切れずに現実から逃げようとする目だった。
「おじいちゃん。教えて。私が白無垢の女を止める」
美月は祖父を見た。逃げることを許さない強い眼差しで。やがて祖父は短く息を吐いた。
「わかった。何をしようとしているのか知らないが、教える。だが、もうあそこはとっくの昔に廃村になっていて何も残っちゃいないだろう。それに、呪いはそう簡単には止まらない。もし失敗すれば──」
「同じことだよ。今もうSNSですごいことになってる。これで止められなかったら、それこそおじいちゃんの言う通り」
(地獄だよ)




