呪い
『弓弦には結婚式用の紋付袴を着せて女が現れる常闇の祠に入ってもらった。魂が暗闇に沈み、女を受け入れるまで』
(おじいちゃんはそう言っていた。病室で兄さんは、助けを求めているようだった。もしかして、兄さんも見ていたのかもしれない。これと同じ光景を、白無垢の女の過去を。儀式が過去を追体験するということだったら。兄さんが今、見ている夢を私も見せられている……? そうだとすると、今起こっているこれは……)
女の絶叫が身を凍り付かせた。美月はぎゅっと目を瞑り、両手で耳を強く押さえた。それでも繰り返される叫び声が突き抜けるように鼓膜を揺さぶる。反吐が出そうな臭いも鼻に付き、気色悪い熱気が肌に纏わりつく。暗闇で行われている行為がまさにそれだと五感を通して体に叩きつけられているようだった。
(やめて……)
願っても叫び声は止まらない。それどころか、黙らせるためなのか殴り付けられるような鈍い音も交じる。熱気はますます増し、自分の耳に臭い息が吹きかけられているような錯覚すら覚えた。
(やめて、お願い……)
美月は立っていられなかった。ガクガクと膝は震え、軋む木板の上に倒れ込む。膝に胸を押し付けて祈るように耐え抜くことしかできなかった。
(やめて、やめて、やめて!)
叫び声が美月の願いともリンクする。これ以上聞いていられなかった。味わいたくなかった。できることなら耳も鼻も目も全てを削ぎ落して、何も感じない状態にしてほしかった。
再三の美月の願いも虚しく、状況は何も変わらなかった。これは、過去の記憶。白無垢の女がまだ生前に体験した記憶そのもの。抗う術はなく、男たちが満足するまで終わることのない地獄そのものだった。
『攫ってきたのだ』『女と男どもが交わり、子をなした』『女は用済みとなり生涯を終えた』
──『我々が咎人だからだ』。
咎人、咎人、咎人。
(やめて……お願い……もう……)
「やめてぇぇえええええええ!!!!!」
目を開けると一本の蝋燭に火が灯っていた。打って変わって穏やかな光が美月の周りを照らしている。静謐な雰囲気が包み込む暗闇の中でまた一本、また一本と蝋燭が灯っていく。
不思議と今まで感じていた気持ち悪さも苦しさも忘れていた。美月は立ち上がり、ぐるりと体を巡らせた。少し離れたところで女の横顔が淡い光に照らされて輝いていた。墨色の長い髪の毛が耳に掛けられとても嬉しそうに笑っている。
(白無垢の女?)
身に着けていたのは白無垢ではなかった。無理矢理攫われてきたときと同じ白い着物だ。それなのに美月にはまるでこれから式を上げようとする花嫁のように見えた。
暗闇に灯る蝋燭の光がそう錯覚させたのかもしれない。
(あっ……)
女の笑顔の先に一人の男の顔があった。同じように口元は笑い、細めた目は愛おしそうに横にいる女を見つめていた。
男が手を差し出すと、女はその手を握った。二人はピタリと寄り添い、美月から遠く離れていく。
「……って」
その先に何が待ち受けているのかを美月はもう知っている。
「……待って」
だから届かないと知っているのに、懸命に手を伸ばしていた。
「待って!!」
目を開けると今度は夕陽が弓弦の顔に陰影を刻んでいた。美月は握っていた手を離すと、冷たい床に尻もちをついた。
胸が上下する。激しい運動をした後のように呼吸が乱れている。
突然、胃から吐き気が込み上げてきて我慢できずに床の上に吐いてしまった。吐瀉物の中にはまだ消化されていないサンドイッチが残っていた。
美月は座ったまま壁に背を向けると両手で顔を覆った。否応なく肩が震え、指と指の間から嗚咽が漏れる。今見てきたものが自分の記憶のように頭の中を駆け巡る。
(咎人って。……こんなの……こんなの、呪われて当たり前だよ……)




