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病院

 「白無垢の女は実在する!?」「恋唄試してみる。」「呪いの証言」──まだ半日しか経っていないというのにSNSは白無垢関連の話題で沸騰していた。今まではまだ個人的な呟きで済んでいたものが、動画コンテンツを生業としているインフルエンサーの中にも浸透してきている。無邪気な好奇心と無責任な興味とが混ざり合い白無垢の女の呪いを拡散させていた。


 近くの病院へ運ばれて応急処置を受けた後、美月は病院の待合室でずっとスマホを見ていた。膝の上では乃愛が横になり、すやすやと寝息を立てて眠っていた。


 兄の弓弦を助け出した後のことは慌ただし過ぎてよく覚えていなかった。救急隊員や消防隊員、警察官には二俣が教師として応対してくれたようで、美月は弓弦とともに救急車に乗り込み、酸素マスクをつけられ処置される様子をぼんやりと眺めていた。


 入口の自動ドアが開き、ばたばた走る足音が聞こえて美月はスマホの画面を閉じた。


「いや〜お待たせ、お待たせ!」


 片手に袋をぶら下げた二俣が美月の隣へと腰掛ける。椅子が大きく揺れて乃愛が目を覚ました。


「事情聴取がやっと終わったんだ。とりあえず、お腹空いただろうと思っていろいろと買ってきた。古塚さんは何がいい? 好きなの取っていいよ」


「……すみません」


 美月は袋の中から卵サンドを取ると、丁寧に包装を開けて小さな口で一口食べた。


(……味があまりしない)


 当然か、と自分でも思う。食欲もわかないし味わって食べている場合でもない。兄の命は救えたが、母親は行方がわからなくなり、なにより問題は何も終わっていない。


 二俣が乃愛にもサンドイッチを渡そうとしていたが、乃愛は何も言わずに横を向くとまた目を閉じた。


 乃愛の様子も変わらなかった。感情を失ったように表情がなく、何を考えているのかがわからない。ただ、なぜか美月の側を離れようとはしなかった。


 美月はもう一口サンドイッチを食べると、宙を見つめた。


(どうすればいいのだろう。祠が無事ならまた兄さんを犠牲にした儀式をやろうとするのかもしれない。それは絶対に許せないけど、おじいちゃんが言っていたようにこれだけ広がってしまえばもう白無垢の女を止める術は無いのかもしれない)


 ……おじいちゃん、か──。


 本当は祖父でもなんでもなく血の繋がりがない赤の他人だった。祖父だけではなく母親も兄もどこかから連れてこられた他人だった。その真実が、重石のように美月の心にのしかかる。


 反面、いろいろと納得できることはあった。


(母さんが兄さんだけを見ていたのは、白無垢の女が現れたときの儀式として必要な存在だったからだ。兄さんだけがよく旧家に遊びに行っていたのも、私が家事の全てを負担していたのも、母にとって私は兄さんが不自由なく過ごせるようにするための便利な道具のようなものだったんだろう)


 冷静になって考えを巡らせてみれば、美月が思っていた家族の思い出、3人の思い出などは存在せず、ただ美月の見ていた虚像だったことに気が付いてしまった。


「古塚さん、考え中に悪いけどちょっといいかな?」


「……はい」


 二俣は飲んでいたヨーグルトを横に置くと真剣な面持ちで美月を見つめた。


「さっきも車の中で言ったけど、考えたら答えが出る問題と、考えても答えが出ない問題があります。テストの問題、弓をどう的に当てるか、こういう問題は考えて答えが出るけど、はっきりと形のないような目に見えない問題、特に他人の心が関わる問題は考えてもきっと答えは出ない」


 心が見透かされている気がして美月はわざと視線を外した。廊下の奥から少し茶色がかったショートの髪の看護師が歩いてくる。


「古塚さんはお兄さんを助けたくて助けた。それでいいじゃないですか。相手がどうあれ、どんな関係性であっても相手を想って行動したのだから、自分のその気持ちは間違っていないはずです」


 そうかもしれない。けれど、様々な事実が突き付けられて何を信じ、どう動けばいいのかわからないというのも本心だった。


(白無垢の女は止めなきゃいけない。それはわかってる。だけど、咎人って何? 勝手に家族にされて巻き込まれて、なんで兄さんや私が罪を負わなければいけないの?)


 美月は、残ったサンドイッチを口に詰め込むと袋からペットボトルのお茶を取り出して喉奥に流し込んだ。


 暗闇に行かなければいいのだ。そんな考えも頭に浮かんだ。家中の電気をつけてさえすれば襲われることはない。


 ペットボトルを持つ手が震えていた。


(そうだ。本来、私には関係ない。逃げてしまえばいい。逃げたい、逃げたい、逃げたいよ)


 祖母の焼死体が頭をよぎる。倒れていた兄の姿が目に浮かぶ。燃え落ちた屋敷も、3人で歩いた道も、交わした会話も、母の顔も。


 乱れる思考と心とを止めたのは、たった一つの声だった。


「みーちゃん」


 膝に頭を乗せた乃愛が栗色の大きな瞳で真っ直ぐに美月の瞳を見ていた。柔らかな手が美月の頬に伸び、まるで泣いている子どもをあやすように撫でる。


「大丈夫。みーちゃんだったら大丈夫。だけど、一人ぼっちになったらダメだよ」


「……乃愛」


 名前を呼ぶと、乃愛は微笑んだ。美月は「うん」と声を出して頷くと、乃愛の手を取り、強く握り締めた。


「すみません、古塚弓弦さんのご家族ですか?」


 ショートヘアの看護師が申し訳なさそうに割り込み、笑顔で声を掛けてきた。


「はい、そうです」


「よかった。あの、ご本人の意識はまだ戻っていないのですが、弓弦さんの容態が安定したので、病室へ来てください」


「わかりました」


「2人きりの方がいいと思うから、僕は如月さんとここで待ってるよ。戻ってきたら、この後のことを考えよう」





 病棟の窓から夕陽が射し込んでいた。美月は忙しく動き回る看護師や入院患者を避けながら弓弦の病室へと向かった。隣を歩く看護師が場を和ませようといろんな質問を投げかけてくるが、どれも頭には入ってこず曖昧な返事に終始していた。


 鼓動が早くなり、手が汗にまみれて緊張しているのを感じる。意識がないとはいえ、今のこの状態で兄に会えば自分はどう思うのか、それが気がかりだった。


「こちらです」


 病室のドアプレートには、「古塚弓弦」と兄の名前が書かれた紙が挟まれていた。何度も見てきた名前のはずなのに、初めて見るような気がした。


 看護師が音を立ててドアを横に引く。夕陽の見える窓辺のベッドで古塚弓弦は静かに眠っていた。


「いろいろと書類の手続きがあるので少しお待ち下さい。あっ、椅子はベッドの側にありますから」


 ゆっくりとドアが閉められて看護師が病室の外へ出ていく。


 美月はその場でまじまじとその人物の様子を眺めていた。


 点滴に繋がれてはいるが、酸素マスクは外され顔の煤や汚れが綺麗に拭き取られていた。


 薄い唇、筋の通った鼻、長いまつ毛に大きな額、そして少し癖っ毛のある短い髪の毛。兄、弓弦だ。だけど、兄ではない。血は全く繋がっておらず、赤の他人で、兄ではない。


(なのに……なんで?)


 涙が溢れて止まらなかった。手の甲で拭おうにも拭った先から涙がこぼれ落ちていく。美月は声を上げた。噛み殺しながらも喉や顎が勝手に動き声を上げて泣いた。





 書類に必要事項とサインをし、事務手続きを終えると美月はふーっと長い息を吐いた。胸のつかえはすっかり取れて兄の顔を見てにやついてしまう自分がいる。


 2、3日の安静。看護師からはそう説明があった。一時的に煙を大量に吸い込んでしまったことにより気を失い倒れてしまったが、幸い大きな怪我はなく今日中にも意識は回復するだろうということだった。


「よかったね、兄さん。とりあえず、だけど」


(兄さんは白無垢ののろいの対象ではない。だからあの女に襲われることはないし、ここにいれば安全。だけど、ずっと安全なわけじゃない)


 のろいを解かなければいけない。儀式とは別の方法で、白無垢の女を止めなければいけない。


 美月の瞳に光が宿る。弓を射るときと同じ真っ直ぐな目だった。


「兄さん、行ってくるね。なんとか問題を解決してくる」


 背を向けてドアの取っ手に触れたところで後ろから苦しそうな声がした。


「兄さん?」


「うぁっあ……やめ……う、ああ……」


 弓弦の手が布団から伸びて誰かを探しているように彷徨う。美月は弓弦の元へ戻ると、思わずその手を握った。


 突然、耳をつんざくような悲鳴が聞こえた。

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